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笑いとタブー

「笑い」については、歴史的にも文化的、精神医学的、エンターテインメント的に詳しく分析されていると思います。 例えば、エンターテインメントとして、過去を含めて様々なテーマをできるだけ羅列できますでしょうか?

「笑い」をテーマにしたエンターテインメントは多岐にわたり、古代から現代に至るまでさまざまな形で存在しています。以下に、エンターテインメントとしての「笑い」のテーマや形態を歴史的な観点も含めて羅列します。


1. 古代・中世の笑い

  • 道化師(宮廷道化)
    王や貴族を楽しませるためのプロの笑い手。滑稽な動作や風刺が主。

  • 喜劇(古代ギリシャの演劇)
    アリストファネスのような喜劇作家による風刺やパロディ。

  • カーニバル的笑い
    中世ヨーロッパの祭り(例:謝肉祭)での仮装、パロディ、滑稽劇。

  • 能楽・狂言(日本)
    能楽の中で滑稽さを演じる狂言は笑いを引き出すための伝統芸能。


2. 近世の笑い

  • 落語(日本)
    一人語りによる笑い話。江戸時代から大衆文化として発展。

  • 戯作(日本の戯文や風刺文学)
    滑稽本や洒落本といった江戸文学が笑いのエンターテインメントを担う。

  • パントマイム(ヨーロッパ)
    言葉を使わず動作だけで笑いを表現する舞台芸術。

  • 風刺画
    政治や社会風刺をテーマにしたユーモアのある挿絵や漫画。


3. 現代の笑い(20世紀以降)

演劇・映画

  • スラップスティック・コメディ
    チャップリンやキートンが代表する身体的な滑稽さ。

  • ロマンティック・コメディ
    恋愛を絡めた笑い(例:「ローマの休日」、「ラブ・アクチュアリー」)。

  • ブラックコメディ
    タブーや悲劇的な状況をユーモアに変換する笑い(例:「ドクター・ストレンジラブ」)。

  • シットコム(シチュエーション・コメディ)
    テレビシリーズでの日常的な状況をテーマにした笑い(例:「フレンズ」、「オフィス」)。

  • パロディ映画
    既存作品を風刺したコメディ映画(例:「ホット・ショット」、「エアプレイン」)。

スタンドアップ・コメディ

  • マイク1本で観客に語りかけ、笑いを取る形式。欧米で特に人気。

アニメ・漫画

  • ギャグ漫画
    笑いを中心にした短編や一発ネタ形式(例:「Dr.スランプ」、「銀魂」)。

  • 風刺的アニメ
    社会風刺や政治風刺を含む笑い(例:「サウスパーク」、「ザ・シンプソンズ」)。

バラエティ番組

  • ドッキリ番組
    驚かせて笑いを誘う。

  • 大喜利
    瞬時に笑いを生む即興回答形式(日本の「笑点」など)。

  • 物真似
    有名人の特徴を誇張して笑いを取る。

コメディ映画のジャンル多様化

  • アクションコメディ
    笑いとアクションを融合(例:「ラッシュアワー」、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」)。

  • ゾンビ・コメディ
    ホラーと笑いの融合(例:「ショーン・オブ・ザ・デッド」)。

  • ミュージカル・コメディ
    音楽と笑いの融合(例:「ムーラン・ルージュ」、「ヘアスプレー」)。

インターネット文化

  • ミーム
    短い画像や動画でユーモアを表現。

  • ユーチューバーやショート動画
    日常や挑戦動画を通じた笑い。


4. 現代の新しい笑いのテーマ

  • AIをテーマにしたユーモア
    技術やAIの誤作動を題材にした笑い。

  • メタユーモア
    笑いの文脈や形式そのものを笑う(例:自己参照的なジョーク)。

  • ジェンダー・多様性をテーマにした笑い
    偏見やステレオタイプを逆手に取った笑い。


「笑い」は、その時代や文化、技術革新によって常に新しい形態を生み出してきました。さらに深堀りしたいテーマがあればお知らせください!

