リジー・ボーデン事件
米国のリジー・ボーデンの事件は、どう考えてもリジー単独かリジーとメイドの共犯のように思いますが、どうして未解決なんでしょう?
リジー・ボーデン事件は、1892年にアメリカで発生した猟奇的な殺人事件で、被害者はリジーの父親と継母でした。当時、家にはリジーとメイドのブリジット・サリバンがいましたが、リジーが逮捕され、裁判で無罪となったため、事件は未解決のままとなっています。
この事件が未解決となった主な理由は以下の通りです:
決定的な物的証拠の欠如:犯行に使用されたと推定される斧は発見されましたが、血痕や指紋などの直接的な証拠が不足していました。また、リジーの衣服からも血痕は検出されませんでした。
リジーの供述の一貫性の欠如:リジーの証言は一貫性に欠け、矛盾点が多かったものの、当時の捜査技術や法制度ではこれを決定的な証拠とすることが難しかったとされています。
社会的背景と陪審員の偏見:リジーは裕福な家庭の出身であり、当時の社会では女性がこのような凶悪犯罪を犯すとは考えにくいという偏見がありました。このため、陪審員はリジーに有利な判断を下した可能性があります。
これらの要因が重なり、リジー・ボーデン事件は未解決のままとなっています。
外部からの侵入もなかったし、その事件当時に家にいたのはリジーとメイドだけでしたね。
はい、その通りです。リジー・ボーデン事件当日、家にはリジーとメイドのブリジット・サリバンしかいませんでした。外部からの侵入の形跡も確認されておらず、家の中にいた人物に限られた状況でした。そのため、事件が発生した直後から疑惑はリジーとメイドに向けられました。
リジーは一貫して無実を主張しましたが、供述には矛盾がありました。たとえば、犯行時の行動についての説明があいまいであったり、父親の死体を発見した際の反応が不自然とされました。また、ブリジットについては、一部では共犯の可能性も示唆されていますが、彼女は事件後も証言を変えず、直接的な証拠もないため、疑惑だけで立証には至りませんでした。
裁判でリジーは無罪となりましたが、現代の基準であれば、犯行状況やリジーの供述の矛盾が再検討され、より具体的な証拠の解析が進んだかもしれません。それでも、当時の捜査技術や偏見、証拠の不備により、この事件は今もなお未解決の謎として残されています。
リジーが犯人だった場合、動機は何だったと言われていますか?
リジー・ボーデンが犯人だった場合、いくつかの可能な動機が議論されています。主なものは以下の通りです:
財産と遺産相続の問題:リジーの父、アンドリュー・ボーデンはかなりの財産を持っていましたが、遺産の相続についてはリジーや姉のエマに不利になる可能性がありました。継母であるアビーが夫の財産を優先的に受け継ぐのではないかという懸念があったため、リジーが財産を独占するために犯行に及んだという動機が考えられます。
継母との不和:リジーは継母と仲が悪かったとされ、彼女を「母」と呼ばず「ミセス・ボーデン」と呼んでいたと伝えられています。家庭内での緊張が高まり、リジーが感情的な衝動で犯行に及んだ可能性も指摘されています。
父への不満:リジーの父アンドリューは非常に倹約家であり、当時の上流階級に比べると質素な生活を家族に強いていました。リジーがこの状況に不満を抱き、特に父が自分たちの生活改善に消極的であったことに怒りを募らせていた可能性があります。
家庭内の抑圧からの解放:一部の研究者は、リジーが抑圧された家庭環境から解放されたいと感じていた可能性を指摘しています。特に、当時の社会的規範が女性に多くの制約を課していたため、リジーが家族に対する反発から行動を起こしたのではないかという見解もあります。
こうした動機が重なり、リジーが事件を引き起こしたのではないかという推測がされていますが、確かな証拠は見つからなかったため、動機についても推測の域を出ていません。
姉は既に嫁いでいたのでしょうか?
いいえ、リジーの姉エマ・ボーデンは事件当時、結婚しておらず独身でした。また、エマは事件当日には家にいませんでした。事件が起きた1892年8月4日、エマは友人を訪ねて別の場所に滞在しており、家には不在だったため疑いの対象にはなりませんでした。
エマはリジーとは比較的良い関係を保っていたと言われていますが、継母アビーとの関係はリジー同様に良好ではなかったようです。事件後、エマはリジーと共に父の遺産を受け継ぎ、その後しばらく一緒に暮らしましたが、最終的には何らかの理由で疎遠になり、別居しています。この疎遠の理由については諸説ありますが、詳細は不明です。
リジーが犯人だったと仮定すると、エマが家にいなかったことは犯行を実行する上で有利に働いた可能性があります。ただし、姉妹の間に共謀があった証拠は見つかっていません。
姉妹で独身ならばボーデン家は途絶えたのでしょうか?
