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複数のバース党

バース党と呼ばれる組織は、中東にたくさんありますよね?

「バース党(バアス党、アラビア語ではحزب البعث Ḥizb al-Baʿth)」と呼ばれる組織・政党は、確かに中東地域に複数存在します。ただし、「バース党」と一口にいっても、実際には「シリア派バース党」と「イラク派バース党」の二大潮流があり、それぞれが他国にも支部や系列組織を持ってきました。


バース党の概要

  • 正式名称
    アラビア語で「حزب البعث العربي الاشتراكي(ヒズブ・アル=バアス・アル=アラビー・アル=イスシュラキー)」。日本語では「アラブ社会主義バース党」や単に「バース党(バアス党)」などと呼ばれます。

  • バース主義(バアス主義)
    「アラブ民族の再生(復興)」を目指すという意味の「バアス(復興・再生)」に由来する、汎アラブ(アラブ統一)・社会主義的なイデオロギー。

    • アラブ世界の統合

    • 社会主義的政策(経済の国有化や社会保障の重視)

    • 世俗主義(宗教に基づく政治の排除)


二つの系統

シリア派バース党

  • 1963年のクーデター後、シリアで政権を掌握し、1966年の党内対立で「シリア派」が優勢に。

  • ハーフィズ・アル=アサド(後に息子のバッシャール・アル=アサドに引き継がれる)を中心とした独裁体制を築き、現在に至るまでシリアの事実上の与党として存続しています。

イラク派バース党

  • 1968年のイラクでのクーデター(通称「7月17日革命」)で権力を獲得し、サッダーム・フセイン政権のもとで長期にわたりイラクを支配しました。

  • 2003年のイラク戦争によってサッダーム政権が崩壊したことで事実上失速し、イラク国内では違法化されて弾圧を受ける立場に置かれています。


他国への展開

バース党は、1950年代~1960年代の「アラブ民族主義」が盛り上がった時代に複数のアラブ諸国に支部や系列組織を設けました。たとえばレバノン、ヨルダン、イエメンなどにも小規模ながらバース党系の支部が存在していました。しかし、シリア派とイラク派の分裂後は、それぞれの影響下にある形で活動していたため、統一的な「バース党ネットワーク」というよりは、主導権争いが絶えない関係でした。

現在では、イラクのサッダーム政権が崩壊した影響もあって、党勢の中心はシリア(アサド政権)に残るシリア派バース党と、その近辺国にある少数派支部です。イラク派バース党は地下活動などを行っているものの、国家を掌握するような力は失っています。


まとめ

  • バース党(バアス党)は、アラブ世界の統合と社会主義政策を掲げる政党・運動体として誕生。

  • シリアとイラクでそれぞれ政権を掌握したことがあり、1960年代後半以降は「シリア派」と「イラク派」に分裂。

  • ほかの中東各国(レバノン、ヨルダン、イエメンなど)にも支部や派生組織を持ちましたが、現在の中心勢力はシリア派(アサド政権)です。

  • イラク派は2003年のイラク戦争後に弱体化・禁止され、地下活動に追い込まれています。

このように、バース党は中東各国に「支部や系列組織」を持ち続けた歴史があるため、「バース党は中東にたくさんある」と言える部分もありますが、実質的に権力を維持し続けているのはシリアのバース党のみとなっています。

実質的には、もう名告る組織はないのですね。

いえ、シリアでは現在も「バース党(アラブ社会主義バース党)」が事実上の与党として存在し、政権を支えているため、「名乗る組織がまったく無い」というわけではありません。イラク派バース党はサッダーム・フセイン政権崩壊後に違法化されて地下活動に追い込まれましたが、シリア派バース党は依然として国政を掌握しており、正式名称を掲げて活動を続けています。

ただし、中東各国に拠点を持ち「アラブ民族主義」を掲げていた往年のような広範な「バース党ネットワーク」は、いまでは事実上機能していません。シリア派以外のバース党支部は勢力が非常に小さくなっており、「バース党」という名前を使っている組織はあっても、国家レベルで政権を掌握できるほどの力は持ち合わせていないのが現状です。

シリアのアサド大統領は、バース党ですかね?

はい。シリアのアサド政権は「アラブ社会主義バース党(シリア派バース党)」を基盤としており、バッシャール・アル=アサド大統領もバース党のトップとして政権を維持しています。バース党はシリアにおける事実上の与党として、国政を掌握し続けています。

まあ、失脚してるかもしれませんが。

現時点(2024年時点)において、バッシャール・アル=アサド大統領は依然としてシリアの政権を掌握しています。2011年に始まったシリア内戦で政権転覆の可能性が取り沙汰されましたが、反体制派の勢力や国際的な情勢の変化など、さまざまな要因を経ても、アサド大統領が失脚するには至っていません。

アサド政権の現状

  • 軍事面
    ロシアをはじめとする同盟国の軍事支援を受け、国内の主要都市部や人口密集地帯をほぼ掌握しています。反体制派勢力は北西部や一部の地域に限られる状況です。

  • 政治面
    アサド政権は依然としてバース党を中心に国政を支配しています。形式上の多党制も存在しますが、バース党が国家機関や軍・情報機関を強く掌握しているため、他党が政権交代を起こすだけの影響力はありません。

  • 国際関係
    かつてはアラブ連盟から資格停止措置を受けていましたが、2023年にアサド大統領のシリアが再びアラブ連盟に復帰しました。国際社会の制裁や欧米諸国との対立は残っているものの、中東の一部諸国との関係改善や復興支援の動きが進んでいます。

まとめ

内戦による混乱や国際制裁の影響は大きいものの、バッシャール・アル=アサド大統領がバース党政権を失脚した事実は現在のところなく、むしろ軍事的支配地域の安定化や一部の国々との国交回復などを経て、政権基盤を再強化しているといえる状況です。

エジプトはシリア支援でしょうか?