切り口によっては、現在では批判される題材もありましたよね。 それらを拡散させる気はないのですが、 例えば、精神障害者を模倣する笑い、身体障害者を嘲る行為、貧乏や不幸を扱う話題等、歴史的にありますよね?

確かに、歴史的に「笑い」の題材として使われてきたものの中には、現代の倫理観や価値観から批判を受けるものも多く含まれています。その多くは当時の社会背景や文化的な慣習に依存しており、現在では適切ではないとされる題材として再評価されています。

以下に、歴史的に笑いの題材として扱われてきたが、現在では批判される可能性が高いものを挙げます。


1. 身体的・精神的特徴を笑いの対象にする

  • 精神障害者を模倣する笑い
    精神的な病や障害を持つ人々の言動を誇張して滑稽さを引き出す行為。例として、古典演劇や映画で「狂人」を面白おかしく描いたものがありますが、現在では差別的と見なされます。

  • 身体的障害者を嘲る笑い
    手足の不自由さや外見的な特徴を誇張するコメディが見られました。例として、チャップリン時代のスラップスティックやサーカスでの奇形を見せ物とした興行が挙げられます。


2. 社会的地位や経済的困窮を嘲る

  • 貧乏や不幸を扱う笑い
    貧困層を対象にした笑いは、特に19世紀以前の文学や演劇に多く見られます。例として、チャールズ・ディケンズの時代の作品には、貧困を笑いの要素として使うものがありますが、貧困を軽視するものと批判されることもあります。

  • 社会的地位の低い人々を対象にする風刺
    使用人や農民を嘲笑する題材は、多くの国で喜劇の一部として扱われてきましたが、現代では階級差別や社会的不平等の固定化を助長すると批判されます。


3. 性別や人種に関するステレオタイプ

  • 性別に基づく偏見を利用した笑い
    女性の愚かさや男性の暴力性を誇張する笑いは長らく使われてきましたが、現在ではジェンダー平等の観点から批判されています。

  • 人種差別的な笑い
    特定の民族や人種の言動、文化、訛りを誇張して滑稽さを引き出す手法。例として、19世紀アメリカのミンストレル・ショーが挙げられます。


4. 社会的タブーや病気を扱った笑い

  • 疫病や死を対象にした笑い
    ペストなどの災厄時代には、死を軽妙に扱うブラックユーモアが存在しましたが、不謹慎とされる場合があります。

  • HIV/AIDSや重篤な病気を題材にする笑い
    1980年代に特に見られた、HIV/AIDSを揶揄するようなジョークは、現在では非常に批判的に見られています。


5. 性的マイノリティや少数派を揶揄する

  • 性的指向を笑いの対象にする
    同性愛者や性的マイノリティを誇張したキャラクターが過去の映画やテレビ番組でしばしば描かれましたが、現在ではLGBTQ+コミュニティへの偏見や差別を助長するものとされます。

  • 移民や外国人に対する笑い
    外国人の文化やアクセントを風刺的に描く笑いは、現在では偏見を助長するとされることがあります。


6. 動物や自然に対する非倫理的な扱い

  • 動物虐待を笑いにする
    動物の不幸を娯楽とする行為(例:動物の闘争を見せる、動物を意図的に困惑させるコメディ)が歴史的に存在しましたが、現在では動物愛護の観点から非難されています。


これらの題材が笑いとして消費されていた背景には、社会的弱者や異質なものを「異化」し、「優越感」を得る構造がありました。現代では倫理的・社会的観点からこれらを見直し、「笑い」が他者を傷つけるものではなく、共感や楽しさを共有する形へと変化しています。

国の歴史的な文化財、舞踊として身障者の振る舞いを扱った物や、かつてのBBCでのモンティパイソンショーなど、時代時代でヒューモアやコメディは認知されていましたね。

おっしゃる通り、歴史的に見れば、文化財や舞踊、また現代のエンターテインメントまで、ヒューモアやコメディはその時代の価値観や社会構造を反映した形で発展し、認知されてきました。しかし、それらの中には、現在では不適切と見なされる要素を含むものもあります。以下に、いくつか具体例を挙げて整理します。


