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vol.2 インタビュー : 則包 怜音
Explore Kyoto vol.2
則包怜音 | Norikane Reon
2001年 香川県出身
2024年 京都芸術大学 美術工芸学科 油画コース 卒業
Q
制作している作品について教えてください。
A
グリッドの作品は、大学2回生に制作したのが最初で、その時は単純にマス目の役割でグリッドを引いて単純な色の配列だけの作品だったんです。そこからグリッドという形に自分の中で意味があると感じて残していったんです。グリッドを一言で表すとしたら、色々な意味での境界線かなと思っています。グリッドの跡を残したくなかったので、マスキングテープを使って、線は残るけれど物質としては残らない表現にしました。
Q
なぜ自由にかける平面に、区分けるための線を作ったのですか?
A
自分は平面構成であるテーマを文字として表すことはしてきたけど、あまり自分の考えを絵にすることがなくそれをわざわざ描きたいと思わない性格だったからどうしようかなと思い、ルールを作ってその中で何か作ることをやりはじめました。エクセルで乱数を出して、絵の具の色とリンクさせた数字を画面に当てはめて着色していくルールを作りました。
Q
作品のテーマについて言葉で教えてください。
A
空間性や時間性、受動性や能動性のような相反する感覚がテーマとしてあるなと思っています。均一に引かれているようで自分の思ってないところでズレが生じて、 思い通りになる部分と、自然にそうなっちゃう部分の矛盾が自分の中のテーマになってきた頃があったんです。次第にグリッドが、ツールの意味合いから、その矛盾を象徴する形の意味合いを持つようになりました。
アクリル版や金属板に、鑑賞者とその場所が映ることによって、絵の具がレイヤーでかかっている部分と混ざり合った時に、現実を映す空間と、自分の制作した時間とのレイヤーが境界線としてそこに存在するものになると思うんです。そこにも能動的に見る人がいれば、受動的にたまたま映り込む人のような、同じ作品の中でも別の感覚があります。その要になっているのがグリッドという形を作品に落とし込むルールだと考えています。作品の中の境界線でもあるし、自分の生活と制作の2つの時間軸の境界線とも捉えられる。区切っているようで1つの作品としてまとめてるものでもあり、鑑賞者と作者みたいな関係性もまた境界線で隔てていると感じています。
Q
空間性と時間性について教えてください。
A
自分にとっての制作と生活の時間を考えた時に、自分の二面生が顕著に見えるようなことが多々ありました。作らなくても生きていけるのに作りたい自分と、生活しなきゃいけないのに、洗濯や洗い物を怠けてしまう自分みたいな。その時間や空間の中でなんで自分がここにいるんだろうみたいな感覚に陥って、制作している自分と生活している自分、どちらが本質的なんだろうみたいに思うことがあって、その自分の二面性や矛盾をうまく表現できる作品を作れないかなと考えていました。作っている時間がないと生きていけないと言い切った方が楽で、そう言わないと自分の中で描かなきゃいけない理由を論理的に説明することができなくて。そうしたせめぎ合いの中に作品が存在してるのかなと思います。
Q
アートに関わる魅力を教えてください。
A
卒展に来てくれた人たちと話をして、コンセプトを理解して話を聞いてくれる人がいるっていうのは1つの魅力かなと思います。でも、それまではどうでもよくて、色々な人が声をかけてくるし、外で制作していたら「何やってんの。」みたいな感じになるんですけど、そこでは別に褒められるためにやってるわけじゃないみたいな感覚でした。でもいざ卒展に出すと初対面の人と、自分はこういうコンセプトでやってるみたいな話をするのが、思いのほか楽しくて驚きました。自分でもわかりやすい喜びとか話を広げるためのツールとしての喜びとは違い、自分自身を掘り下げて見れたような、深いところで共感して喜びが出たような感覚が、ある種の認められた感覚が魅力的な部分だと感じました。
Q
ルーツについて教えてください。
A
絵は昔から描いていました。幼い頃は砂場でみんなが遊んでいる時に、1人で部屋で黙々と絵を描いているタイプでした。色々な人に、「あの時はずっと絵を描いていたよね」と言われたりして、小学生の頃は新聞部のような部活に入って、作るのを真面目にやっていたなという記憶があります。当時からレタリングのような文字組みを自分なりに考えてました。水平垂直をちゃんと取っていたわけではないし、手書きで子どもが作った感じのものではあったけど、デザインをやろうと思ったルーツはそこかなと思います。
Q
伝えることの喜びの中に、描くから伝わるに変換したきっかけはありますか?
