インスタという(特異な)世界
インスタから Threads に流れてきたと思われる人が、次のようなこと(趣旨)を言っているのを目にしました。
良い写真は、お金になる写真
そして、自分はまだそのレベルになかなか行けないと言っていました。
良い写真は、いいねを集める写真
とも言っていましたね。
すごく分かりやすいというか、数値的概念だなあと思いました。
インスタは美的感覚が麻痺する
インスタに流れてくるフォトグラファーの写真は、彩度が高く、構図が極端で、カラフルなものが多いですね。
最初からそうだったかどうかは分かりません。
もしかしたら、最初は普通に他の媒体と変わらない写真を上げていたのかもしれないけど、たくさん写真を見ているうちに、派手なものの方が注目されることに気づいた。
そして彩度や構図が極端な写真をアップしたら、いいねが増えた。
という流れで現在に至っているのかも?
見ている方も、もともと色が好きな人が多くて、たくさんの写真を見ているうちに、さらに色がはっきりしているものの方が、綺麗に見えるようになってきた。
ということなのではないでしょうか。
味覚と似ている
以前、食物学者かなんかそういう関連の専門家が、テレビで次のようなことを言っていました。
「今の若い人は濃い味に慣れていて、薄味の良さが分からない」
インスタに流れてくる写真を見ていて、そのことをふと、思い出しました。
金銭的、数値的に高いものが評価される世界であり時代である
本当に、素直にそう思う人が多い世の中ですね。インスタに限らずそうだと思います。デジタル的な感覚だと思います。
写真をやる意味
以前、僕が好きだった写真家さんは、
「写真が趣味なんて言うな、やるからにはプロになれ」
というようなことを仰っていましたが、その意味は少し、インスタフォトグラファーにも通じる部分はあると思いますが、彼が言っていたことはもっと深い意味があると思います。
単に金を稼げというだけの意味ではないんじゃないかなあーと思っています。
だってもし、金を稼いで人気出ないなら写真やる意味はないって言うんだったら、写真は結局、金や人気のためにやるものっていうことになってしまうじゃないですか。
だったら別に写真を選ばなくても、金融商品とか扱って、たらふく儲けたらいいと思うじゃないですか。
低解像度な世界
カメラやモニタは年々、解像度が増してきていますが、少し鈍化はしていると思います。
でも写真表現の世界は、展示 → 雑誌 → 端末 という風に変化してきていて、市場のほとんどが端末になっている昨今です。
美術館に展示されるような写真は、ものすごく大きいため、高解像度のカメラで撮ったものでないと細部がきれいに見えません。
ただ、作品の魅力は解像度ではないから、必ずしもそうでなければいけないということはありません。
例えば森山大道氏の写真は巨大なプリントを展示しますが、元の解像度は GR のレベルだから低いと思います。それでも作品としては成立しますから。
ただやはり、雑誌で見て綺麗だなと思う写真は、それなりの解像度があって、微妙なトーンにも目が行くから、インスタに上がっている 1000px ぐらいの画像をそのまま印刷しても綺麗に見えないはずですよね。
トーンもインスタみたいに極端だと、雑誌では「オエッ!」となるかも知れません。
低解像度の写真に慣れていて、写真ってそんなもんだと思ってしまうのも、なんだか俗っぽくてミーハーな感じはします。
カメラは高解像度・高階調なのに、作品は低解像度・低階調で、それが人気を集めて高値を生み出すという・・
つまりインスタという世界は、そういう特異な世界であると、言うことができそうです。