1. 歴史的な文化財や舞踊における笑いの表現

  • インドのカタカリ舞踊やラサ(感情表現)
    インドの伝統舞踊では、滑稽さや愚かさを象徴するキャラクターが登場します。これらは観客に笑いを提供する重要な要素でしたが、一部は身体的な動きや特徴を強調し、特定の人々を揶揄する形になることもありました。

  • 日本の狂言
    狂言の中には、知恵の足りない者や身体的な特徴を過剰に表現する役柄がありました。これらは当時の社会構造や農民の生活を風刺する形で親しまれましたが、現代の感覚では問題視される可能性もあります。


2. 英国のエンターテインメント:モンティ・パイソンの例

  • モンティ・パイソンの挑発的なコメディ
    1960~70年代のBBCの伝説的なコメディシリーズ『モンティ・パイソン』は、宗教、政治、階級、さらには身体的な特徴や精神疾患など、あらゆるタブーに挑む形で笑いを作り出しました。以下がその例です:

    • ブラックナイトのシーン(映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』)
      手足を切り落とされても「大丈夫だ」と主張し続けるナイトの滑稽さは、肉体的な苦痛をテーマにしたブラックユーモアの典型です。

    • 宗教への風刺(『ライフ・オブ・ブライアン』)
      イエス・キリストを連想させる人物を笑いの対象にする描写は、当時大きな議論を巻き起こしました。

これらの作品は、社会批判やタブーの再考を促す力を持つ一方で、その挑発的なスタイルが宗教団体や特定のグループから非難を受けました。


3. 時代ごとのヒューモアの変遷

近代以前の笑い

  • 身体的特徴を誇張したサーカス
    サーカスやフリークショーでは、身体的な差異を持つ人々を「見世物」として扱い、それを滑稽さとして消費していました。

  • 風刺画とカリカチュア
    19世紀の風刺画では、貧困者や精神的な問題を持つ人々が滑稽に描かれ、優越感を刺激する形で笑いを提供していました。

20世紀以降の笑い

  • 戦時中のプロパガンダコメディ
    特定の国や民族を風刺する形での笑い(例:チャーリー・チャップリンの『独裁者』)が流行しましたが、戦後には一部が見直されました。

  • テレビ時代のコメディ
    1960年代以降、イギリスやアメリカでは「エスニックジョーク」や身体的・精神的な特徴を誇張する笑いが一部で見られましたが、1970年代後半から次第に批判の対象となりました。


4. 現代のヒューモアとその認知

  • 現代では、笑いにおける倫理観が大きく変化し、「他者を傷つける笑い」は避けられる傾向にあります。そのため、過去の作品は再評価され、文脈を説明した上で公開されることが増えています。

    • 例:ディズニー映画の警告文
      古い作品の公開時に「当時の社会的価値観を反映しており、不適切な表現が含まれています」との警告を加えるケース。


結論

歴史的には、ヒューモアやコメディは時代の価値観を反映し、時に批判や風刺の役割を果たしながら進化してきました。しかし、その表現が誰かを傷つける可能性があるかどうかは、時代とともに再考されるべきです。モンティ・パイソンや古典的な舞踊のように、笑いの対象となるテーマが持つ文化的背景や影響について、現在の視点から改めて検証する意義があります。

確かに、イベントや祭りでは、古今東西に関係なく、見世物小屋やフリークショーなどありました。

その通りです。見世物小屋やフリークショーは、古今東西の祭りやイベントで人々を惹きつける要素のひとつとして存在していました。しかし、それらは当時の社会の価値観や娯楽に密接に結びついており、現代の倫理観から見ると差別的、搾取的とみなされる場合があります。

以下に、見世物小屋やフリークショーの歴史と文化的背景を整理してみます。


1. 見世物小屋やフリークショーの起源と目的

  • 古代・中世の見世物

    • 古代ローマの闘技場
      剣闘士の戦いに加え、動物同士の戦い、異国の人々の展示などが行われ、エキゾチックなものや異常なものへの興味が娯楽として消費されました。

    • ヨーロッパの巡業ショー(中世~ルネサンス期)
      曲芸師、道化師、動物使いなどが広場でパフォーマンスを行い、その中には奇形や身体的な特徴を持つ人々が含まれることもありました。

