勉強をする理由
勉強は本当の意味で役立つし、人を豊かにさせる。僕はそう信じている。その信念の強さは、まわりの人に負けないと思う。
勉強に対して、役立つかどうかだけのジャッジは、あまりにも乏しいと思う。最新のiPhoneを持っていながら、電話機能しか使わないのと同じくらい、良さを活かしきれてないと思う。
この前、「古典や漢文なんかよりも、役に立つ役所への申請の仕方を学ばせるべきだ」というツイートを見た。なるほどそう言う考えもあるのね。僕だったらどのように、勉強の意義を伝えられるだろうか。そう考えながら、実家に帰った。そして、自分の本棚から高校のときの教科書『国語総合』を見つけ、ふと読んでみることにした。
おや、これは…!
このように書いてある。
大岡信『言葉の力』より。
何度も繰り返して徐々に深入りしていくことで、良さや面白さ、役立ちポイントがわかってくる。
たしかに、この国語の教科書を、高校生の僕が読んでいた時は、だらだらと何を言ってるんだろう、そう思ってた。役に立たないのになあ、とも思ってた。
でも、7年後の今、読み返してみると、「めっちゃいいこと書いてあるわ〜〜」当時だけではわからない、良さが分かってくる。読みにくい文章を読むのは疲れるし、だるい。めんどくさい。
そこで宮崎先生の、このひとこと。
受け持つ子どもが、めんどくさいと口にするたびにみせるこの写真。大事だと分かるのは、後々である。
勉強は漢方とおなじ。じわじわ効いてくる。ずっと、古典や漢文が削除されずに残っている理由は、「役に立つから。」この答えだと思う。
いずれ大人になる子どもたちが、それぞれの形で、勉強の意味を見出せるように、これからも教壇に立ちたいと思います。古畑任三郎でした。
てーててててーててててー。
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