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太平洋をドローンで飛ぶという狂った夢(まだ道半ば)

太平洋を横断するというムーンショット

仲間と2016年に創業したアイ・ロボティクスはドローンによる空の産業革新を目的としていた。しかし、ドローンはまだまだ黎明期。産業領域での利用を進めるためにはドローンを理解してくれる人が揃うのを待っている時間が待ち遠しかった。

そして、我々の存在はあまりにも小さい。いつつぶれてもおかしくない。だからこそ、当時の我々はスタートアップにしかできない現実的で馬鹿げた夢をぶち上げることにしたのだ。

2017年3月、アイ・ロボティクスはドローンで太平洋横断をするという「夢」を発表する。馬鹿げていると思われるだろうか。いや、実際に「馬鹿だ」と言われた。「詐欺師だ」とも言われた。しかし、いつだって私は真剣だった。

現在のドローンの進化のスピードを見れば、いずれ太平洋を横断できるドローン、すなわち約8000kmをノンストップで飛び越えることができる無人航空機はいずれ完成する。5年かかるか10年かかるか、遅いか早いかだけの問題だ。であれば、それを成し遂げるのは我々であり、日の丸をつけた機体でありたかった。

だから、アイ・ロボティクスの初期の事業目標は、上空滞在型のインフラの整備であったのだ。太平洋横断を成し遂げる機体が作れるならば、技術の進化の当然の帰結として、上空滞在型インフラは成し遂げられるはずである。その時代をいち早く引き寄せるために、自分らが何をやっているのかを知ってもらう必要があった。

そのために旗印が「太平洋横断」だったのだ。人々の英知を集結させるのに十分な人類規模の大きな目標である必要があったのだ。そして、私が何も知らない素人だからこそ、馬鹿な事が言えた。それは間違いない。

レッド・ブルのブログ

幸い私はそれまでの活動を通して、世界のイノベーター・コミュニティに通じることができた。彼らはこのような挑戦を鼻で笑うことはなかった。そして、重大なアドバイスをくれる。

Be known is better than be nothing...

つまり、馬鹿な妄想も、妄想で終われば単なる馬鹿者でしかない。しかし、周りの皆を巻き込んで実現させれば馬鹿者はイノベーターになる。まずはここに馬鹿者が居るという事を「知ってもらう」ということが重要なのだ。引き寄せるチカラを使うのだ。このころから私は意識して発信をするようになる。本を書くこともその一つだった。

また、知り合いのライターに声をかける。日本のネタを英文で海外メディアに寄稿するテック・ライターだ。太平洋横断のドローンを飛ばすためにはどうすればよいだろう、、、と。彼もまた馬鹿げたアイデアに引き寄せられたのだ。

2017年6月に、我々は英語の記事をレッドブルのブログに送ってみた。日本語の記事よりも英語の方が良いに決まってる。彼らはそれが掲載できるかを慎重に検討してくれた。そして、却下された

最初の記事は却下された。しかし、その理由は我々が馬鹿だからではなかった。そうではない。むしろ我々に馬鹿さが足りなかったのだ。だから、記事を書き直してもう一度チャレンジした。

そして、「ドローンで太平洋横断をしようとしている日本の馬鹿に挑戦する馬鹿は世界にいないのか」という、挑発的な内容な内容が英語で発信された。そしてすぐに、スペイン語、ロシア語、中国語、日本語に翻訳され発信された。

本物との出会い

少なくとも我々が太平洋を横断を夢として掲げていることは一部の人には届いたはずだ。しかし、ほとんどの人は馬鹿げたネタだと思ったのだろう。反応はイマイチだった。私の巻き込むチカラの行使は空振りだったのか。

実は、この時何度か私に連絡を取ろうとしているアメリカ人の存在に気づいていた。しかし、怪しい人だろうと思ったのだ。彼とSkypeで話したところ「俺は飛ばせるぜ」という。とりあえず2017年の夏にサンノゼに行った際に会うことにした。UBERをすっ飛ばして郊外のレストランで待ち合わせした。

会ったのは、恰幅の良い2人組だった。今では無二の親友になったエドとオリバーだ。エドは米軍のテストパイロット出身であり、フランス人のオリバーは航空機設計の専門家だった。