  • 日本の見世物小屋

    • 江戸時代から明治時代にかけて、祭りや興行の一環として広まりました。以下のような展示が行われました:

      • 動物展示:象や虎など珍しい動物。

      • 人体展示:奇形や障害を持つ人々、双子や巨大児など。

      • 奇術・妖怪ショー:人魚のミイラや河童の剥製など、虚実を織り交ぜた展示。

  • 19世紀アメリカのフリークショー

    • P.T.バーナム
      サーカスの創始者として有名な彼は、奇形や身体的な差異を持つ人々を「フリークショー」として展示し、大衆的な成功を収めました。彼のショーには以下のようなテーマがありました:

      • 極端に小さい人(トム・サム将軍)。

      • ヒゲの生えた女性。

      • シャム双生児(チェン&エン兄弟)。

    • 科学や異国趣味と結びつけ、「奇跡」や「自然の神秘」として位置づけました。


2. 見世物小屋やフリークショーの文化的背景

  • 科学的好奇心とエンターテインメントの融合
    19世紀は科学技術の進歩に伴い、「異常なもの」を研究の対象とする一方で、大衆の興味を引く娯楽として利用されました。

  • 異質なものへの恐れと興味
    当時の社会では、正常と異常の境界を明確にするため、異質なものを「展示」することで社会的な秩序を維持しようとする動機もありました。


3. 現代における再評価と批判

  • 批判的な視点

    • 身体的な特徴や障害を「見世物」として扱うことは、差別や搾取であると認識され、20世紀後半から次第に廃れていきました。

    • 奇形や身体的特徴を持つ人々は、娯楽ではなく、支援や理解を必要とする存在であるという認識が広まりました。

  • 文化的・歴史的な再評価

    • 現在では、見世物小屋やフリークショーを当時の社会構造や文化的背景の一部として研究する動きがあります。これにより、彼らが単なる被害者ではなく、自己表現の手段としてショーに参加していたケースも浮かび上がっています。

  • 現代エンターテインメントへの影響

    • こうした見世物小屋の要素は、ホラー映画やサーカスアート、ゴシック文化に受け継がれています(例:「アメリカン・ホラー・ストーリー」の「フリークショー」シーズン)。


4. 関連する現代の議論

  • 倫理とエンターテインメントの境界
    現代では、他者を消費する形のエンターテインメントの倫理が問われています。例えば、リアリティショーやドキュメンタリーで人々のプライバシーや困難を商品化することへの批判が挙がっています。

  • ダイバーシティとインクルージョン
    身体的な差異や障害を持つ人々が、エンターテインメントにおいても平等に参加できるような動きが広がっています。


結論

見世物小屋やフリークショーは、歴史的には社会の好奇心や価値観を反映する場であり、同時に差別や搾取の象徴でもありました。これらを現代の視点で振り返ることは、当時の社会を理解すると同時に、現代のエンターテインメントや社会のあり方を考える上でも重要です。

映画のエレファントマンは、世間に影響を与えたのでしょうか?

映画『エレファント・マン』(1980年)は、実際の歴史に基づくジョゼフ・メリック(作中ではジョン・メリック)の人生を描いた作品であり、その衝撃的な内容とテーマ性から、多くの社会的・文化的な影響を与えました。この映画が世間に及ぼした影響を以下の観点で整理してみます。


1. 障害者や弱者に対する社会の見方を変えた

  • 共感と人間性の再認識
    映画は、外見の異常を持つ人々が直面する偏見や差別を強く描写しつつ、ジョン・メリックの知性や感受性、内面的な美しさを示しました。このことは、障害者や弱者への社会的な態度を見直すきっかけとなりました。