はい、結論から言えば、ボーデン家の家系はリジーとエマの代で途絶えたと考えられます。以下に理由を詳しく説明します。
リジーとエマは結婚しなかった
リジー・ボーデンもエマ・ボーデンも、一生独身を貫きました。リジーは事件後に遺産を相続して比較的裕福な暮らしをしましたが、世間からの厳しい目に晒され孤立した生活を送ったとされています。一方、エマも独身で静かに暮らし、リジーとは事件後の晩年に疎遠になっています。子供がいなかった
リジーとエマのどちらも結婚しておらず子供を持たなかったため、彼女たちをもってボーデン家の直系は途絶えたことになります。ボーデン家の財産
事件後、リジーとエマは父アンドリューからの遺産を相続しましたが、この財産も2人の死後は遺言に従い寄付や他人に分配されたとされています。ボーデン家の名を残すような後継者はおらず、家系が続くことはありませんでした。ボーデン家の歴史的意義
ボーデン家は事件以前からそれなりの財力と社会的地位を持つ家柄でしたが、事件によってその名声は大きく損なわれました。その結果、家系としての影響力や伝統も事件後に急速に薄れていったと考えられます。
このため、ボーデン家はリジーとエマを最後に途絶えたとされています。リジー・ボーデン事件の衝撃とその後の社会的孤立が、家系の終焉を加速させたとも言えるでしょう。
現在、事件のあった建物は、観光名所や宿泊施設になっていますが、誰かが買い取ったのでしょうか?
リジー・ボーデン事件の現場となった家は、現在「リジー・ボーデン・ベッド&ブレックファスト・ミュージアム」として一般に公開され、宿泊施設としても利用されています。この家は、過去に何度か所有者が変わり、その都度改装や運営方針の変更が行われてきました。2021年には、約2億円で売りに出されたことが報じられています。
その後、購入者によって現在の形で運営が続けられていると考えられます。このように、歴史的な背景と心霊スポットとしての人気から、観光名所や宿泊施設としての価値が評価され、継続的に運営されています。
メイドは不運でしたね。
確かに、メイドのブリジット・サリバンは非常に不運だったと言えます。彼女は事件当日に家にいたことで疑いの目を向けられ、一部では共犯説もささやかれましたが、実際には事件への関与が証明されず、証言者としてその後も複数回にわたって尋問を受けました。当時の状況から考えると、主に雇い主であるボーデン家の人々に仕えていただけで、恐ろしい事件に巻き込まれ、疑念を抱かれる立場に置かれたことは不運だったでしょう。
事件後、ブリジットは仕事を辞めてボストンに移り、新しい生活を始めたとされていますが、事件に関する記憶や疑いの影響は避けられなかったでしょう。彼女の立場や状況から、事件の真相が解明されないままの状態で心に重荷を抱えて生きた可能性が高く、当時のメイドとしての立場からも非常に不運な人物として語られています。
当時なら犯行時刻も曖昧だったでしょうから、返り血などは地下室で処理して、ゆっくり第一発見者を装うことも可能でしょう。
おっしゃる通りです。当時の捜査技術や科学的な検証手段は現代のように発達していなかったため、犯行時刻の特定や現場検証は非常に不確かでした。そのため、犯人が返り血を浴びたとしても、地下室などで服や体を洗い流し、犯行後にゆっくりと自分を第一発見者として振る舞うことも十分に可能だったでしょう。
また、リジーが事件発生時の行動について曖昧な証言をしていたことも、不自然さを際立たせましたが、捜査官はこれを決定的な矛盾として扱うには至りませんでした。仮に犯人が返り血を浴びていたとしても、時間をかけて服を交換したり、地下室など目の届かない場所で処理を行ったりすることができたため、犯行後に自分を落ち着いた状態で「第一発見者」として通報することも可能だったと考えられます。
現代であれば、血痕の飛散や服の繊維の分析、タイムラインの詳細な再現などが行われるため、犯人が返り血の処理をしていた可能性も調査対象となるでしょう。しかし当時の捜査ではそうした詳細な検証が行われなかったため、このような「演技」が通用し、事件の解決が困難になったとも言えます。
この事件は、映画化等にはなったのですか?
