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プラスチック建築史

現在ご家庭には多くのプラスチックが使われています。ゴミ袋、ゴミ箱、テレビ、炊飯器、風呂、コードのコーティング、ビニールフロア、メラミンカウンター、スチレンタイル、構造用接着剤、基礎工事の防湿材、配管の熱絶縁、塗料、etcプラスチック全体の15%が家に使われているとの指標もあるくらいです。これだけ多くのプラスチックが使われながら、なぜオールプラスチックで家は建たなかったのでしょうか?家の歴史は頑丈さへの歴史でもあります。3匹のこぶたを例に見ていきましょう。
I built my house of plastic♪
I built my house of FRP♪
 3びきのこぶたがいえをたてました。1匹目はフルートを吹きながらわらの家を。2匹目はヴァイオリンを弾きながら木の家を。3匹目は歌ったり踊ったりする暇がない、とレンガ造りの丈夫な家を建てました。そこへ悪いおおかみがやってきてそれぞれ一吹きで藁の家も木の家も吹き飛ばしてしまいました。3匹目の家に逃げ込んだこぶたたち。かたいレンガの家はおおかみの吐く息ではびくともしません。仕方がないから煙突から入ったおおかみを下でお湯を沸かして待ち受ける。どぼん、あちちちちと逃げていくおおかみ。ものを作るときには時間や手間をかけた方が安全強固なものができ、いざというときも安心というもの。しかしレンガ造りは重たいし施工時間がかかります。遊べない!窓を大きくとることもできません。そこで軽く、強固に、安く、早く、という欲がでてくるのが人の本性、豚からは学べない。これは昔々ほど遠くない、第2次世界大戦前から1970年くらいまでのおはなし。
 1920年代後半までに化学産業は石油産業と同盟を結び、石油からプラスチックを合成しました。1907年に完全合成プラスチック、ベークライトが誕生しそれを皮切りに多種多様なプラスチックが生まれなんとアールデコにも影響を与えました。成形しやすく大量生産できてしまう、そしてコストも安いプラスチックはどんどん生活にあふれ出します。絶縁体や家電そしてそしてラッセル・ライトがベークライトで食器(1940)をチャールズ&レイ・イームズがFRP(繊維強化プラスチック)でイームズチェア(1949)をつくるなどインダストリアルデザインにおいてもプラスチックという存在は頭角を表してきました。しかしもっともっとプラスチックを売って儲けたい化学産業界。ある業界に目を向けます。第2次世界大戦が終わりに近づくアメリカでは復員軍人援護法(通称GI法)がつくられ復員軍人への報酬としてさまざまな援助がありました。家も含まれます。そう新築ラッシュだったのです。ウィリアム「ビル」レヴィットがフォードの大量生産方式を住宅業界に持ち込みレヴィットタウンを建設していた大住宅時代、化学産業は住宅事業に参入しようとしていたのです。
 モンサント社は今では農薬で知られていますが化学産業界のビッグネームです。モンサント社はプラスチックの大規模な現代利用を考えました。より少ない労働力で多くの場所に建設する。高品質かつ工学的な家を発明することです。プラスチックの軽さ、頑丈さ、成形のしやすさを用い大量生産、組み立てが簡単なプレハブ建築をつくろうとしました。ヒントはバックミンスター・フラーでした。
 フラーは、量産住宅やエコロジーの視点から何度も評価されてきました。彼の著作「宇宙船地球号」はしばしば環境問題の舵取りとして引用されます。ウォルトディズニーワールドのEPCOTのシンボル、スペースシップアースはそのものずばり彼の本のタイトルからとられています。彼のダイマクションハウスは標準化されたローコスト高性能住宅であり、プレハブ住宅の先駆的な取り組みです。スチールやジュラルミン、プラスチックを使用した兵営の居住空間でした。

「ダイマクションハウスは、二つの事に役に立つ。まず、戦後の大変な住宅難をたちどころに解決するだろう。また、航空機産業業界の労働者を救うだろう。なぜなら、ダイマクションハウスのアルミニウムの部分とB29の胴体とでは、その製造に基本的な違いはないからである。」