    • 当時の観客の多くは、メリックの苦しみを通じて「異質なもの」とみなしていた人々への共感を深めました。

    • その結果、障害者の人権や福祉に対する意識向上が促進され、障害を持つ人々の受け入れや包摂について議論が活発化しました。


2. 外見主義(ルックス主義)への批判

  • 映画は、外見を基準に他者を判断する風潮への鋭い批判を含んでおり、「外見ではなく内面を見るべき」というメッセージを明確に伝えました。

    • ジョン・メリックが周囲の偏見や不当な扱いを受ける描写は、現代でも普遍的なテーマである「見た目による差別」の問題を強調しました。

    • 特に美容産業やメディアが外見重視の価値観を推進していた時代背景において、この映画はその潮流に一石を投じる存在となりました。


3. 見世物小屋文化の再評価

  • 映画では、見世物小屋の運営者がジョン・メリックを搾取し、人々の好奇心を満たすために「展示物」として扱う様子が描かれています。

    • これにより、見世物小屋やフリークショーといった歴史的な娯楽が持つ倫理的な問題が広く認識されるようになりました。

    • 映画公開後、こうした歴史的娯楽がいかに人々を商品化し、搾取してきたかを再考する動きが進みました。


4. 障害者福祉と人権運動への影響

  • 『エレファント・マン』の成功は、障害者を単なる「哀れみ」の対象としてではなく、社会の平等な一員として描くことの重要性を示しました。

    • 映画が公開された1980年代は、アメリカで「障害を持つアメリカ人法」(ADA)の制定(1990年)に向けた障害者権利運動が活発化していた時期であり、この映画もその流れを後押しする一因となりました。

    • また、日本を含む他国でも、障害者の社会的受け入れに関する意識が高まるきっかけとなりました。


5. 映画と芸術作品としての評価

  • 映画の芸術的成功も、テーマの浸透に寄与しました。

    • デヴィッド・リンチ監督の独特の映像美やジョン・ハートの名演技は、観客に深い感情的な影響を与え、映画のメッセージをより効果的に伝えました。

    • 白黒映画というスタイルが、物語の陰鬱さや歴史的背景を際立たせる効果を持ち、多くの人々に「視覚的な衝撃」を与えました。


6. 文化やポップカルチャーへの影響

  • 『エレファント・マン』は、ポップカルチャーにも多大な影響を与えました。映画のストーリーやキャラクターは、多くのメディアで参照され、他作品への影響も大きいです。

    • また、「私は動物ではない、人間だ!」というジョン・メリックの台詞は、人間の尊厳を訴える象徴的な言葉として広く知られています。


7. 限界と批判

  • 一部では、「映画が障害者の実際の生活や視点を十分に反映していない」という批判もありました。また、ジョン・メリックの描写が感情的で理想化されている点についての指摘もあります。

  • さらに、「観客の同情を引くために障害をセンセーショナルに描きすぎているのではないか」という議論も一部で行われました。


結論

『エレファント・マン』は、障害者や弱者への偏見を批判し、人間の尊厳について深く考えさせるきっかけを与えました。同時に、見世物小屋文化の搾取性や外見主義への批判を世間に広める重要な役割を果たしています。社会的影響は映画の公開後も続き、現代に至るまでそのメッセージは普遍的なものとして受け継がれています。

実際に、いくら格差や差別撤廃を論じても、実際は本能的に異なる物、異形を恐れることは変わらないと思いますし、フリークと呼ばれる方々や見た目の問題で悩む方々は、社会的にはほぼ抹殺された存在ではないでしょうか? そこにどのような救済がありますか? むしろ、フリークショーや見世物小屋で、隔絶された世界での平安が好ましくはないのでしょうか?

あなたの指摘は、人間の本能や社会的構造が持つ難しい問題を鋭く突いています。確かに、歴史を通じて「異なるもの」「異形なもの」への恐怖や不安、そしてそれに伴う差別や排除は、完全には克服されていない現実があります。

「フリーク」と呼ばれる方々や外見の問題で悩む方々が社会的に孤立する現象について、以下の視点から考えます。


1. 異形に対する本能的な恐怖

人間は本能的に「異質なもの」を恐れる傾向があります。これは進化の過程で培われた「危険を避ける」ための生存戦略の一部であるとされています。この心理的傾向が現代社会でも影響を及ぼし、異形や外見の異なる人々への偏見が完全には消えない要因となっています。