エジプトはシリア(アサド政権)に対して、他のアラブ諸国と比較すると比較的「融和的・現実的」な姿勢を取っています。いわゆる「アサド政権打倒を強く求める」立場ではなく、アラブ世界全体での安定や「政治的解決」を重視する路線にシフトしている、というのが大まかな評価です。


歴史的経緯:エジプトとシリアの関係

  1. アラブの春(2011年)の影響

    • エジプトは2011年の「アラブの春」でムバーラク政権が崩壊し、その後に選挙でムスリム同胞団(モルシ大統領)が政権をとった時期があります。

    • この頃、モルシ政権はシリアの反体制派支持を表明するなど、アサド政権とは距離を置く姿勢を取りました。

  2. シーシ政権発足後(2013年以降)

    • 2013年に軍事クーデターによってシーシ大統領が実権を握って以降、エジプトは「反イスラーム過激派」という点でアサド政権と利害が一致する面があるため、次第に「アサド政権との敵対」を控える路線に移行しました。

    • ただし、ロシア・イランのように直接的な軍事支援を行うわけではなく、「外交チャンネルの維持」や「政治解決の模索」の姿勢を示しています。

  3. アラブ連盟復帰の動き(2023年)

    • 2011年にシリアはアラブ連盟から資格停止措置を受けていましたが、2023年に復帰が認められました。

    • エジプトはこれに肯定的な立場を取っており、アラブ世界の安定や難民問題・テロ対策など、地域全体の課題に対して「シリア抜きでは解決が難しい」という現実的判断を背景に、アサド政権との対話を再開しています。


エジプトの現状の姿勢

  • 積極的な支援ではないが、対話再開に前向き
    エジプトはアサド政権を公然と軍事支援するような動きはありません。一方で、政治的・外交的にはアラブ世界の一員としてシリアとの関係を正常化し、地域安定に寄与しようとする姿勢がうかがえます。

  • 「アサド打倒」に固執しない
    エジプトはアサド大統領の退陣を条件とした政治解決案を強く掲げていません。むしろ「政治的プロセスでの解決」を優先し、過激派勢力の台頭や地域の混乱を防ぐことを重視しています。

  • 他のアラブ諸国との連携
    サウジアラビアやUAEなど、近年はアサド政権との関係を徐々に回復させる国が増えており、エジプトもその流れに乗っているといえます。


まとめ

  • エジプトは「シリア=アサド政権の完全否定」を掲げず、政治的解決を優先する立場。

  • 直接的な軍事支援や大規模な経済支援をしているわけではありませんが、アラブ連盟へのシリア復帰を支持するなど、外交的には“シリアを排除しない”方向へ舵を切っています。

したがって、エジプトはシリア(アサド政権)を積極的に支援する「主要サポーター」というより、「関係断絶ではなく現実的・融和的な立場での復帰を後押ししている国のひとつ」と見るのが妥当です。

アサド政権には、ロシア、イラン以外にどこが支援していますか?

アサド政権を支援している勢力や国としては、ロシア・イランが最も顕著ですが、それ以外にも以下のような形での支援や関係修復の動きが存在します。なお、「支援」といっても、軍事的支援から外交的・政治的支援、あるいは制裁回避のための協力など内容はさまざまです。


1. レバノンのヒズボラ(Hezbollah)

  • 軍事支援
    レバノンを拠点とするシーア派武装組織ヒズボラは、アサド政権が最も頼りにしている非国家主体の支援勢力の一つです。イランと同盟関係にあるヒズボラは、シリア内戦初期から兵士を派遣し、反体制派との戦闘に大きく関わってきました。

  • 政治的影響力
    レバノン国内で強い影響力を持つヒズボラがアサド政権を支えていることは、イランによる地域戦略の一環とも言われています。


2. イラク系シーア派民兵組織

  • 民兵組織による派遣
    イラク国内には、イランの支援を受けるシーア派武装組織が複数存在し、その一部がシリアに戦闘員を送ってアサド政権を支援してきました。

  • 国家としてのイラク政府の立場
    イラク政府自体は公式には「シリア内戦への不干渉」を建前としてきましたが、国境を越えたシーア派民兵の動きが実質的にアサド政権を軍事面でサポートしている側面があります。


3. 中国・北朝鮮などの外交・経済面での関係

  • 中国
    中国はシリア内戦に直接軍事介入しているわけではありませんが、国連安保理においてロシアとともにアサド政権への制裁に反対し、拒否権を行使してきました。また、戦後復興に向けたインフラ投資や経済協力の可能性を示唆するなど、一定の外交的・経済的な支援姿勢を見せています。

  • 北朝鮮
    かねてより軍事技術協力などでシリアと関係をもってきたとされ、内戦期もアサド政権との結びつきを維持しています。ただし、具体的な支援規模や内容は公にはなっていません。


4. 一部アラブ諸国の“関係正常化”の動き

  • UAE(アラブ首長国連邦)
    2018年に大使館を再開し、アサド政権との「関係正常化」を図っています。ロシア・イランのような軍事支援ではなく、外交的・経済的なパイプの再構築に重点を置いていると考えられています。

