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犬を食べる事の意味
シアラ(愛犬)の灰と毛をどうしようかとずっと考えていた。(焼く温度を調節して骨を残すなどということはしないので全て灰になった。)
アマゾンにはペットの遺骨や遺灰を入れておく瓶やキーホルダーが溢れているけど、そんな金儲けの為の1980円(より高くてもいいけど)の"物"に大事な大事な犬を入れておくことはしたくなかった。物(ゴミ)で溢れかえる両親の家を吐きそうになりながら片つけてから”物”が大嫌いだ。物はいつかはゴミになるんです。
散灰も考えたけど、散灰してしまったら一緒にいられない。ということで辿り着いたのは「食べる」だった。
上の記事を書いた後に、灰と小さく切った毛をちょっぴり「ちじみ」にいれて食べた。
せめてクッキーとかお洒落にならなかったのかとも思うが、「食べるなら今!」と思い立った時に「ちじみ」を作っていたのでしかたないです。
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今、なんて素晴らしい選択をしたんだろう、と思っている。
なんか心臓と胃の真ん中の奥の奥の方にいつもシアラがいてくれる感じがするからだ。いつも一緒にいてくれる。自分がどこに行っても、この世界からいなくなる時も一緒だ。息子も食べた。息子は食べた事は知らない。でも、私は知っているので、息子が連れてきた、息子の犬だったシアラが今も息子と一緒にいて、彼を守ってくれてるのを私は知っている。
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Jared DiamondのCollapseを読んでいた時にカニバリズムの話がでてきて、どこかの部族の伝統文化として、家族がなくなったときにその肉を食べるのは”honor"だというような文章があった(と思う)。 今は「あ、そうなんだ!」と納得がいった気がしている。
食べる事によって、亡くなった人がいつも自分の中にいてくれて、そして守ってくれるというような気持ちを持つほど、亡くなった人への尊敬と愛情があった事を示す文化なんだなと(誤解してるかもしれないけど)、犬の灰を食べたあとに納得したような気がした。もしそうだとしたら、それを余所者の価値観で無理やりやめさせる行為は、なんて傲慢で残酷なんだろう。「自分が愛した人々が、愛情と尊敬を示してもらえずに去っていくのを黙って見送れ」という事だよ。
自分が誤解していた部分が(まだ誤解してるかもしれないけど)すこし腑に落ちた気がした。
(注 単発のカニバリズム事件や犯罪のことは言っていません。)
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残りの灰と毛もいつか少しずつたべよう。残りはシアラの生まれ故郷の海に戻そうかな。