完全無知な状態で「夢をぶち上げただけ」の状態だった私は、彼らからいきなりアメリカ航空産業の奥深さを思い知る。つまり、ドローンで太平洋を横断するなんてのは言うほど簡単ではなかった

当時の彼らは、特殊な形状の有人機体を作って飛ばしていた。実は最後に作った機体のテストフライトで墜落事故をおこし、死亡事故にこそならなかったものの、彼らのプロジェクトは行き詰っていた。そこに、無人機で太平洋横断をできる機体の話がでてきたのは彼らにとっても光明だったのだ。

引き寄せるチカラはここで奇跡を起こす。

ドローンエキスポへの出展

彼らとは出会ったものの、そこから先もまだ手探りだった。何をどこから始めればよいのかは全く見当もつかなかった。とりあえず、太平洋横断ができる機体の設計と研究は続けることにして、次の目標を2017年11月にサンノゼで行われるドローンワールドエキスポにおいた。

北米の航空関係者にアイデアの是非を問いかけてみることにしたのだ。

アイ・ロボティクスの事業も進捗しており、少なくとも日本国内では「ドローンで太平洋横断するぞ」と馬鹿なことばかりを言っているとメンバーに迷惑がかかるという状況も生じていた。だから、少しずつ国内から米国に露出を移動したという事実もある。

ドローンワールドエキスポの会場では、ちらほら日本人の参加者もいたが、出展側の日本人としては唯一だっただろう。端っこの小さなブースで3日間をエドとオリバーと過ごしたが、ここでまたもや思い知ったのはアメリカの航空産業の奥深さだった。

話を聞いてみると、ブースを訪れる人の大半が航空機の免許を持っているのだ。実際に飛んでいる空のプロたちであり、我々がコンセプトを展示している機体を見て、実に的確に質問をしてくる。当然ながら素人の私は答えられない質問ばかり。

私はドローン産業の本質を完全に勘違いしていたことをここで悟ったのだ。日本は小っちゃかった。そして我々の言っているドローンはそれこそおもちゃだった。アメリカがこれほどまで航空産業が身近にある国だとは思いもよらなかったし、日本とは全く環境が違う。

また、そんなプロたちがエドと会話をすると顔色が変わるのも目の当たりにした。空軍のテストパイロットがどんなにすごいのか私は知らなかったが、プロ中のプロなのだという事を思い知った。航空のプロたちがエドと話すと一様に尊敬の眼差しに変わるのだ。

エドは大西洋横断を成し遂げた米軍の無人爆撃機グローバルホークのテストを行ったパイロットの1人でもある。無論設計にも携わったし、実際に遠隔無人機がどうやって飛ぶかを知っているのだ。

セイバーウイングの立ち上げ

帰国した私は、アイ・ロボティクスの投資家でもあるドローンファンドと物流専門のイダテンベンチャーズに駆け込む。彼らも最初はピンと来ていなかったが、懸命に説得をした。「ドローンによる太平洋横断は可能だ。」

これは我が国の航空産業が70年もの間失っていた時間を取り戻す契機になる。彼らの知識は日本に必要なのだ。だから、この立ち上げは日本主導でやらなければならない。エドが立ち上げるセイバーウイングへの支援は我々でやるのだ。

実はこのころアイ・ロボティクスも厳しい状況にあった。大きな案件へのリソース集中の必要性が生じ、方向性の違うメンバーも出てきた。その後、アイ・ロボティクスは方向性をプラント向けのロボティクス・アズ・ア・サービス(RaaS)へと転換し、事業を大きく進捗させている。

分裂していった仲間もドローンの運航マネジメントソフトを開発するべく大きく事業を拡大させている。しかし、大きな夢には違いはない。方向も形も状況に応じて変わってよいのだ。アイ・ロボティクスは空の産業革新の実現のために最適なルートをとっただけであり、太平洋横断のプロジェクトは形を変えて進んでいる。

助かったのは、セイバーウイングの重要性をドローンファンドとイダテンベンチャーズの2つのVCは即座に理解し、機動的に動いてくれたことだった。彼らはリスク・マネーの在り方をちゃんと理解している。そして2018年1月にセイバーウイングは立ち上がる。最初の資金で、機体の設計を確定させた。エアカーで著名なモラー博士や大学研究室などを巻き込み設計のレビューを何度も行い、設計を確定させていく。