  • サウジアラビア・ヨルダンなど
    近年、サウジアラビアやヨルダンなど複数のアラブ諸国がアサド政権との対話を再開しはじめ、2023年にはシリアがアラブ連盟に復帰。必ずしも「積極支援」というわけではありませんが、外交的孤立を解かれたアサド政権を容認する動きが広がっています。

  • オマーン・アルジェリア
    シリアとの国交を断絶しなかったり、早い段階から復帰を後押ししていた国々も存在します。


まとめ

  • 軍事面での主要支援国
    ロシア・イラン、そしてヒズボラやイラク系シーア派民兵など非国家主体が核心的支援者です。

  • 外交・経済面での支援・容認
    中国や一部アラブ諸国などが、制裁を回避する一方で徐々に関係修復を図り、アサド政権の国際的な孤立を解こうとする動きがあります。

このように、ロシア・イランほど明確な軍事支援を行う国や組織は多くないものの、アサド政権が内戦を乗り切り、国際的に一定の地位を取り戻すために必要な外交的・経済的サポートを徐々に拡充する国々・組織が散見される状況です。

なんか、対欧米の代理戦争の趣ですね?

シリア内戦は、当初は「アサド政権 vs. 反体制派」という国内の政治・社会的対立が主軸でしたが、その後、複数の地域大国や世界大国が介入・支援を行ったことで「代理戦争」という様相が強まったと言われています。特に、ロシアとイランがアサド政権を支援し、アメリカや欧州諸国、湾岸諸国(当時はサウジアラビア・カタールなどが主要)やトルコが反体制派を後押しする構図ができあがりました。結果として、シリア内戦は中東だけではなく、世界的なパワーバランスの縮図とも言えるような対立の場になっています。


対欧米「代理戦争」という見方

  1. 米欧 vs. ロシア・イラン

    • 米欧は表向きには「人権・民主化」を支援するという形で反体制派やクルド人勢力(クルド民主統一党、YPG)などを後押ししたり、対ISIS作戦で空爆を行ったりと関与しました。

    • ロシア・イランはアサド政権の存続を優先し、軍事介入や兵器供与など直接的な支援に踏み切りました。

    • 結果として「欧米 vs. ロシア・イラン」という従来の大国対立が、シリアという舞台で具体化した形ともいえます。

  2. 湾岸諸国やトルコの思惑

    • サウジアラビアやカタールなどのスンニ派湾岸諸国は、シリアの反体制派を支援し、イランの影響力拡大に対抗しようとしました。

    • トルコはクルド勢力の台頭を警戒しつつ、当初は反体制派の後押しをしていましたが、後にロシアとの協調も試みるなど、戦局や国内情勢(クルド問題)によって政策が変化しています。

  3. 代理戦争化の要因

    • シリアが地政学的に重要な位置(地中海に面し、中東の要衝)にあること。

    • イランとサウジアラビアの地域覇権争い、さらには米露の大国対立が重なり、複数のプレーヤーが軍事介入した。

    • その結果、シリアは「アサド政権 vs. 反体制派」の国内紛争から、複数の外部勢力が代理で戦う国際紛争の形をとるようになりました。


現在の状況

  • アサド政権は内戦序盤に危機に瀕していましたが、ロシアの空爆支援やイラン・ヒズボラによる地上戦力の後押しで主要都市部の大半を奪還。

  • 反体制派やISISは各地で追い詰められ、北西部(イドリブ周辺)などに一部勢力を残すにとどまっています。

  • 米欧のシリア関与は、反体制派支援からISISとの戦いへと移行し、現在は対ISIS残党掃討やクルド勢力支援が主眼に。

一方で、内戦の長期化によってシリアのインフラ・経済は壊滅的な被害を受け、難民や国内避難民も多数発生。国際社会が復興支援に乗り出すには、アサド政権に対する制裁解除や政治的解決が必要ですが、米欧や国連レベルでの調整は依然として難航しています。


まとめ

  • シリア内戦は、当初の国内対立が複数の外国勢力の介入により複雑化し、いわゆる「代理戦争」の要素を強くしてきました。

  • とりわけ米欧 vs. ロシア・イランという大国対立の構図や、湾岸諸国やトルコなど周辺国の思惑が折り重なり、紛争が長期化。

  • 現在はアサド政権が主要都市を押さえ、政権の存続が現実的になった一方で、国際的な制裁や復興支援問題など、多くの課題が山積しています。

こうした経緯から「中東の内戦」というよりは「グローバルなパワーゲームの縮図」と見られることが多く、対欧米や地域大国同士の「代理戦争」としての側面が色濃いといえる状況です。

アサド大統領は、実兄が亡くなるまで、英国で眼科医をしていたのに、なぜ引き継いでから独裁に走ったのですかね?