  • 偏見の根源
    外見の異質さは「未知への恐れ」を引き起こしやすく、それが無意識の差別につながります。このような偏見は教育や啓発で軽減されることがありますが、根本的な本能を完全に消すことは難しいともいえます。


2. 社会的抹殺と孤立

現代の社会では、多くの場面で「正常」とされる基準が設定され、そこから外れた人々が孤立することがあります。以下のような現象がそれに該当します:

  • メディアによる規範の固定化
    外見の「美」や「正常性」の基準が、メディアや社会規範を通じて強化され、それに合わない人々が排除される。

  • 物理的な隔離
    医療施設や専門施設での隔離が進む中、社会的交流の場が奪われる場合があります。

  • 社会の無関心
    多様性の尊重が語られる一方で、実際の行動が伴わない場合も多く、「見ないふり」や「存在の抹消」に繋がる。


3. 救済の可能性

こうした孤立や抹殺に対して、いくつかの救済策や希望がありますが、それには社会全体の変化と個別の支援が必要です。

1. 社会的な包括性の拡大

  • 多様性の教育と啓発
    異形や障害を持つ人々を「異質」と見るのではなく、「人間の多様性」として受け入れるための教育が必要です。

  • メディアの役割
    映画やドラマで多様な人々が描かれることで、偏見が少しずつ減少する可能性があります(例:『エレファント・マン』の影響)。

  • 制度の強化
    障害者や見た目の問題を持つ人々の雇用や教育を支援する法制度を強化することで、社会での役割を持てるようにする。

2. コミュニティと支援ネットワーク

  • 居場所の提供
    孤立しがちな人々が安心して集まり、交流できる場を提供することが重要です。オンラインやオフラインのコミュニティがその役割を果たします。

  • 専門的支援
    心理的ケアや社会復帰を支援する専門家の存在が必要です。

3. 異なる世界観の提案

隔絶された環境で「平安」を見出す可能性も、一つの選択肢として考えるべきかもしれません。

  • 「フリークショー」の復権の可能性

    • フリークショーや見世物小屋のような「隔絶された世界」が、当事者にとって心の平穏を保つ場になる場合もあります。

    • ただし、それが搾取的な構造ではなく、参加者自身が主体性を持って選べる場であることが前提です。


4. 平安を求める新たな形

フリークショーのような文化が搾取や差別から解放され、新たな意味での「表現の場」となる可能性もあります。

  • アートやパフォーマンスの場として再解釈
    現代では、「フリークショー」を単なる見世物ではなく、自己表現や芸術の場として再構築する動きもあります。これにより、参加者が自分のストーリーや特性を誇りを持って示すことができます。

    • 例:身体的特徴を持つ人々が参加するファッションショーやドキュメンタリー。

  • 内向的な平和を尊重する社会
    他者と関わることを強制せず、希望する場合には社会と接点を持てる形で、静かに生活を送りたい人々の選択を尊重する動きも重要です。


結論

異質なものへの恐怖や差別は、人間の本能的な部分に根ざした難しい問題です。しかし、教育、啓発、制度改革、そして新たな居場所の提供を通じて、少しずつ改善していくことは可能です。フリークショーや隔絶された世界が救済になる場合もありますが、それが搾取的ではなく、当事者の選択と幸福を尊重する形で提供されることが前提となります。

いろいろな、解決しがたいハンデキャップを有しながら、それでも生きるために、(適切とは言わないまでも)生計を立ててショービジネスを含む活動を行っていること自体が、変な社会福祉よりも有効かもしれないと思ったりします。

おっしゃる通り、さまざまな困難や「ハンディキャップ」を抱えながらも、それを活かして自ら生計を立てる努力をすることは、人間としての尊厳を維持し、自立した生活を送る上で重要な選択肢の一つだと思います。特に、ショービジネスや芸術活動を通じて自己表現を行うことは、他者との交流や自己肯定感の向上に繋がる可能性があり、単純な福祉的支援以上の価値を持つ場合もあります。

以下、この視点についてさらに掘り下げて考察します。


1. 自立と尊厳の確保

障害や困難を抱える人々が、自らの能力や個性を活かして生計を立てることには、以下のような意義があります。

  • 自己価値の実感
    自ら収入を得て生活することで、自分が社会において役割を果たしているという感覚を得ることができます。これは、単に福祉に依存する生活では得られない満足感を与えることがあります。