はい、リジー・ボーデン事件はその衝撃的な内容から、映画やテレビドラマ、舞台などさまざまなメディアで取り上げられてきました。代表的な作品には以下のようなものがあります:
映画『リジー』(2018年)
クロエ・セヴィニーがリジー・ボーデン役を演じた映画です。クリステン・スチュワートがメイドのブリジット役を演じ、リジーとブリジットの関係や事件に至るまでの過程を描いています。この映画は、リジーとブリジットの共謀説を基にしたストーリーで、心理的な要素が強調されています。テレビ映画『リジー・ボーデンがやった事件』(1975年)
エリザベス・モンゴメリーがリジー役を演じたテレビ映画で、事件の概要を描きつつ、リジーが無罪となるまでの流れも含めてドラマ化されています。この作品は当時大きな話題となり、事件に関する関心を再燃させました。テレビドラマ『リジー・ボーデン クロニクルズ』(2015年)
『リジー・ボーデンがやった事件』の続編的な位置づけのドラマで、クリスティーナ・リッチがリジーを演じています。このシリーズでは、無罪となったリジーが事件後どのような生活を送ったのかというフィクション的な要素も盛り込まれ、リジーがミステリアスでダークなキャラクターとして描かれています。舞台劇やミュージカル
リジー・ボーデン事件は舞台やミュージカルでもたびたび取り上げられています。たとえば、ロックミュージカル『リジー』は、リジー・ボーデン事件を音楽と共に再現し、特に若い世代の観客に人気です。
リジー・ボーデン事件は、その残酷さと謎めいたストーリーから多くの創作の題材として取り上げられ、さまざまな視点から再解釈されています。
映画等はどう見てもリジーが犯人としてますよね。
おっしゃる通り、映画やドラマなどで描かれるリジー・ボーデン事件の多くは、リジーが犯人である可能性を前提にストーリーが展開されています。これにはいくつかの理由があります:
物語としての魅力
リジーが犯人であるという仮定の方が、観客にとってドラマチックで興味を引きやすい要素を持っています。特に、家庭内での葛藤や遺産問題、リジーの心理状態などが描かれることで、複雑で人間味あふれるストーリーが作りやすいからです。謎めいたリジーの振る舞い
リジーの供述の矛盾や、犯行時の不可解な行動が、彼女を事件の「最有力容疑者」として描く理由を与えています。これにより、彼女が犯人であるという方向性で物語を構築することが自然と受け入れられやすくなっています。観客の興味を惹く疑惑の人物像
リジーは無罪判決を受けましたが、世間の多くは彼女に対して疑念を持ち続けています。この曖昧さが創作の自由度を高め、リジーを「犯人」として描いても多くの観客が納得できる土壌を作っています。映画やドラマのトーン
多くの作品ではミステリーやスリラーの要素が強調されています。そのため、リジーが犯人であるとすることで、視聴者に心理的緊張感を持たせやすくなり、エンターテインメント性が向上します。
たとえば、2018年の映画『リジー』では、彼女の心理的葛藤や家庭内の抑圧、そしてメイドのブリジットとの関係性が描かれ、最終的にリジーが犯行に及んだ様子がフィクションとして描かれています。このように、創作の中では「リジー=犯人」という方向性が多いですが、実際の事件の証拠不足による曖昧さが、物語の魅力として活用されているとも言えます。
教会で教師をしていたようですが、宗教的に抑制は受けなかったようですね。
そうですね、リジー・ボーデンは事件前、教会で日曜学校の教師を務めていたとされますが、事件後も教会や宗教的な抑制が大きな影響を与えた様子は見受けられません。この点についてはいくつかの背景が考えられます。
教会コミュニティの反応
当時、リジーは教会での活動に熱心で、地元のコミュニティにも顔が知られていました。しかし、事件後に疑惑がかけられたことで、教会の人々からの見方も変わり、疎遠になったとされています。無罪判決を受けたものの、世間や教会の一部では彼女に対する疑念が残っており、そのため彼女も教会から距離を置くようになったのかもしれません。宗教的な制約や罰が弱かった背景
当時の社会では教会が人々の生活に強い影響を与えていましたが、リジーが教会に通っていたからといって、事件に関わる直接的な制裁を受けることはありませんでした。法的には無罪であったため、宗教的な罰も下されなかった可能性があります。個人の信仰心と社会的プレッシャー
リジー自身の信仰心が事件にどのように関与していたかは明らかではありませんが、事件後の彼女は大きな孤立感と疑惑に悩まされ、信仰の力がむしろ弱まったとも考えられます。また、世間からの圧力が強く、信仰に救いを求めるよりも事件の影響で人間関係が損なわれ、孤立を深めた可能性もあります。