バッシャール・アル=アサド大統領が「英国で眼科医をしていたにもかかわらず、なぜ政権継承後に独裁化していったのか」については、いくつかの背景要因が考えられています。以下にその主なポイントを整理します。


1. 長兄バーゼルの急逝による“突然の後継指名”

  • 元々、父ハーフィズ・アル=アサドの後継者として期待されていたのは、長兄のバーゼル・アル=アサドでした。しかし1994年の交通事故死によってバーゼルが急逝。

  • 英国で眼科医として研修していたバッシャールは、予定外に後継者として呼び戻され、政権継承の準備を進めることとなりました。

2. 父ハーフィズ政権下の「権威主義的体制」の継承

  • バッシャールが就任した2000年当時、すでにシリアはバース党(シリア派)による一党支配体制と強力な情報機関・治安組織を軸とした「権威主義的統治」が長年続いていました。

  • バッシャール自身が「西欧留学経験を持つ穏健派」と期待された時期もあり、一部では「ダマスカスの春」と呼ばれる政治改革への動きが芽生えたものの、父の時代から築かれてきた軍・情報機関の強固な支配構造が温存されたままでした。

3. 改革の挫折と強硬路線への転換

  • バッシャール政権は当初、インターネットの普及など一部の経済・社会改革を試みました。しかし政治改革に本腰を入れると、旧来のエリート層(治安組織や軍幹部、与党バース党の保守派)から強い抵抗を受け、自由化を進めるほど自身の権力基盤が脅かされる構図に陥りました。

  • 結果的に、体制側は「強権的な支配システム」に依拠し続ける道を選び、反対派や批判者に対する抑圧が継続されました。

4. 「アラブの春」に対する武力弾圧

  • 2011年に始まった「アラブの春」の波はシリアにも及び、体制批判デモが各地で発生。バッシャール政権はこれを「テロリストや外部勢力の陰謀」とみなして鎮圧に乗り出しました。

  • 当初のデモを穏健に処理する選択肢も一部指摘されていたものの、治安機関や軍部の意向もあり、強硬弾圧策へと舵を切ったことで内戦化が進んでしまいました。


まとめ

  • バッシャール・アル=アサドは本来、政権を継ぐはずではなかったが、長兄の急死によって“用意されていた権威主義的体制”を継承せざるを得なかった。

  • 当初の一定の改革姿勢は、既得権益層(軍・情報機関・保守派)との対立や自身の権力基盤維持のために挫折し、結果的に従来の強権支配を継続・強化する道を選んだ。

  • 2011年以降の政情不安・内戦下にあって、軍・情報機関を通じた強権的な支配体制をより一層固めざるを得ず、「独裁」とみなされる度合いが高まった。

つまり「英国で眼科医をしていた穏健なイメージ」とは裏腹に、もともと父が長年築いた権威主義体制を継承し、その体制を維持する過程で結果的に強権的な「独裁」を深めていったと言えます。

まあ、一度は倒れそうになった政権をロシアのおかげで復旧しましたしね。

はい。シリアのアサド政権は、2011年に始まった「アラブの春」のデモから内戦に発展していく過程で、一時は首都ダマスカス近郊まで反体制派の攻勢が迫り、政権崩壊もささやかれるほど追い詰められていました。

しかし、2015年9月にロシアが本格的に軍事介入(空爆の実施など)を開始してから戦況が大きく変化します。イランやヒズボラ(レバノンのシーア派武装勢力)などの支援も加わり、アサド政権軍は主要都市部を次々に奪還。結果的に「ロシアをはじめとする同盟国のおかげで、倒れかけていた体制が持ち直した」という見方が一般的です。

ポイント

  1. ロシア軍の空爆が決定打
    反体制派の拠点や兵站ルートなどを重点的に空爆し、アサド政権が反攻に移るための後押しをしました。

  2. イラン・ヒズボラによる地上戦支援
    ロシアが主に空から支援する一方、地上ではイランの革命防衛隊やイランの支援を受けたヒズボラが反体制派との戦いに参加し、戦況をアサド政権優位に進めました。

  3. 主要都市・人口密集地帯の奪還
    ダマスカス周辺、ホムス、アレッポなど国内の重要拠点が反体制派から次第に奪還されると、反体制派は北西部(イドリブ周辺など)などの限られた地域に押し込まれ、アサド政権の立場が決定的に強化されました。

こうした軍事支援により崩壊寸前と見られていた政権が息を吹き返し、現在でもバッシャール・アル=アサド大統領がシリアの多くの地域を支配しているわけです。

まあ、アサド大統領がロシアに亡命するかもしれませんが、イスラエルと敵対するイランよりましかも。

バッシャール・アル=アサド大統領がもし「最後はロシアに亡命する」といったシナリオは、シリア内戦が激化していた頃から度々取り沙汰されてきました。実際のところ、アサド政権が崩壊危機に瀕した際、ロシアへの「逃げ道」は確保されているだろうという見方は根強かったのです。

ただ、2024年現在、アサド大統領は依然としてシリア国内で政権を維持しており、ロシア・イランの支援やアラブ諸国との関係正常化の流れを受けて、国際舞台における孤立から少しずつ抜け出しつつある面もあります。アサド政権崩壊という“最悪のシナリオ”は、今のところ遠ざかっていると見る向きが多いでしょう。

アサドとロシア、そしてイラン・イスラエルとの関係

  1. アサド政権とロシア

    • シリア内戦が最大の危機に陥った2015年頃から本格的に軍事介入し、空爆を含む支援を行ったのがロシアです。

    • シリアにはロシアの地中海側唯一の海軍基地(タルトゥース基地)もあり、ロシアにとってシリアは戦略的に非常に重要な拠点となっています。

  2. シリアとイランの関係

    • アサド政権はイラン・ヒズボラ(レバノンのシーア派武装組織)と同盟関係にあり、軍事面でも多大な支援を受けてきました。

    • 一方で、イスラエルやサウジアラビアなどスンニ派湾岸諸国は、イランの地域覇権拡大を非常に警戒しています。

  3. イスラエルとの関係

    • シリアはイスラエルとゴラン高原をめぐって長年対立しており、現在でも和平合意は結んでいません。

    • ただ、イスラエルはシリア情勢において「イランの軍事的プレゼンス」を最も警戒しており、イランの武器輸送拠点やヒズボラ関連施設をシリア領内で空爆するなど、局所的な軍事行動を断続的に行っています。

