妊娠が分かった時って、もっと感動的なのを想像していました。〜妊娠検査薬編〜
体外受精を続け、毎回妊娠検査薬は陰性で、もうこの方法でも妊娠は難しそうだと分かっているのに、諦め半分のつもりなのに、何故か妊娠検査薬をする朝はソワソワして早朝に目が覚める。
5回目の体外受精のその日も朝も同じだった。確か3時位に一度目が覚めて、早すぎるか、とまた目を閉じて、4時位に「だってトイレに行きたいから」と自分を納得させて、検査薬の袋を開ける。
キッチンタイマーをセットしてカウントが始まると、いつも鼓動が急速に速まる。「今までの結果を考えると陰性の方が可能性は高いんだから。期待しすぎて落ち込まないようにしないと。」心を落ち着かせようとしていると、あっという間に判定までの1分が過ぎる。
ピピッと鳴るタイマーを止めて、妊娠検査薬に目線を移すまではスローモーションに感じる。首のあらゆる小さな筋肉が少しずつ緊張を高めて、少し動かしづらい。
結果は、「陰性」だった。
あれだけ心に予防線を張ったはずなのに、私の心はすぐさま時間の流れに置いていかれてしまう。少しの間、そのままストップする。心も身体も。
寝室に戻って、すやすやと眠る夫の横にまた横たわりながら、「ごめんね」と思う。また、妊娠出来なかった。それはきっと私の身体の問題で。
少しまどろんでまた起きて、夫と一緒に7時頃に起きた。
「おはよう」の後に、「検査したけど陰性だった」がすぐ繋げられなかった。その言葉は一旦飲み込んで、私はリビングへ、夫はトイレへ向かう。
リビングに行き、テーブルに置きっぱなしにしてあった妊娠検査薬にふと視線を落とすと、、なんと、無かったはずの線がうっすら出ているではないか!
私はそれまでに数えきれない程の検査薬を使ってきたけれど、一度たりとも出会ったことのなかったその線に「えー!!」と結構大きな声が出てしまった。
すると、夫が「大丈夫?!ゴキブリ?!」と言いながら、トイレから出てくる。
私:「ゴキブリじゃないよ、赤ちゃん、、」
夫:「え、、?」
私:「朝早い時には無かったのに、今見たら陽性の所に薄ら線が出てきた!」
夫:「え、、?それ合ってるの?」
夫は訝しげに、検査薬を蛍光灯にかざして見ている。
確かに検査薬の説明書には、規定の時間が過ぎてしまった場合に表示されるものは正しい結果では無い旨記載がある。
けれど、だけれども、これまで一本でも、後から陽性の線が浮き上がってきたことはなかったし、後からでも陽性になるということはすぐには出にくい微々たる反応があったっていうことなんじゃないのか。
心と脳が一気にぐるぐる回転する。でもやっぱり傷付きたくはないから、「これは正しい結果じゃない、ぬか喜びしちゃだめだ」と自分の心の中の、放っておくとどんどん高まっていきそうな部分を必死に静める。
そのままいつも通り朝ごはんを食べて、二人とも出勤した。夕方家まで帰りながら、帰ったらあの線が消えているなんて可能性もあるのかな、幻だった気さえするな、なんて考えてしまう。
家に帰り、心を整えてから、ダイニングテーブルの上の検査薬を見つめる。線は消えていなかった。寧ろ、なんだか少し線が濃くなっている気がする。
翌日、再検査をすると、1分後の結果が「陽性」だった。
結果を夫に見せると、
「本当だ、、でも病院に行って検査してちゃんと確かめないとね」と、ここでもなんだか冷静。
なんだか、TVとかYoutubeとかで観たことがあったのとちょっと違うなぁと思ってしまった。
陽性の線を前に、夫婦で泣きながら抱きしめ合ったり、旦那さんが「嘘やん!?」とか言いながら喜びを隠しきれない感じ。海外のだと、「Oh, my god!」と天を仰いで、二人ではしゃぎ合ったりする。うちみたいに不妊治療をして、子供を待ち望んでいるケースの場合は尚更。
そもそも最初の出だしがゴギブリだったしなぁ、なんて。(笑ってください)
でも、私も夫もきっと怖かったのだと思う。思いっ切り喜んで、やっぱり違った、となることが。
もしかして?!もしかして?!を繰り返して、何年も経つと、心の奥底で「自分たちにはこれからも子供は出来ない」という真理を勝手に育て上げてしまう。建前で「いつか」を信じて頑張り続けているけれど、奥底には「真理」が根付いてしまっている。だから、簡単には陽性の結果が信じられなかった気がする。
P.S.
あ、あと、そもそもの性格、気質の違いですよね。
泣きながら抱き合って喜ぶなんて、私と夫のテンションを考えるとこの先もない気がします。
それでも、もちろんお互い喜んでいます、控えめに。