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こころとからだのはなし

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パニック発作を和らげよう〜④「安全感」を獲得するコツ

パニック発作を和らげよう〜④「安全感」を獲得するコツ

パニック発作を和らげる為の知識を増やす今回のシリーズ記事、いよいよ今回が最後です。
ラストは、「安全感」を獲得する方法をお伝えします。

前回までお話しして来た通り、迷走神経には大きく二つの系統があります。
主に横隔膜より上にある「腹側迷走神経系」と、横隔膜より下の臓器にある「背側迷走神経系」です。
いずれも敵からの防御を目的として発達してきた神経と考えられていますが、ピンチの時の防衛反応として働

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死にたいという言葉の奥では、生きることを強く願っているし、不調にばかり目を向ける意識の裏には、健康でありたいという強い願いがある。何かに耐えている時、人は、耐えている自分を信じようとしている。不可知な自分という謎と対峙することを迫られるその瞬間、人は自分を愛そうとしている。

上質なシンクロニシティを起こす為に必要なこと①

上質なシンクロニシティを起こす為に必要なこと①

「類は友を呼ぶ」という言葉がある。
「気の合う者や似た者同士は自然と集まるものである」という意味だが、この事象は、心理学的観点でも立証されている。

人は誰しも、自分に相応しい世界(相手、環境)としか出会えない。
愚痴っぽい人は愚痴っぽい人と、肯定的でいつもハッピーな人は明るく輝かしい人と出会う。
人間関係が上手く行っていないと頻繁に嘆く人が、避けても避けてもモヤモヤするタイプの人と出会ってしまう

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上質なシンクロニシティを起こす為に必要なこと②

上質なシンクロニシティを起こす為に必要なこと②

前回①では、潜在意識と、更に深い領域である集合的無意識に着目し、実現化が叶う理屈について話した。

今回は、そうして自分の意識や思考と向き合う為に必要なエネルギーについての話をしたい。
情報過多の超IT時代。
見るともなしに見る画面で浪費される血(けつ)のことを、考えたことがある人はほんの一握りであろう。

人間は、液晶画面を長時間見ることで、物理的な光や活字や情報それ自体等の物理的なものから、そ

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東洋医学から見る、「自分を俯瞰で見る」について

東洋医学から見る、「自分を俯瞰で見る」について

先日、人気の東洋医学の治療家であられる久保先生のツイートで、深く頷いた言葉があった。

「日本人1億人以上いる内のたった1人」に煩わされていると考えると、その人が自分の中でそんなに重要だったか?とふと冷静になれる。
たった1人の、さして重要じゃない人に、自分の本心を解って貰おうと、感情・体力・時間を浪費させられるのは悔しいし、実に勿体ない。
俯瞰で見ることが大事だ。

では、俯瞰で見るとはどういう

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強くなりたい人達へ

強くなりたい人達へ

強くなりたい!と、弱い自分を否定する人達。
強くならなきゃ…!と自分とひたすら向き合える人達が、弱い人なはずがないのであるが、そもそも、「弱い人」という区分けは一体誰の都合でされたのでしょう?

所謂強い側の、意見を強く主張出来る側の人達が作り出したマイノリティではないでしょうか。
自分(の本当の願い)を大切に守る為に必要なのは、強さではなく、自分への慈しみと開き直り。
駄目な自分を愛し、誰かに気

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すくすく伸び、気血を巡らすには、土台を整えなくちゃね。

元気がなく気にかけていた観葉植物のキングバンブー(ドラセナ・サンデリアーナ)。
冬に黄色くなったまま、春が来ても全体的にしょんぼりした姿で、幸運の木とは程遠い外見。
一日も早く植え替えてあげたかった。

掘り起こしてみたら、案の定根詰まり〜潔くカット!

古い根と、伸び過ぎた根を潔くカットし整え、評判が高い元肥とオルトラン(害虫駆除剤)を仕込んだ新しい土に植え替えた。
新しい土は、奮発してややお高

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「自己責任」は、事が進展して余裕が出来てから感じないと潰れる。
他人が放って良い言葉ではないし、つらい最中に感じることでもない。
反省なんて苦悩が終わってからすれば良い。
昨今の「自己責任」風潮は目に余るものがある。
自分含む当事者の苦しみを蔑ろにした、いつかの自分を殴りたい。

「不安だけどやってみたい/能力がある」のか「不安だしやりたくない/能力がない」のかは、自分で把握しておいた方が良い。
前者:不安点をクリアにしてチャレンジストレスを感じてみる。
後者:タスクを細分化し、何なら可能なのか書き出す。恐怖心や痛みがあるならその感情自体を受け止める。

『辛いのはみんな同じ』という助言について

『辛いのはみんな同じ』という助言について

『辛いのはみんは同じ』の一言に打撃を与えられる沢山の人達がいる。
私も例に漏れず、この無責任な一言に沢山の傷を負った一人である。
以前は、傷付いていることにも気が付けず、何だかモヤモヤ〜次第に腹が立ち、でも、そんなこと言われる隙のある自分が悪いんだよなと自責し尽くして、へらへらと笑顔を作り無理矢理話を終わらせていた。
当然、人を傷付ける配慮のない言葉は好きではないし、怖い。
ここ数年、X(旧Twi

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「自分は愛されない人間である」「不幸な人間である」「いつも上手く行かない」なんてことばかり思ったり言ったりしている、そこの君。
強く思えば思うほどその思考を脳は実行に移して、ただの防衛本能なだけの不安や心配が現実になっちゃうよ!
潜在意識をポジティブに利用しよう!

「〇〇になったら嫌だな、〇〇になってしまうかも…」と思ったら、「でも、ならないかもしれないし!そうなってから考えよう!」と、『困難な状況に陥る自分像』を手放す癖をつけましょ。
強不安な時に導き出されるアイデアなんてろくなもんじゃないし(笑)

『誰かを助けたい』の正しい在り方

『誰かを助けたい』の正しい在り方

『誰かを助けたい、力になりたい』という気持ちは自分軸の傲慢な思考。
誰かの力になる…その先にあるのは、困っている誰かでなければならない。
無意識下で、自分の自尊心向上の為に誰かの苦悩を利用するようではいけない。
「してあげたい」より「相手が何を望んでいるか」相手軸で寄り添い見極めよう。
とは言え、やらないよりやる偽善だと思うし、誰かを助けたい!と思うこと自体は素晴らしいことだから、誰かに寄り添いな

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