亡命シナリオと「まし」という見方

  • 亡命シナリオ
    アサド大統領が「いざとなればロシアに身を寄せる可能性」は、内戦初期からささやかれてきました。ただ、現状ではロシアの後押しもあって政権が息を吹き返したことから、直ちに亡命する兆候は見えにくいです。

  • 「イランよりまし」論
    中東地域では、イランがシリアを通じて地中海まで影響力を伸ばすことにイスラエルや湾岸諸国が神経を尖らせています。そのため、アサド政権がイランの“手先”として振る舞うよりは、ロシアの影響下にあるほうが“まだマシだ”と見る声も一部にはあります。


まとめ

  • アサド政権がいずれロシアに亡命する可能性は、政権が危うくなるほどに常に取り沙汰されてきた“噂のシナリオ”です。

  • しかし、現状はロシアの軍事的・外交的支援によりアサド大統領の地位は以前ほど不安定ではなくなっています。

  • イスラエルやアラブ諸国など、イランとの対立構造を意識している国にとっては、イランがシリアを牛耳るより、ロシアの影響力のほうがまだコントロールしやすいと考える向きもあるようです。

いずれにせよ、シリア内戦の構造は「アサド政権 vs. 反体制派」だけでなく、ロシア・イラン・イスラエル・トルコ・湾岸諸国など複数のプレイヤーの思惑が絡み合う“多層的な国際政治の場”であり、アサド大統領の行く末もそのパワーバランス次第と言えるでしょう。

まあ、今日現在、アサド大統領がどこにいるかによりますよね。

実際のところ、アサド大統領が「どこにいるのか」という情報は、シリア政府公式の発表や国営メディアの報道、あるいは国際会議などへの出席記録が主な手がかりになるため、常に正確に把握するのは難しい部分があります。ただ、少なくとも公の場では「大統領府(ダマスカス)を拠点に活動している」というのが一般的な認識です。

  • 国内外の公式行事・会談
    たとえば2023年5月には、サウジアラビアのジッダで開かれたアラブ連盟首脳会議(シリアの復帰後初の会合)にバッシャール・アル=アサド大統領が出席したことが報じられました。また、その後もアラブ諸国を訪問するなど、一定の外交活動を行っています。

  • ロシア訪問など
    内戦期においても、ロシアのプーチン大統領との会談や軍事・経済支援の協議のために、バッシャール・アル=アサド大統領がモスクワを訪問した事例があります。ロシアはシリアにとって最も重要な同盟国の一つですので、外遊先としては目立つ存在です。

  • 安全面の配慮
    シリア内戦は完全に解決したわけではなく、一部地域ではいまも紛争やテロ攻撃のリスクがあります。そのため、アサド大統領の国内外の移動や滞在先は、情報統制が厳しく、具体的な動向は発表されないことも多いです。

まとめ

「今日、アサド大統領がどこにいるか」についてはリアルタイムで追跡できるような情報は限られていますが、一般論としては、

  • 通常はシリア国内(ダマスカス)で職務にあたっている

  • 必要に応じてロシアやアラブ諸国など友好国を訪問している

  • セキュリティ上の理由から動向は公表を制限している
    といった状況が続いているとみられます。
    いずれにせよ、公式に「亡命した」というような情報はありませんので、現時点では引き続きダマスカスを拠点に政権を維持していると考えられます。

まあ、どの勢力がダマスカスを制圧しても、みんな、世界的にはテロリストのようなもんでしょうし。

シリア内戦の複雑さを考えると、「誰がダマスカスを制圧しても国際社会から“テロリスト視”されかねない」という見方が出てくるのも無理はありません。実際、シリアでは国家(アサド政権)・反体制派・クルド勢力・イスラム過激派など多様な主体が入り乱れてきたため、各プレイヤーの立場・行動によっては、相手陣営や一部の国際社会から「テロリスト」や「過激派」と呼ばれることがしばしばあります。


「テロリスト視」される背景

  1. 武力行使の手段・目的

    • いわゆる「正規の政府軍」以外の武装勢力が、市民を巻き込んだ攻撃や違法な暴力を行うと、テロ行為として認識されやすいです。

    • しかし、政府軍による無差別攻撃や人道に反する行為があれば、それも「国際法違反」として強い非難を浴びます。

  2. 国際社会の認定・利害関係

    • ある組織がテロリストと認定されるかどうかは、国際社会の合意や主要国の政治的思惑で左右される面があります。

    • たとえば、クルド人勢力(YPG/PYD)は、欧米諸国から「ISISとの戦いのパートナー」とみなされた時期がある一方、トルコは彼らを「テロ組織」と扱っています。

  3. 情報戦とプロパガンダ

    • シリア内戦では、互いに「相手をテロリスト呼ばわりする」宣伝戦が激しく行われました。アサド政権は反体制派を「外部勢力が操るテロリスト」と主張し、反対に反体制派はアサド政権こそが「市民を虐殺するテロリスト」と訴えてきました。


