エディ・コクランのロック
ビートルズと関わりのあるアーティストや、同じ時代に活躍したアーティストたちを取り上げるコーナー。今回はビートルズを始め、ブリティッシュ・ロックに絶大な影響を与えた若きアメリカン・ロッカー、エディ・コクランを紹介する。
ポールが1957年7月6日、リバプールのセント・ピータース教会の祭りでジョンに出会った時、腕前を示すために演奏した曲が、エディのイギリス・デビュー曲(映画「女はそれを我慢できない」の挿入曲)'Twenty Flight Rock'だったことは有名だ。ポールが後に正式カバーも発表したこの曲は、ローリング・ストーンズもカバーしていた。これを始め、エディの曲はブリティッシュ・ロック・バンドがこぞってカバーしている。
これらの例はほんの一部だ。
'Something Else'…キース・リチャーズ、レッド・ツェッペリン、セックス・ピストルズ
'C'mon Everybody'…ツェッペリン、ピストルズ、U2、UFO、ハンブル・パイ
'Summertime Blues'…ザ・フー
'Three Steps To Heaven'…スティング
①カリスマ性
金髪のリーゼントが似合う彼のルックスや、グレッチのギターを抱えたかっこよさ。ダブついたスーツも最先端だった。クールでニヒルな笑顔はまさにテディ・ボーイだ。
②疾走感
当時の主流だった4ビートやジャズ・ビートの流れのリズムではなく、8ビートの兆し、そこから来る疾走感があり当時としてはハードで、若者にとっては言いようのない魅力があった。バディ・ホリーの'Peggy Sue'などにもそれは感じられ、彼らが源流となったこの新たな兆しはブリティッシュ・ロックに完全吸収され、その衝撃や影響力の大きさは今ではあまりにも分かりにくい。
③エレクトリック・ギター
エディがブリティッシュ・ロッカーに与えた影響は曲だけではない。エディ愛用のグレッチのギターは、彼も敬愛するチェット・アトキンスからの影響もあったと言われる。彼が愛用した型番6120、通称ナッシュビルはオレンジ色で、ジョージがビートルズ初期に愛用したカントリー・ジェントルマンやテネシアンより厚みがあるホロウ・ボディが目を引いた。エディがテレビなどで披露する曲がエレキ・ギター主導のものが多く、「あの音はこのギターから出ているのか」という衝撃もあった。
因みに、エディに憧れたジョンが'Paperback Writer'のレコーディング・セッションで6120を抱える姿が写真に収められている。
④歌唱
ジョンが'Gimme Some Truth'のブリッジでエディの'Cut Across Shorty'の歌い方を真似していたように、エコーがかかった深い低音と、わざとがなり立てるようなシャウトを織り交ぜたエディの歌い方は、エルビスのそれよりも若いリスナーに切迫した感じを与えた。ロバート・プラントも影響を受けたと言われている。
ジミー・ペイジがレッド・ツェッペリンのDVD発売のプロモーションで来日した際、「イギリスのロッカーはみんなエディ・コクランが好きだ」と話していた。
⑤若き死。伝説へ
エディはわずか21歳の若さでイギリスで悲劇的な最期を迎えた。1960年、エディは友人のジーン・ビンセントと伝説的な初のイギリス・ツアーを行った。4月17日、大好評でツアーを終え、ジーンや恋人のシャロンらと帰国の途につくために車でロンドン空港に向かう途中、交通事故に遭い、エディだけ帰らぬ人となった。最初で最後のイギリス・ツアーが未来のブリティッシュ・ロッカー達に与えた影響は計り知れない。
エディが他界した日、奇しくもシングル'Three Steps To Heaven (邦題:天国への3つの階段)'がヒット中だった。そして6月には全英1位になった。イギリスの新聞では彼の事故は1面で大々的に扱われたが、アメリカでは地味な扱いでしかなかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?