このように、宗教的な抑制はリジーにとって大きな影響を与えなかったか、事件後に宗教との関わりが薄れていったと考えられます。
継母との諍い、財産問題ならば、普通の殺人動機でリジーが有罪判決を受けていたら、さほど評判にはならなかったでしょうね。
おっしゃる通りです。もしリジーが継母との諍いや財産問題といった「普通の殺人動機」で有罪判決を受けていた場合、事件は当時の犯罪として世間の関心を引き、やがて忘れ去られていた可能性が高いでしょう。しかし、この事件が歴史に名を残すことになった理由は、リジーが無罪となり、しかもその後も強い疑念が残ったことにあります。
リジー・ボーデン事件が「世紀の謎」として語り継がれるに至った要因は以下の通りです:
無罪判決の衝撃
状況証拠から見るとリジーに不利な要素が多かったにもかかわらず、裁判で無罪判決が下されたことは、当時の人々に強い衝撃を与えました。「なぜ無罪になったのか?」という疑問が世間で広がり、事件が単なる殺人事件以上のミステリーとして扱われるようになりました。社会的偏見と謎めいた人物像
リジーは裕福な家柄の上流階級の女性で、宗教的活動にも積極的に参加していました。そうした「善良な女性」が猟奇的な殺人を犯すというのは、当時の人々にとって非常に信じがたいものでした。彼女の無罪判決は「本当に無罪だったのか」という議論を引き起こし、彼女が謎めいた人物として注目される要因となりました。証拠の不確かさと矛盾
事件には不確かな証拠やリジーの曖昧な証言、証拠の不足があり、裁判ではこれが彼女の有利に働きましたが、逆にこの曖昧さが「未解決」という雰囲気を醸し出しました。結果として、事件は「解決しないまま」多くの謎を残し、次第に都市伝説や心霊現象などとも結びつけられ、さらに注目を集めることになりました。文化的な象徴としての定着
リジー・ボーデンは文学や映画、音楽などで取り上げられ、「斧で父と継母を殺した女性」として文化的な象徴に変わりました。その結果、事件自体がミステリーと恐怖の代名詞のように語り継がれる存在になりました。
こうした点を考えると、リジー・ボーデン事件が「ただの殺人事件」で終わらず、長年にわたって多くの人々の関心を集め続けるミステリーとして語られるのは、まさに判決の意外性や彼女の謎めいた人物像が大きな役割を果たしていると言えます。
ここで姉が真犯人で、リジーが有罪ならば、それこそ完全犯罪!
確かに、もしリジーの姉エマが真犯人で、リジーが有罪となっていたら、それは「完全犯罪」として語り継がれていたかもしれません。エマが事件当日に家を離れていたため、捜査の対象から外れていたことが、逆に絶妙なアリバイとなり、仮に真犯人であったとしても疑われることがありませんでした。
仮にエマが犯行を計画し、実行したと考えた場合、以下のような推測が成り立ちます:
絶妙なアリバイ
エマは事件当日、家を離れて友人宅に滞在していました。この「アリバイ」により、彼女は疑いの対象から完全に外れています。もしこれが意図的なものであった場合、リジーが無罪を証明する手段もなく、エマの「完全犯罪」として成立してしまった可能性があります。リジーとの関係
リジーとエマは比較的良好な関係だったとされていますが、実際には家庭内で遺産をめぐる不和や緊張があったと考えると、エマが財産を独占するためにリジーを利用する動機があったかもしれません。特に、事件後にエマとリジーが疎遠になった事実が、「真犯人としてのエマが距離を取ったのではないか?」という想像を掻き立てます。リジーの性格と姉妹間の役割分担
リジーは強い性格と自立心があり、また姉妹で財産問題に直面していたことを考えると、エマがリジーを巻き込む形で事件を画策した可能性もありえます。もしリジーが真犯人として疑われるようにエマが何らかの仕向けを行っていた場合、リジーは事実を証明する術もなく、エマにとってはリジーが「完全な身代わり」となります。完全犯罪が成り立つ背景
当時の捜査技術では、証拠の確実性が低く、また家族内での証言や証拠に基づく捜査も不十分でした。これにより、エマが計画的に事件を起こした場合、その証拠が残る可能性は低かったのです。
もしリジーが有罪判決を受けていたとすれば、エマに対する疑いは完全に払拭されていたでしょう。その場合、エマの関与が世間に知られることはなく、彼女が「完全犯罪」を成し遂げたとして、事件が語り継がれることもなく歴史に埋もれていたかもしれません。