フラー

ダイマクションとは「ダイナミック」「マキシマム」「テンション」の3語を一つにした言葉です。この語のもつ重要な意味は「最低限の資源で最大限の効果を得る」もしくは「少ないことで多くを成す」ことです。その後1947年にジオデシックドームと呼ばれるドームを考案しました。フラーは完全な球体は創造の世界にしか無いと考えました。構造を作るにはまず三角形が必要であると言っています。ジオデシックドームは最も効率よく空間を覆う方法です。ウイルスが持つたんぱく質の殻やフラーレンという炭素の同位体など自然界のさまざまなところで使われていることを科学者たちは発見することになります。ジオデシックドームは1967年モントリオール万博のアメリカ館でも採用されています。アルミニウムのチューブにビニールの外板で構成されています。また、彼はプレハブ式バスルームも考案しており、今日のユニットバスの元祖ともいえます。
これを参考にモンサント社は「House of the Future」に着手しました。展示場所はディズニーランドのトゥモローランド。モンサント社がスポンサーとなった未来の家は、モンサント社、マサチューセッツ工科大学 、ウォルト・ディズニー・イマジニアリングの協力により実現しました。この革新的な構造の設計チームには、マサチューセッツ工科大学 の建築学部教授のリチャード・ハミルトン氏とマービン・グッディ氏 (グッディ・クランシーの創設者)、マサチューセッツ工科大学 の土木工学学部教授のアルバート・GH・ディーツ氏、フランク・J・ヘーガー・ジュニア氏 (シンプソン・ガンペルツ & ヘーガーの創設者)、フレデリック・J・マクギャリー氏が含まれていました。マサチューセッツ工科大学の教授陣は、RP・ホイッティア氏や MF・ジリオッティ氏を含むモンサント社のプラスチック部門のエンジニアリング部門と協力しました。地面に接しているのは、16 平方フィートのコンクリート製センターコア基礎部分だけです。センターコアにはキッチンと2つのバスルームがあり、基礎の下には給湯器、エアコン、関連する配管がすべて設置されています。また、このセンターコアは、住宅の居住空間を構成する4つの片持ち翼部の主な支えでもありました。このため、家がまるで雲のように地面から浮いているように見えます。外壁の材質はFRP製造されました。このアトラクションでは、将来普及することになる電子レンジなどの家電製品を備えた未来の家を見学でき、オープンから6週間で43万5000人以上が訪れ、閉館までに最終的には2000万人以上が訪れました。キッチン頭上のキャビネットもすべてプラスチック製。ボタンを押すだけでキャビネットが下りてきてコンパートメントが視界まで下がりました。キッチンはアイランド型で当時最先端の超音波式食洗器も隠されていました。寝具もアクリル繊維製。子供部屋のある棟は、2 人の子供がいる家族のために、多目的に使えるように設計されました。夜間や必要なときにプライバシーを確​​保でき、日中は可動式の仕切りを簡単に開けて、広い遊び場として使うことができます。スライド式の壁は、部屋を多目的に変身させます。こうしてモンサント社の「House of the Future」が完成しました。
 同じころ海の果てでも住宅は不足していました。その国は焦土から再出発を試みていました。日本です。戦後10年を経て、経済の伸びに比べ住宅建設の立ち遅れを認識した鳩山内閣により住宅政策は活動を開始しました。団地の誕生です。団地は今までの日本住宅の常識を覆すものでした。いす式ダイニングキッチン、洋式水洗トイレ、ガス風呂、ダストシュートを備え、ステンレス流し台、スチールドア、シリンダー錠が導入されました。そんな中、雑誌でモンサント社のプラスチックの家を知り、モンサント社同じくプラスチック用途拡大のため住宅産業に躍り出ようとした日本の会社が積水化学工業でした。彼らもまたプラスチックのプレハブ住宅に挑みました。試作の0号ハウスは構造材に軽量形鋼角パイプを用い、屋根と外壁は一体のPVC(ポリビニールクロライド)板でペーパーハニカムをサンドイッチ式に挟んだパネルを用いました。その後PVCをやめてアルミ板にするなど改良しました。これが「鉄とアルミとプラスチックの家」という触れ込みの積水ハウスA型です。

「このセキスイハウスA型は、部屋だけでなく水周り設備を備えており、「国産工業化住宅」の第一号と言えます。このたび、本物件が建築当初の仕様を残して現存する唯一の住宅であることから、戦後住宅業界の一側面を語るものとして評価されました。安全・安心・快適な暮らしを提供し続けているプレハブ住宅産業の、まさに黎明期の逸品であり、228万戸を超える建築実績を重ねる当社の原点とも言える物件です。」