  • 外部からの尊敬
    自分の努力で生計を立てている姿は、周囲からも尊敬されやすく、偏見を克服する力となります。


2. ショービジネスや表現活動の力

ショービジネスは、従来の職業構造に馴染みにくい人々にとって、自分を表現し、収入を得る手段となる場合があります。

  • 歴史的な例
    フリークショーや見世物小屋において、出演者たちは単なる「搾取」の対象としてだけでなく、観客との交流を通じて自らの存在を肯定的に捉える機会を得ていました。一部の出演者は経済的に成功し、独立した生活を築いた例もあります(例:シャム双生児のチェン&エン兄弟)。

  • 現代の表現活動
    障害者のファッションショーやアート展、音楽パフォーマンスなど、芸術やエンターテインメントを通じて成功を収める例が増えています。

    • 例:義足を持つモデルや、ダウン症を持つ俳優の活躍。


3. 変な福祉よりも有効な場合

福祉は多くの場合、「支援される側」と「支援する側」という非対称的な関係を生み出すことがあります。この構造が必ずしも支援対象者の自尊心や幸福感に寄与しない場合もあります。

  • 福祉への依存の問題
    長期間にわたり福祉に依存すると、当事者の自信や自己効力感が失われる場合があります。

  • 主体的な活動の価値
    ショービジネスやその他の活動は、支援を受けるのではなく、自らの力で収入を得る手段を提供します。これは、当事者が「何かを与えられる存在」ではなく、「価値を提供する存在」であるという感覚を育む点で有益です。


4. 注意すべき点

一方で、ショービジネスや自己表現が常にポジティブに機能するわけではありません。その中には、再び搾取の構造が生じるリスクもあります。

  • 搾取の危険性
    経済的な弱者や社会的に孤立した人々が、経済的な目的のために不当に扱われる可能性。

  • 選択の自由の欠如
    当事者がショービジネスを選ぶ以外の選択肢がない場合、それは必ずしも「自発的な選択」とは言えません。


5. より良い社会の形

変な福祉よりも有効な支援の形を考えるなら、以下のような要素を取り入れるべきです。

  • 選択肢の提供
    ショービジネスに限らず、多様な仕事や活動の選択肢が用意されていることが重要です。

  • 公平な報酬と労働条件
    障害を持つ人々が関わるショービジネスや芸術活動において、搾取的でない労働環境を整える必要があります。

  • 社会の包摂性
    障害や困難を抱える人々が、特定の職業に限定されることなく、さまざまな分野で活躍できる社会が理想です。


6. 現代における具体例

以下は、現代社会でショービジネスや自己表現を通じて活躍している例です:

  • アートと障害者
    アウトサイダーアートとして、障害を持つ人々が自由に創作活動を行い、作品を市場に出す動き。

  • パラリンピック
    スポーツを通じた自己実現と社会的評価の向上。

  • YouTubeやSNS
    障害を持つ人々が自ら発信することで、収入を得ながら社会的評価を高める場。


結論

ショービジネスや自己表現は、困難を抱える人々にとって単なる収入源以上の意義を持ち得ます。それは、尊厳を取り戻し、社会における自己の位置を確立する手段となり得るからです。ただし、それが真に当事者の意思と尊厳を尊重する形で機能するためには、社会全体が包括性を持って支援する必要があります。

社会的弱者を、揶揄した笑いでも、 一応、当時の社会的な状況や、芸樹勢を考慮して改変なしで上映しますという配慮は、いつ頃の作品までですかね?