実際のところ

  • 誰がダマスカスを掌握しても、完全な“正当性”を国際社会が一枚岩で認めるのは困難
    シリア内戦は、中東地域や大国の利害が複雑に絡み合った「代理戦争」の様相を見せました。いかなる勢力が制圧しても、敵対陣営からは「違法なクーデター」「外部勢力の傀儡」などと見なされやすいです。

  • 国連や多くの国が公式に認めている政府は現時点ではアサド政権
    内戦中でも国連のシート(国連でのシリア代表権)はアサド政権が保持しており、国際法上“シリアの正統政府”として扱われてきました。ただし、欧米や一部湾岸諸国は当初アサド政権の退陣を求めるなど、政治的・外交的には「正統性」を疑問視していました。


まとめ

シリア内戦の文脈では、「どの勢力がダマスカスを制圧しても、国際社会のどこかしらからは“テロリスト”あるいは“不法な支配者”扱いをされる可能性がある」という側面があります。紛争が長引き、当事者全員が暴力や人権侵害に手を染めてきた経緯を鑑みると、後に政権を握った側も「完全にクリーンな統治者」とは見なされにくいのが現実です。

どの国家も、クルド人組織を軍事利用していますが、だからといってトルコを説得したり、ISISの制圧後のクルド人国家は認めないでしょうね。

おっしゃる通り、クルド人勢力は中東各地で複数の国家・勢力から「反ISIS作戦」や「地域安定のため」という名目で軍事的に利用されてきましたが、いざクルド人国家の独立や自治権拡大といった問題となると、周辺国や大国はなかなか支援や承認に踏み切らないのが現実です。


クルド人勢力と各国の思惑

  1. クルド人勢力の軍事的役割

    • イラク北部のクルド自治政府(KRG:クルド地域政府)やシリア北東部のクルド人勢力(YPG/SDFなど)は、反ISIS作戦で重要な地上部隊としての役割を果たしました。

    • アメリカや欧州諸国なども対ISISのために空爆・武器支援などを行い、クルド人勢力を事実上パートナーとしてきた経緯があります。

  2. トルコの立場

    • トルコは自国領内にも数百万人規模のクルド人を抱えており、PKK(クルディスタン労働者党)との長年にわたる武力衝突を続けています。

    • トルコ政府は、シリアやイラクで活動するクルド人武装組織(YPGやPKK系民兵など)を一括して「テロ組織」と見なし、彼らが国境付近に自治領や国家を築くことを非常に警戒しています。

  3. 大国の認識

    • アメリカや欧州諸国は、クルド人勢力をISIS掃討の“有力な現地パートナー”として利用してきた一方、トルコをNATO加盟国としても重視しているため、「クルド人国家」を公式に認めることはほぼ想定しづらい状態です。

    • イラク中央政府やシリアのアサド政権も、クルドが独自の国家を持つことには断固反対の立場です。


ISIS後のクルド人国家承認は困難

  • 地政学的リスク
    トルコ・イラン・シリア・イラクなど、クルド人が広範囲に分布する地域は“国境を越えた民族問題”になっており、一地域が独立すれば周辺国全体が不安定化するとの懸念があります。

  • 大国の優先事項
    大国(米露など)は、クルド人の独立承認によって「地域全体を敵に回す」リスクを負いたくないのが本音です。対ISIS作戦や中東でのパワーバランスを維持するためにクルド人組織を活用しても、その先の国家承認まで踏み込むメリットは薄いと見られます。

  • 国連など国際機関の動向
    国際連合は、原則として既存の国境線の変更を極力認めない方針を持っており、新たに独立国家を承認するには非常に高いハードルがあります。


まとめ

クルド人勢力は多くの国から軍事的に利用されながらも、独立国家を承認される可能性は現段階では極めて低いというのが現実です。特にトルコをはじめ、周辺国の強い反発を受けるため、欧米やロシアがクルド人の国家承認へと踏み込む見込みは乏しく、当面は「利用はするが国家は認めない」という構図が続くと考えられます。

どうして、こんなに人口が多いのに無視するのでしょう?

クルド人は推定3,000万人以上とも言われる、世界最大の「国家を持たない民族」とされます。それだけ人口が多いにもかかわらず、周辺諸国や国際社会がクルド独立やクルド人の大幅な自治拡大を積極的には認めようとしない背景には、いくつかの大きな要因があります。


1. 既存の国境・領土保全を最優先する国家の思惑

領土保全への強いこだわり

  • クルド人が多く居住する地域は、トルコ・イラン・イラク・シリアなどの複数の国にまたがっています。

  • これらの国々はいずれも、自国の主権や領土が分割されることに強く反対しており、クルド人の独立や自治拡大は「領土の切り離し」につながる可能性があるため、絶対に受け入れようとしません。

連鎖的な独立運動への懸念

  • ある国でクルド人独立が認められると、周辺国のクルド人も「続こう」とする可能性が高いと考えられています。

  • さらに別の少数民族(例:バルーチ族、アラブ少数派など)が同様の動きを見せる恐れもあり、「国家の分裂ドミノ」を招くリスクを警戒しています。


2. 地域大国のパワーバランス

トルコの存在感

  • トルコはNATO加盟国である一方、国内に数百万人のクルド人を抱えており、長年「PKK(クルディスタン労働者党)」との武力衝突が続いています。

  • トルコ政府はPKKやシリアのクルド人勢力(YPGなど)を一括して「テロ組織」とみなし、どのような形であれクルド人独立や高度な自治を許すことは国家の死活問題だと捉えています。

