自己紹介兼ねた我が人生
ちょっと病院のカルテ風に記載してみたいとおもいます。
4○才 男性 右効き ADL完全自立 生来健康 内服歴なし、 現病歴;特記事項無し
アレルギー歴;なしだと思う・・
既往歴:
198○年宮崎に生まれる。生んでくれた親に感謝。
198○年~小学校。人生で一番輝いていた!?田舎小学校で生徒会長、サッカー部エース??
199○年~父の仕事の関係でオーストラリア、メルボルンに滞在。サッカーを通じて国際交流。幼かったせいか海外という意識がなく、国境という概念がなくなる。ボディーラングエッジをマスターし、英語話せなくても生きていけることを確信。あとあと、この経験が痛手。ほくろが倍増・・・地球環境にもちょっことだけ関心がでた。
199○年~帰国。熊本私立○○○○中学編入。サッカー部に入って、楽しい毎日。またもや、サッカーを通じて友達ができる。スポーツの素晴らしさを実感。
199○年~熊本県立○○○高校。サッカーのレベルについて行けない事を実感。レギュラーがとれそうだった硬式テニス部に転向。没頭するも一回戦敗退続き(T_T)しかし3年最後のインターハイ県予選で初めてシングルベスト16に!これが人生の転機。努力は実ることを信じて医学部挑戦。むなしく派手に玉砕。
199○年。浪人。ダークな一年。勉強しかしなかった。模試でもE判定続き。つらかったな 。この体験談は後日shareします。きっと色んな受験生に役に立つはずです。
2000年~またもやセンター大失敗。諦めず医学部受験を決意。奇跡的に熊本大学医学部合格。おそらく最下位で入学。 さっそく、バイトに明け暮れる。引っ越し、新聞配達、カラオケ、バイク工場などなど。自分は接客業が向いていることを発見。
2002年~軽音部に在籍。勉強そっちのけで、ギターにはまるも、なかなか上達せず。練習に明け暮れるも、音痴治らず(T_T) 音楽は楽しむものと自分に言い聞かせて、軽音部退部。今はライブ聞く専門。
2004年~ポリクリを前にして、知識のなさに呆然。本格的に医学勉強開始。
2005年~京大米田教授、大和成和病院南淵先生、小倉記念病院延吉先生、湘南鎌倉病院森先生、デューク大学福島教授に会い、世界を相手にしている先生たちに感銘を受ける。一大決心してUSMLE(アメリカ医師国家試験)STEP1受験を決意!9割目指して頑張るも、すれすれで合格。
2006年 金もない、地位もない、とりあえず医師になるとができたため、上京を機に結婚。しかし、初期研修医時代は奥さんと顔を合わせるのは月数回程度。お互い新社会人だったため、仕事に没頭。仕事は忙しかったけど、たくさんの患者さんを見ることができた。頭で考えるより先に体は動くようになる。それだけでは、だめだと悟る。
2008年 ついに脳卒中診療に携わるようになる。カテーテルでは診断ができるようにトレーニングを積む毎日。学会では、フランス(口演1題)、スペイン(ポスター1題)と学会活動にも参加することができ、国際学会の楽しさを満喫。
2009年 幅を広げるため、神経内科、循環器内科ローテト ESC2009in stockholm, Sweeden(口演1題), Junior Investigator Award 受賞
2011年 ISC2011 AHA in L.A, US(Poster Presentaion2題)、UCLA Medical Center 血管内治療部見学 米国留学を決心。9月実母が肝臓がん(Stage 4)の診断。熊本から関東に来てもらい11月から在宅医療開始。翌年1月他界。現在医学の限界を感じて、基礎医学から始めて、新規治療法を開発していくことを決意する。
2013年 札幌へ移動。 脳梗塞再生医療の治験と研究を開始。大学院へ入学し、研究を行いながら、治験診療を行う。
2017年 医学博士取得。
2018年 日本脳卒中学会 総会 最優秀演題賞受賞 上原記念生命科学財団 海外リサーチフェローシップ Yale 大学 に移動。Postdoctoral Associate.
2022年 Neurotrauma 2022 招待シンポジウムにて発表。Yale大学医学部 Associate Research Scientistに昇進。
現病歴;なし
人生の目標
寝たきりの人を一人でも少なくして、一人でも多くの人が幸せな人生をすごしてもらえる社会を実現するために研究を行なっています。母を末期がんと診断された際に、治療の選択肢がないとわかった時の絶望感は忘れられません。生きたいと、良くしたいと思っている患者さんに、科学的に有効な治療法を一つでも多く提供できるようにしていきたいと思っています。あくまで、医療保険で全ての人が平等に治療が受けられるようにしていきます。つまり、基礎医学から、臨床研究までを丁寧に行い、科学的な根拠に基づいた治療を世界の人に届けたいと思っています。一部の経済的余裕のある方だけの治療に留めることには、違和感を感じています。もちろん否定はしません。
もう一つ、日本からの発信にこだわっていきたいと思っています。産業構造が変化していく中、日本が10-30年後世界をリードしていくには、細胞治療関連産業は、日本の武器になることは間違いないと思っています。米国で治験を行うことはあっても、あくまでも日本からの発信にこだわりながら、日本企業と協力しながら世界をリードする産業が生まれることを目指します。
現在は、幹細胞と幹細胞から分泌されるエクソソームの基礎研究と臨床研究を行なっています。現在は米国中心です。細胞治療、エクソソーム治療の最先端の知見と、長寿や神経難病に関する知見を不定期で発信していきたいとおもいます。AIでは知ることができない、Creativeな世界をお楽しみください。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?