A
多分、描いて見せて先生や親が喜んでもらえるのが良かったんじゃないですかね。怪獣とか子どもが好きそうな主観的なものを描いて、誰かに見せて、渡してっていうのが楽しかった想いはずっと変わらずあります。それがよりパブリックになったのは高校時代、デザイン科の高校に通い始めてからです。伝えるものが客観的なものになり、それを伝えるために言語をなくして形にしましょうっていうのを習っていたので、明確に自分のことを伝えていた時期は中学生までだったと思います。
Q
そこからまた絵画に戻るのってすごく勇気がいることなんじゃないかと思います。
A
デザインがほんとに嫌になって、3年間やっていてしんどかったです。温かい絵が描けなくなったのも、もう自分のために何かをつくる世の中じゃないんだって思っちゃうくらいでした。頼まれたロゴとか、必要とされるから描くみたいな考えになって、でもそれに納得できない自分もいたなかで、デザインを学ぶことで技術はめちゃくちゃ高くなると感じつつも、なんか個性がないと感じて。デザインをこのまま続けてたら、自分は多分機械的な人間になっちゃうなと思って、しばらく課題とかをサボって、ずっと何もしない時期がありました。それから悩みながら、オープンキャンパスで今の大学の卒展を見に行ったときに、油画コースの東島先生とお話して、作品を見せたら、「面白くないことしてんだね。」って言われて。「辛そうだよ。」って言われたんですよ。その時に、見透かされたような気持ちとこの人なんか変な人だけどわかるんだと思って、それがきっかけで、地元に戻って初めて油絵具を扱って、絵を描いてまた東島先生に会いに行って「前よりはいいんじゃない、楽しそうだよ。」って言われたんです。それがきっかけでアートの道に進みました。人に伝えるのが嫌になったわけじゃなくて、伝え方がこれじゃないなって思ったからデザインからアートの方に、シフトチェンジしたんだと思います。
Q
伝わることが前提のデザインとアートの展示は違うような気がします。展示をすること、誰かに伝える、伝わることをどのように思っていますか?
A
根本的なところでは別にコンセプトは伝わらなくていいよなと思っていて、押し付けるのも嫌だし、画面を見てかっこいいとかそういう感情に動いてくれたらそれでいいかなっていう気持ちはあります。ただ、考え方はそうだけど、 人は社会的な生き物である以上、人の繋がりは必要で、作品を見てもらうことは必要な行為ではあるとも思っています。結局、誰かに見てもらいたい部分は何かしらあると感じてるんです。でも共感やコンセプトが伝わる必要はないと思っていて、見てもらった上でその人がどう感じるかを知りたいんです。だからこっちの方がいいよって言ってくる人も納得してそうかってなる人も必要で、展示って自分のことを話すためでもあるけど、それ以上に他者の意見を引き出すためのものでもあるように感じています。自分を知り、人を知るためのものとして絵画やアートの展示があるのかなと思っています。
Q
則包さんの作品は、絵の具と素材や空間にも重要なポイントがあると思うのですが、今回野外で展示するうえでどのように考えていますか?
A
平面作品を複数置いて空間を作ろうと思っています。作品の表面が場所を映す素材を使いたいと考えています。宝ヶ池公園での展示ってなった時に、宝ヶ池公園の写真を使った写真とか、そこで遊んでる人たちのスナップショットを使った制作しようと思ったんです。でも場所をダイレクトに映す方が、その時、その場所だから生まれる感覚があると思ったんです。表面に鑑賞者が映ることに意味がある作品を作りたいのと、空間を意識したくて複数の作品を考えていました。
Q
どのようなところから着想を得ていますか?
A
金属板を使った作品は、どこに置いてもその場所を映せる素材っていうテーマでやっていて、逆に今まで空間から考えたことって少なかったので、場所からちゃんとリサーチしてやろうって思ったのは初めてです。
Q
将来アーティストとして、どのように制作を続けていきたいかを聞かせてください。そもそもアーティストっていう自覚はありますか?
A
ないです。一応そういう括りの中にいるそうですけど、あまり自覚がなくて、アーティストって一括りにするものなのかなっていう感覚がずっとあるんです。行くとこまで行くと、村上隆は村上隆っていうもう生き物なんじゃないかという感覚です。もちろん描いている以上、アーティストとして生きていかないといけないけど、本当に嫌になったらやめるだろうなっていう感覚もありつつ多分やめられないだろうなっていう感覚もあるので。アートかどうかに限らず、これからも何かしら作ってそうだなって思います。その時に1番自分が楽しいと思ったように生きていて、でも何かを作るところからはきっと逃れられない気がしてます。
インタビュアー : 中村 心音