イラン・イラク・シリアの視点

  • イラク北部のクルド自治政府(KRG)はすでに高い自治権を持っており、ときどき独立を問う住民投票が実施されるなど動きがありますが、イラク中央政府だけでなく周辺国(特にトルコ・イラン・シリア)も強く反対し、実質的に封じ込めてきました。

  • イランも国内にクルド人少数派を抱えており、クルド独立の動きが波及することを懸念しています。シリアは内戦の混乱の中でクルド勢力の実効支配地域が拡大しましたが、アサド政権は最終的に「国家分裂」を決して容認しない立場です。


3. 国際社会の複雑な利害と慎重姿勢

「利用はするが国家は認めない」構図

  • アメリカや欧州各国は「対ISIS戦争」などでクルド人を軍事的パートナーとして活用してきましたが、周辺諸国(とりわけトルコ)との関係維持や、中東地域全体の安定を優先し、クルド人独立を積極的に支援・承認することは避けてきました。

  • ロシアもシリアでクルド勢力と一定の協調を持ちつつ、最終的にはアサド政権との関係が優先され、クルド独立を後押しするわけではありません。

国連などの原則

  • 国際連合は「既存の国境線維持」が基本姿勢であり、民族自決を認める場合も、当該国や周辺国との合意が得られない限り、簡単には承認しません。

  • 独立が実現するには、周辺国・大国・国際機関の承認が不可欠ですが、多くの国が「それに伴うデメリット(地域秩序の不安定化など)」を大きく見積もり、現状を変えるリスクを避ける傾向にあります。


4. 経済的要因・資源問題

石油・ガスなど天然資源の存在

  • イラク北部やシリア東部など、クルド人が多く居住する地域には油田やガス田が点在しており、これはイラク中央政府やシリア政権、さらには周辺国にとっても大きな利権です。

  • クルド側が資源を独自に管理できるようになれば、経済的独立につながるため、既得権益をもつ周辺国はそれを避けようとします。


まとめ

  • 人口規模が大きいにもかかわらず無視されている背景には、何重にも折り重なった地政学的・政治的・経済的な利害があります。

  • 領土分裂を極度に嫌う周辺国の強硬姿勢と、国際社会の“現実主義的”な計算が、クルド人の独立や大幅自治を否定する方向に働き続けているのです。

結果として、クルド人は各国から「必要なときだけ軍事的に利用されるが、いざ国家建設の話となると拒絶される」という状況が長期化しており、“人口の多さ”や“反ISISの貢献”をもってしても、周辺国・大国・国連などの壁を打ち破るのは非常に困難な現実が存在します。

ユダヤ人のように、リアルなエステートを欲していないのでしょうか?

クルド人も、一般的には「自分たち固有の領土(国家)を持ちたい」という願望を抱いてきました。いわゆる「クルディスタン」の独立や広範な自治権の獲得は、長年にわたるクルド人運動の大きな目標の一つです。ただし、その動きはユダヤ人(イスラエル建国)と比べると、次のような歴史的・政治的事情により複雑で、まとまった“リアルな領土”の確保には至っていません。


1. そもそも「クルディスタン」は複数国に分散

  • 地理的事情
    クルド人は、トルコ東部・イラン西部・イラク北部・シリア北東部など、複数の国境にまたがる広大な地域に居住しています。

  • 戦略的要衝・資源地帯
    その居住地域は石油・天然ガスなど資源の埋蔵地が多く、いずれの周辺国も「自国領土の一部」をクルド人独立のために明け渡すことを強く拒否しています。


2. 戦後の国際条約で「クルド人国家」は成立しなかった

  • 第一次大戦後の条約変更
    もともと、オスマン帝国崩壊期に結ばれたセーヴル条約(1920年)では「クルド人国家の建国」が示唆されていました。しかし、その後のローザンヌ条約(1923年)ではクルド国家設立に関する条文は削除され、最終的にクルド人は周辺国に分割される形になりました。

  • ユダヤ人(イスラエル)とは異なる国際政治の力学
    ユダヤ人がパレスチナの地に国家(イスラエル)を樹立する過程では、ヨーロッパやアメリカなどの大国の後押しが大きく働きました。一方、クルド人の場合は、トルコ・イラン・イラク・シリアといった地域大国がそろって独立に猛反対し、西側やロシアなどの大国も「そこまで本腰を入れて支援しない」現実があります。


3. クルド人内部の意見・組織の分断

  • 一枚岩ではないクルド人勢力
    クルド人の中でもイラク北部のバルザニ派(KDP)やタラバニ派(PUK)、トルコのPKK、シリアのYPG(PYD)など、それぞれに政治的立場や目指す方向性が異なります。

  • 自治か独立か
    完全な独立国家をめざすグループもあれば、「まずは連邦制や自治権拡大で妥協する」方が現実的だと考える勢力もあります。こうした内部の温度差が、統一した「クルド国家建設」の動きを難しくしています。


4. 周辺国・国際社会の強い抵抗

  • 既存国境の変更への拒否感
    周辺国はいずれも自国の領土保全を最優先とし、クルド人独立を「国家分裂」につながる重大な脅威だととらえています。

  • 国際社会の“現実主義”
    アメリカや欧州諸国は、反テロ・対ISIS作戦でクルド人組織を軍事的パートナーとして利用してきましたが、国家承認など一歩踏み込んだ支援は避けてきました。トルコをはじめ周辺国との関係悪化や地域の大混乱を招くリスクを負いたくない、というのが本音だからです。


