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武闘家と殺し屋はどっちが強いのか?

専門家と達人は同義ではないという話です。

皆さんも、「新しい事業に取り組もう」という場合に「まずは専門家に聞いてみるか!」となるケースは非常に多いのではないかと思います。専門家とは文字通りその道のエキスパートです。

専門家と言えば、大学の先生であったり、研究所や企業の研究員の方が思い浮かびます。文字通り、専門分野に対して特殊な技能や情報を持つ人たちであり、専門分野をリードしていく役目を負っています。

しかし、最近様々なところを見て思うのは、専門家が問題解決の最適解をもっているとは限らないという事であります。例えば、専門家は自分の技術があればそれを批判はしないでしょうし、ましてやその先の自分の研究予算が削減されてしまう様な発言はできません。

専門家の方々はそのポジションを維持するためにかなりの確証バイアス(自分の好きなものを称賛し誇張してしまう)がかかるという事実も理解しておく必要があると思います。コンサルティングファームに初期検討を依頼する場合や、企業に属しているエバンジェリスト(技術伝道者)を使うときもこの辺を注意した方が良いでしょう。

一方で、ポジションという軛(くびき)にとらわれずに行動する人たちもいます。専門家と区別するために「達人」と呼びたいと思います。通(つう)といってもよいかもしれませんし、エキスパートと区別するならマスターと呼ぶべきかもしれません。

達人は専門家とは似て非なるものです。なぜなら、達人という言葉には執着するべきポジションとしての意味が薄いからです。達人は、ひたすら実績を積み重ねた結果の産物であり、外から見て分かりやすいタイトルや学位を持っているとは限りません。

もっと分かりやすい例でいえば、専門家と達人は、武闘家と殺し屋くらい違うのではないかと考えています。

武闘家も専門家も最後に「家」がつくくらいですから、そのポジションに対する箔付けが必要であり、逆にその「家」に縛られて動けないという事もあるでしょう。

一方で、殺し屋は実績が全てです。殺し「屋」ですから、業としてそれを行っています。好きだからやっているし、結果を出し続けるから続けられるだけであり、ちやほやされることもないのですが、腕は確かです。

つまり、何が言いたいかというと、専門家も達人も同様に重要だという事です。専門家のいう事も必要だけれども、それだけではダメだし、時には達人をうまく見つけてきて動かすことも必要だという事です。

例外的に専門家であり達人である人も居るとは思うのですが、その両者は異質であるがゆえにあまり同居できないとも思います。

そして、もしかして一番重要なことですが、専門家は他人の目から見てかなり分かりやすいのですが、達人は隠れていて分かりにくい場合があります。

例えば新事業に通信の技術が必要であるとなるケース。通信の専門家は比較的簡単にたどり着けるかもしれません。アドバイスも聞けるでしょう。

しかし、本当に必要なのは、もしかしたら社内の同じ部署にいて仕事ができないと思われているけど、実は仕事そっちのけでガジェットに埋もれているアマチュア無線マニア(往々にして秘密にしてる)だったりするのではないでしょうか。

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