北海道一周秘境駅めぐり③ 問寒別駅~雄信内駅
少し間が空きましたが、こちらの記事の続きです。
初回はこちら。
問寒別駅
糠南駅を出発し、誰もいない山道を30分ほど歩くと少し大きめの集落が見えました。問寒別の集落に到着です。
熊に出会うことなくここまで来られたことにホッとしながら、駅までさらに歩を進めます。
問寒別の集落は小中学校・郵便局・診療所・スーパーがあるちょっとした街でした。また、古民家を改造したゲストハウスが最北を目指す旅人に向けて営業しているようでした。
橋からさらに20分ほど歩いて、問寒別の駅に到着しました。
問寒別駅は貨車駅舎ですが外装が綺麗に作り直されています。駅の周囲には花壇とトイレが整備され、地元の方によってきめ細かく手入れがされていました。
駅舎の中に入ると、駅の歴史が分かる展示が見られました。
かつてこの近くに炭鉱があり、大量輸送手段である鉄道が発展すると共に、街も発展していったのだとか。いまでは小さな駅ですが当時は立派な駅舎があり、多数の駅員さんが働いていたようです。
さて、まもなく列車が来ます。雄信内駅へ向かいましょう。
雄信内駅
問寒別駅から2駅乗車し、雄信内駅に到着しました。
写真左の木造駅舎は築99年。この駅は来年6月で100周年を迎えるはずだったのですが、それを目の前にして廃止されてしまうとのことです。
残された時間がわずかということで、お盆休みを利用してやってきた鉄道ファンが5人下車しました(自分含む)。秘境とは……?
ちなみに、糠南駅で一緒に降りたお兄さんは問寒別駅でも一緒になり、ここでも一緒に下車しました。列車本数が限られているので、どうしてもルートが似てきちゃうんですよね。名前も聞いてないし必要以上の会話もしなかったですが、ちょっとした顔見知りになりました。これも旅の醍醐味でしょうか。
「ゴーストタウン」
雄信内駅周辺(雄興集落)は30年ほど前に無住地となっており、自治体のサイトでも「ゴーストタウン」と表現されています。
しかし、駅周辺を歩くとすでに在りし日の形を留めている家屋は少なく、「ゴーストタウン」はすでに通り越して自然に還りつつあるように思えました。
この「竹内商店」は、形の残っている貴重な家屋跡です。
商店跡から道を挟んで反対側にもかつては多くの家屋が建ち並んでいたそうです。
この通りも随分と賑わっていたようですが、いまでは雑木林となっており跡形もありません。
駅から少し離れたところには、小学校跡もありました。
写真の通り、残っているのは校門と廃校後に集会所として使われた小さな建物だけで、どこが校舎でどこが校庭だったのか判別することができなくなっていました。
閉校記念碑は綺麗に残っています。コンクリートの基礎に石を積み重ねてその上に碑が立てられており、この碑だけは草にも雪にも飲み込ませまいとする強い意志を感じました。
駅周辺には神社もあります。
分かりづらいですが、写真左側にしめ縄の下がった鳥居が、右側に赤い屋根の本堂があります。
もはや参道が歩けるかどうか怪しい有様だったのでお参りはできませんでしたが、遠くから手を合わせ旅の安全を祈りました。
八幡さまは村の守り神だったはずですが、無住地となって30年、駅廃止でついに鉄道ファンの参拝者もいなくなり、静かに役目を終えるのでしょう。
元住人が語る過去の駅周辺の様子
さて、1時間半ほど散策し、駅舎に戻ってきました。
駅舎を正面から見ると、ボロボロになりながら堂々と立つ姿が胸に迫りました。ひび割れた軒天がこの地の気候の厳しさを物語っています。
駅舎に入ると、古い木造建築に独特の埃っぽい臭いが充満しています。かつての出札口や貨物窓口は閉鎖され、がらんとしていました。
写真右の荷物台には駅ノートが置かれていましたが、その隣に興味深い資料がありました。
この駅近くで生まれ育ち、某有名大学で大学院教授を務めた方によって、住人がたくさんいた頃の様子が事細かに紹介されていました。
荒縄に捕まって吹雪の中で登校した思い出、上雄信内駅(仮乗降場)開業、倉庫を遊び場としていた大らかな時代、貨物駅としての雄信内、そして当時の地図と貴重な写真たち。
駅周辺に残った廃墟を思い返すと、証言が紛れもない事実であることが伺えました。著者の方は「兵どもが夢の跡」と表現されていますが、時代の流れの残酷さを感じました。人の営みは儚い。
あまり詳しくは説明しませんので、興味を持った方は廃駅前にぜひ見に行ってください。
さようなら雄信内駅
あっという間に2時間が経過し、雄信内駅ともお別れです。
立派な木造駅舎、ゴーストタウンを経て自然へ還りつつある市街地、それでもわずかに感じる人の営み、貴重な証言、と素晴らしい駅でした。
廃止になるのは残念ですが、おそらくこの木造駅舎は限界が近いのでしょう。倒壊事故が起こる前に駅を廃止し解体するのは安全上やむなしと思います。
実際、同じような木造駅舎を持っていた留萌本線の峠下駅は、廃止のわずか1年後に雪の重みで倒壊しています。これに人が巻き込まれていたらどうなっていたことか……雄信内駅の廃止は寂しくも賢明な判断です。
しかし、駅廃止後の集落跡は廃墟ファンと保線作業員が時々訪れるだけの土地になり、痕跡も人知れずなくなっていくことでしょう。駅が集落の記憶を残す役割を果たしていたのを図らずも知ることになりました。
さて、宗谷本線を南に下り、次は塩狩駅に向かいます。
(追記)続きです