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友達からの制裁
私の通っていた小学校には大きな花壇があった。
扇形をしていて、縦横20mくらいあっただろうか。
最も低い部分は通常の花壇くらい位の高さだが、階段状のになっており、最も高い場所(4段目)は1mくらいの高さになっていた。
そこに花が植えられているのだ。
小学校2年生のある日、その巨大な花壇の花の植え替えを行うため、昼休みに花を抜きとるボランティア的なものの募集があった。
募集と言っても「やりたい人は勝手に来てやっといて」程度のものであった。興味を持った私は、熊田くんという子と一緒に花壇へ行った。
花壇の中に入ると、階段状に少しずつ高くなっている花壇がステージのように感じ、そしてちょっと枯れ気味ではあるがそこに咲く花、そこの上に立って向き合う我々が、まるで当時はやっていた「ストリートファイターⅡ」の格闘家が戦うステージのようなイメージが湧いてきた。そして熊田君と一緒に戦いごっこを始めた。
ステージのようになっている花壇の中で戦う二人の姿は、美しい光景になっている様子を、第三者的な視線から見ていた。
盛り上がってきてしばらくした頃、クラスの男友達数人がやってきて
「おいタカシ!そんなとこで何やってんだよ!」
「お花が踏まれているじゃないか!」
「お花が可哀そうだろ!」
口々にそう言ってきた。
「いやいや、どうせもう花壇から抜かれ、捨てられる花だろう。いいだろ」
と言いたかったが、何も言わなかった。友達にあまりにも強い口調で言われたため、言い返せなかった。それが良くなかった。
そして、そのまま花壇から2人は引きずり降ろされ、近くのフェンスを背に立たされた。
フェンスに「貼り付けの刑」のように立たされた私と熊田くんは
「花の仇打ち」と称する同級生たちに次々と「走り込みパンチ」や「走り込みキック」を受けた。十数回受けたところで、花の仇打ちは終わった。
確かに枯れ気味ではあっても、花は咲いている。花はまだ生きている。
懸命に生きようとしている花にとっては、迷惑な奴だ。
花壇から引き抜かれる運命だったとしても、もう少し命というものを丁寧に扱うべきだったのかもしれない。
ただ、私と熊田くんが受けたことは、冷静に今考えると、ただの暴行を受けただけな気がする。
いくら花が可哀そうだとしても、彼らにそれを処罰する権利があったのだろうか。
ましてや処罰するために暴力を使う必要があったのだろうか。
彼らの「戦いごっこ」を本気でやる目的、実戦練習の場がちょうどそこにあって、利用されただけなのであろう。
これって、世界でも同じこと起きているな。
軍事力を持った国が、何か理由を付けて戦闘を行う。戦闘をする以外にも策はあるだろうに「制裁」「処罰」など理由を付けて戦争がはじまる。「正義」という名で暴力が行われる。
何らかの理由を付けて、自分の暴力を行う場面をつくる。
もしかすると、人にもともと刷り込まれた意識なのかもしれない。