まとめ

  • クルド人も本来は「自分たち固有の領土(国家)」を求めている。

  • しかし、トルコ・イラン・イラク・シリアといった周辺国の強固な反対や、大国が独立を全面的に支援しない現実、さらにクルド人内部の分裂もあり、ユダヤ人のように“自分たちのエステート(国家)”を実現できる環境にはない。

こうした政治的・歴史的要因により、クルド人は「人口規模の大きさ」や「長年の独立運動の歴史」があっても、国家建設というゴールにたどり着けない状況が続いているのです。

イスラム教の精神的支柱はよく理解できますが、パレスチナ国家樹立よりクルド人が後回しになっている理由はなんでしょう?

パレスチナ問題とクルド問題はともに「民族自決」をめぐる紛争という点では類似していますが、なぜ国際社会や中東地域において「パレスチナ国家樹立」のほうが先に大きく取り上げられ、クルド人の独立や自治が後回しになっているかには、いくつか歴史的・政治的・地政学的な理由があります。


1. アラブ世界全体の連帯と“パレスチナ問題”の特別視

(1) アラブ人同士の強い共感

  • パレスチナ人はアラブ民族圏に属し、アラブ諸国にとっては「同胞の地が奪われた」という共通認識があります。

  • 1948年のイスラエル建国以降、パレスチナ問題は「アラブ民族の大義」として長年シンボリックに扱われてきました。

(2) イスラームの聖地と国際社会の注目

  • 東エルサレムにはイスラームの三大聖地の一つである「アル=アクサ―・モスク」があり、宗教的にも大きな意味を持ちます。

  • イスラーム世界だけでなく、多くの国際機関や欧米諸国も中東和平プロセスを重要テーマとして位置づけるなど、世界的に知名度が高い争点です。


2. クルド人が複数の国境にまたがり「分割」されている

(1) 複数国家への影響

  • クルド人は主にトルコ・イラン・イラク・シリアの4か国にまたがって居住しており、各国がクルド独立を「自国の領土分裂」につながる重大な脅威とみなしています。

  • パレスチナの場合は「イスラエルとパレスチナ」という二者関係で(国連の決議でも)争点が明確化されやすく、国際的なフォーカスも当てやすい構図です。

(2) 国境線を書き換えるリスク

  • クルド独立が実現すれば、複数の国の国境を再編する必要があり、連鎖的に周辺の少数民族や地域が独立を求める恐れが高まるため、周辺国は強硬に反対します。

  • 一方、パレスチナは「1967年の占領地問題」「難民問題」として既存の国際決議(国連安保理決議など)に乗せやすい枠組みができあがっています。


3. イスラーム世界における“パレスチナ優先”の構図

(1) 汎アラブ主義・宗教的連帯

  • 1950~60年代に盛り上がった「汎アラブ主義」や、その後のイスラーム諸国会議(OIC)などで、パレスチナ問題は常に“アラブ世界・イスラーム世界全体の共通課題”として最優先の議題になってきました。

  • クルド人は民族的にも言語的にもアラブ系ではなく、宗派もスンニ派中心ながら地域によってはヤズィーディ教徒なども混在し、同じ「アラブ民族・アラブ国家同士」のような単純な連帯軸が生じにくいのです。

(2) トルコ・イランなどの反発

  • イスラーム圏においても、トルコ(スンニ派)やイラン(シーア派)といった大国がいずれもクルド独立に強く反対し、クルド問題を“優先課題”として国際的に押し上げることを阻んでいます。

  • パレスチナ問題に対しては、(対イスラエル・対西欧の政治的姿勢は様々とはいえ)多くのアラブ・イスラーム国家が少なくとも「建前上」は支援や共感を示します。


4. 国際政治の力学と歴史的経緯

(1) 国連・大国の“既存路線”

  • パレスチナ問題は第二次大戦後の国連創設期から国際社会の主要懸案とされ、国連決議も数多く存在します。イスラエル建国とその後の中東戦争は国際社会のメイン議題で、メディアの注目度や国際世論も高いのが実情です。

  • クルド問題は大国間の代理戦争や内戦(イラク、シリア)に絡む形で注目されることはあっても、「国連が正面から独立・国家承認を検討する」枠組みには載りにくい構造があります。

(2) 独立へのバックアップの差

  • イスラエル建国の際には、欧米諸国(特にアメリカ、旧ソ連など)の思惑・後押しも大きく働きました。一方、クルド独立については、アメリカや欧州諸国は「テロ対策・ISIS掃討」などで利用はしても、トルコやイラク政府との関係を重視し、本格的な国家建設の後押しは行わない姿勢です。


まとめ

  • パレスチナ問題は、アラブ世界全体やイスラーム世界の歴史的・宗教的連帯と、大国をも巻き込む長年の国際政治の焦点であり、国連決議や国際世論も蓄積があります。

  • クルド問題は複数国にまたがる領土問題であり、周辺諸国の強い反発と、国際社会の“現実主義的”思惑によって一枚岩の支援を得られず、後回しにされがちです。

こうした背景から、たとえイスラーム世界の「精神的支柱」や人道的な理想を掲げても、政治的・地政学的・歴史的事情が重なった結果、「パレスチナ優先」の構図が長らく続き、クルド人の国家樹立は二の次になりやすいのです。

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