積水ハウス

天井、壁、床、窓にプラスチックを用いて、大工、左官の工賃を節約し、かつ工期を短縮することができました。面白い点が庭に置かれているガーデンチェアーがコトブキ社のFRP製チェアであることです。当時の名前は株式会社寿商店です。50年前半に、イームズシェルチェアが2脚だけ日本に最初に上陸したときに、このシェルチェアをもとにFRP製のイスを製作するという試みを始めた剣持勇が選んだパートナーがコトブキです。1956年にはFRPの実用化に成功し、それから次々と主に公共の場のイスとして作られることになりました。まだ日本は畳で座り文化だったため住宅用の椅子の需要が少なかったからです。このFRPという素材の自由度にデザイナーが惹かれ、その剣持勇氏や豊口克平氏、そして柳宗理氏がデザインした椅子が作られることになります。大和ハウスが「ミゼットハウス」を松下電器が住宅の試作研究を開始したころ。ところで積水ハウスはバーバパパをイメージキャラクターにしていますがバーバパパも「バーバパパのいえさがし」で家探しの放浪の果てに自らの体でプラスチックの家を成形しています。材料はなんとバーバプラスチックです。あまりにそのままな名称!ユニット化とプラスチックの歴史は1970年にピークを迎えます。  
 1970年大阪万博は多くのパビリオンや場内施設などに大量のプラスチック建築が使われ、第1回ロンドン万博がガラスの万博、パリ万博の鉄鋼と並びプラスチックの万博と呼ばれています。使われたプラスチックは2575t。塩ビ樹脂の主な用途はアメリカ政府館のエアドーム屋根、各種施設のテントや、電気配線の被覆、給排水配管などです。アクリル樹脂は展示ケース、テトロンフィルムはお祭り広場の大屋根に。太陽の塔はコンクリート製なのは有名ですが、真ん中にある太陽の顔がFRPで成形されていることはあまりしられていません。特殊な表面処理技術により、本来持っているFRPの光沢をなくして岡本太郎が要請する表面のざらつきを持たせました。その他FRPを外壁に採用したのはペプシ館、みどり館、三菱未来館、アメリカ館、イタリア館、クウェート館、サウジアラビア館、スイス館、フランス館などです。大阪万博ではメタボリズムという思想が大きく知らされる場でもありました。メタボリズムとはもともと新陳代謝を意味する用語でしたが、転じて人口の増大と技術の発展に呼応して更新される都市の成長を説く建築運動を意味するようになりました。提唱者は浅田孝、菊竹清訓、黒川紀章、大高正人、栄久庵憲司、粟津潔、槇文彦。無数の生活用ユニットが巨大構造物に差し込まれており、古い細胞が新しい細胞に入れ替わるように、古くなったり機能が合わなくなったりした部屋などのユニットをまるごと新しいユニットと取り替えることで、社会の成長や変化に対応しこれを促進することが構想されました。主な例は「カプセル・イン大阪」。建築家の黒川紀章氏が手がけた世界初のカプセルホテルです。ニュージャパン観光(株)社長の中野幸雄は1970年大阪万博で目にした「空中テーマ館住宅カプセル」をヒントに黒川紀章に設計を依頼しました。「未来の住居はカプセルの組み合わせである」カプセルホテルの製作は再び登場、家具メーカーのコトブキに依頼されました。「ベッドにいながら全てができるコクピットの雰囲気」という黒川紀章のコンセプトをもとに、カプセル内で仰向けになった時、視界に入る部分に継ぎ目が見えないようにデザインされました。そのため型枠を上下分割にし、天井のカーブに継ぎ目が現れないよう工夫されました。当然FRP製です。大阪万博で注目すべきは未来の住宅を表現した「空中テーマ館住宅カプセル」です。お祭り広場に丹下健三研究室が設計した地上30m、108m、長さ291mのトラス構造の大屋根に吊るされ、いわば宇宙ステーションのようでした。車輌工場で生産したカプセルを、設置現場の真下で組み立て、ウィンチを用いてスペースフレームに吊り下げました。来場者は導入路を進み、本来は居間であったテレビタワーのある円形空間や周囲の親子3人のカプセルを見学しました。部屋のカプセルにはベッドカプセルと浴室便所カプセルが付属します。両親のベッドカプセルの脇にはハッチがあり、開けると行き来できる仕様です。各部屋のカプセルに隣接した浴室便所カプセルには、1964年に菊竹清則が設計したFRPバス・トイレ・ムーブネットがあります。東京オリンピックから普及した一体型ユニットバスの一種です。黒川紀章は以下のように述べています。「空中テーマ館は、社会的耐用年数のヒエラルキーを設計に取り入れ、設備ユニット、個室ユニットをプレファブ化の単位としてアッセンブリーした量産住宅のプロトタイプなのである」住宅内の寝室や居間が物理的に機能する年数と、社会的な耐用年数は異なると考え、黒川はプレファブ住宅を量産する代わりに、プレファブ部屋のカプセルの生産を提案しました。例えば子供が成長して15年~20年が経過すると、子供部屋は不要になります。成人した子供は自分のカプセルごと引っ越し、親は代わりに別の用途のカプセルを購入すれば良いわけです。部屋ごとに新陳代謝を行うというメタボリズムの発想です。
 以上プラスチック、FRPの建築史を見てきました。プラスチックの建築史はユニット化の歴史と密接につながってきたことが分かったと思います。しかし1973年の石油危機によりインスタントな未来の家は終わりを迎えます。今日プラスチックの害悪を考慮するとプラスチックの家が一般化しなかったのは不幸中の幸いなのかもしれません。

主要参考文献
・宇宙船「地球号」操縦マニュアル バックミンスター
・the house of the future David A. Bossert
・住まい文化の創造をめざして 積水ハウス30年の歩み
・戦争と建築 五十嵐太郎

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