エドが私に再三指摘したことであるが、航空機は飛べばよいという事では決してない。安全に且つ確実に飛ばなければならないのだ。飛ぶかどうかはシミュレーションと経験の中で大体わかる。彼らはそれを30年も続けているからだ。だから、デザインを一度確定したら変えてはいけない。変えてしまっては航空機にとって一番重要な安全性・確実性が担保できなくなるからだ。

航空機製造において飛ぶための設計は最初の1歩に過ぎない。そのあとの膨大な飛行耐久テストや認証のためのロビー活動、膨大な資料作成や生産体制の確保が航空機製造の本質なのだ。アメリカでは飛ぶ機体をつくれるのは当然であり、その先が重要である。家電やオーディオを作るのとは全く違う工程になるのだが、そのノウハウも場所も日本にはない。人もいない。

アリュートとの歴史的提携

セイバーウイングは2019年に入り、アラスカのセントポールという島に住むアリュート族との提携を発表した。セントポール島はベーリング海の真ん中、絶海の孤島であり、ここに住むアリュート族はアメリカ国内の自治領としての数々の特権を認められている。

実は、アラスカのコミュニティの70%が道路でつながっていない。航空機でしか物資が輸送できないのである。しかし、天候が悪いと緊急物資などが届けられない。軍事的にも天然資源的にも非常に重要な地域であるが、そのライフラインは空に頼っている。

セイバーウイングの遠隔操作物流機は彼らには天啓だった。アリュート族はセイバーウイングから最初の10機(金額にして約40億円相当)を購入する契約をすでに結んでいる。

さらに、アリュート族はベーリング海全域に権益を有している。彼らはいわば、アメリカ連邦政府に干渉されずにこの空域を管理できるのだ。彼らは、アメリカ連邦航空局に対して、直径500kmにわたる無人機のテストレンジ開設を申請し、許可を得ている。

つまり、大型のドローンを作る際、連邦航空局の認証試験を通過するためのテストを事前にここでほぼ無制限に行うことができる。これはもの凄いアドバンテージになるのだ。また、アジアからアメリカ本土まで飛ぶ航空機は大抵セントポール島の上空を通過する。太平洋横断の際には非常に重要な基地ともなる

このような広大なテストレンジは日本にはない。つまり、日本には無制限に無人機を実験をする場所がない。航空局の認証をとるためには認証取得前に相当な時間の無事故の飛行時間を蓄積する必要があるのだが日本にはその場所がないのである。

実は私はその懸念を福島県に持ち込んだ。今では、100年後の我が国航空産業を見据えて、福島ロボットテストフィールドとセントポール島は提携に向けて動き始めている。これも、ドローンによる太平洋横断という一つの馬鹿げたアイデアから始まったステップの一つだ。

我が国の航空産業を見据えた時、セントポール島のテストレンジとの提携は大きな資産となるはずである。できればドローンによる太平洋横断も福島から飛びたい。福島の復興の旗印にしたい。そして、世界に先駆けて、超大型物流機のテストを日本でも早々に開始したいと思う。日本国内で実績を積んでおかないと太平洋横断もできない。

馬鹿げた夢の行方

ドローンによる太平洋横断は必ず成し遂げる。なぜならそれは我々の文明が一段上に行くために必要な大きな旗印だからだ。月に人を送ったアポロ計画と同じなのだ。みんながこんな馬鹿げた夢を掲げられたら世の中変わるだろう。

一方、これは特定の一人によって成し遂げられるものではないし、一カ国の中で完遂するものでもない。多くの人を巻き込み、形を変えて成し遂げられると思うし、称賛を得るのは成し遂げた人で良い。その過程では技術的にも社会的にも多くの副産物を生むだろう。事実、セイバーウイングの技術は我が国のエア・モビリティ・プロジェクトであるテトラにも使われている。

ドローンによる太平洋横断は簡単ではない。いや、実は結構何の気なしにぶち上げたんだけど、結構な量の障害があることも今になってわかった(笑)。通信やバッテリーや素材といった技術的な課題だけではなく、人々の精神的な問題、コミュニケーションの問題、規制環境の問題等々。

でもね、「できないからやるんだ」

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