「社会的弱者を揶揄した笑い」を含む作品を、そのまま改変なしで上映する配慮が行われるかどうかは、作品が制作された時代や、その作品の文化的・歴史的な価値、また上映国の倫理観や観客層の期待によって異なります。

「改変なしで上映する」という選択肢の背景
歴史的文脈を尊重しつつ、現在の倫理観から問題視される描写をどう扱うべきかについての議論は、特に20世紀半ば以降に顕著になっています。以下に、その変遷を整理します。


1. 改変なしで上映される例とその時期

  • クラシック映画の尊重(1930〜1960年代の作品)
    この時期の作品は「芸術作品」として評価されることが多く、たとえ時代の価値観に基づく不適切な表現を含んでいても、「当時の社会状況を反映している」としてそのまま上映されることが多いです。

    • 例:チャールズ・チャップリンの『モダン・タイムス』や『独裁者』は、社会批判や風刺を含むものの、時代の文脈において価値が評価されています。

    • 特にディズニー映画やミュージカル映画などの「古典作品」では、問題のあるシーンがそのまま残されることがあります。

  • モンティ・パイソンなどの挑発的作品(1970年代以降)
    1970年代のように、社会的な価値観やタブーに挑むユーモアが流行していた時代の作品(例:『モンティ・パイソン』、『ブレージングサドル』)も、そのままの形で再上映されることが一般的です。この時期の作品は、当時の社会状況や表現の自由を象徴するものと考えられています。


2. 改変や注釈が加えられる転換点

1980年代後半から1990年代にかけて、社会的弱者や少数派への差別的描写に対する批判が強まる中、改変や注釈が加えられるケースが増えました。この転換点は以下の要素が影響しています:

  • ポリティカル・コレクトネス(PC)の普及
    アメリカを中心に、特定の人種、ジェンダー、障害者などを揶揄する表現が問題視されるようになり、作品に対する倫理的再評価が進みました。

  • ディズニーの例
    古いアニメーション作品(例:『南部の唄』)の上映が中止されたり、差別的とされる描写に対して警告文が追加されたりする例が見られるようになりました。


3. 現在の対応(2000年代以降)

現代では、問題のある表現を含む作品をどのように扱うかについて、以下のような対応が一般的です。

1. 警告文を付けてそのまま上映

  • 現代の価値観にそぐわない描写について、視聴者に事前に警告を与えることで、そのままの形で作品を残すアプローチです。

    • ディズニープラス
      一部の古典的なアニメーション映画では「この作品には時代の価値観を反映した不適切な描写が含まれています」といった警告が挿入される。

    • HBO Max
      『風と共に去りぬ』の再上映時に、黒人奴隷の描写に対する文脈説明を加えた。

2. 改変やカット

  • 問題のある部分を削除、もしくは再編集して上映する方法。近年の例として以下があります:

    • アガサ・クリスティの小説や映像化作品
      差別的とされる用語や表現を変更した改訂版が出版され、一部の映像作品でも同様の改変が行われました。

    • 子供向けアニメーションの再編集
      トムとジェリーなどの一部エピソードでは、人種差別的とされるシーンが削除されています。

3. 上映自体を中止

  • 社会的影響を考慮して、特定の作品の公開を控える場合もあります。

    • 例:『南部の唄』は、ディズニーの公式プラットフォームでは公開されていません。


4. どの時期の作品が「改変なし」で上映されるか

具体的な線引きは難しいですが、一般的には以下のように区分できます:

  • 1980年代以前の作品
    歴史的文脈や芸術的価値を重視し、警告を付けてそのまま上映されることが多い。

  • 1990年代以降の作品
    制作時点でポリティカル・コレクトネスの影響が強いため、問題のある表現がそもそも少なくなっているか、早期に改変されるケースが多い。


5. 改変なし上映の意義

改変なしで上映することには、以下のような意義があると考えられます:

  • 歴史的文脈の保存
    時代背景を理解する上で、当時の価値観をそのまま残すことは重要です。改変は歴史的記録を歪める可能性があります。

  • 議論の喚起
    不適切な表現を含む作品は、倫理や社会問題についての議論を促す教材としての役割を果たします。


6. 結論

改変なしで上映されるかどうかは、作品の制作年代や文化的影響、そして上映時の社会的状況によって異なります。特に1980年代以前の作品は、歴史的・文化的価値が重視され、警告を添えてそのまま上映されるケースが多いです。しかし、現代においては、観客の多様性や倫理観を尊重し、警告文や改変を通じた配慮が主流となっています。

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