#2 ゆる性自認――私が女装する理由

 前回の記事で、「プライベートでは自身の性自認に従い女性の格好をして過ごすことが多い」と書いたので、今回はそういう話をします。
 性自認というと非常にセンシティブな感じがして、私もX(旧Twitter)ではあんまり積極的に語ることをしませんでしたが、今回せっかくnoteという場所を作ったので少し詳しく書きます。あくまでも私自身の認識なので、一般的な性別違和とか性同一性障害とは違うと思いますが、特に専門医の診断を受けたわけではないので深入りはしないこととします。

 最初にスカートをはいて外出したころは、ルビコン川を渡る覚悟というか、
 「世の中の誰にわかってもらえなくてもいいから、私はこうやって生きていく」
 もともと私の中にあった「女性になりたいという願望」が様々な体験により大きく膨らんできて、抑えきれなくなって飛び出した……というものでした。
 そのため、当時は私は自分が女性として見られていることを意識していました。それまで男性の格好で通っていたギャラリーの人も「女装したら別な人(女性)と思ってるんじゃないかしら」「そうだったらいいなあ」とかって思いましたが、最近はちょっと変わってきました。
 「女装した男性」でもいい。
 私が好きな服装を「可愛い」と言ってもらえるなら、それでいい。
 それはそのまま「私そのもの」を認識し、受け入れてくれているということだから。
 
 そして今日も私は可愛い服を着て、簡単ながらメイクもして、お出かけするのです。

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 今の私にとって女装というのは「普段着」です。最初は自分自身でもちょっとわからなくて、先述したような決意の裏側では「私がやっていることは、結局コスプレ的に【変装した私】というものを楽しんでいるだけなんじゃないかしら」という疑問はありました。
 確かにそういう要素もあったと思います。でも春先に一番町で開催されたコスプレイベントを見に行って、かなり近い距離でコスプレイヤーの人たちと交流(声をかけて写真を撮らせてもらった)して、(そういうのも楽しそうだなとは思いつつも)「私のはちょっと違うかな」と思うようになりました。
 それは継続的にこういう活動をしてきたからっていうのも、あると思います。ハレの日に特別な自分を演出するのがコスプレの楽しみだとすれば、私がやっているのは日常の延長線上にある「ちょっとオシャレな服を着てみたい」って感じの、日常ベースの楽しみですから。今日はこの服を着てみたい気分だからそうする。ごく自然な感情です。
 私以外の誰かになるんじゃなくて、私以外私じゃないってことを私自身がしっかり認識しつなぎとめるために女装をするのかな。今はそういう風に考えています。
 だから本当は、わざわざ女装って言葉を使うまでもないくらい自然なことなんですが……「女装している男性」という形でも、私のことを理解し受け入れてもらえるのならでも構わないので、こういう言い方をしています。ただ私の性自認としては、100パーセント自分が「男性らしい男性」であるとは思っていません。といって「心は女性」と言えるほどの違和感や生きづらさを感じているわけではありません。
 まさに「女装した男性」それが私の心を一番適切に表現した姿なんです。

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 いよいよ私の性自認の話になりましたが、この点に関しては結構あいまいです。今でも、どんなふうに言葉で表現すればいいのか結構難しいなと思ってしまいます(だからファッションで表現している、というのもある)。
 あいまいって言ったって、私は自分が男性であることは前提として受け入れています。生まれ持ったこの体も男性だし、考え方や感じ方もベースにあるのは男性のものです。だから性別違和を感じたり性同一性障害の生きづらさを体験的に感じたことはありません(※)。でも男性の格好をするのは社会通念上「男性として見られる」ことを必要としているからそうしている、というところがあります。
 私の心の中にはある一定の「女性らしさ」があります。またそろそろ2000字近くなったので切り上げますが、要するにそれは「アニマ」というものです。はい、そういうわけで次回のテーマは「シスター・アニマ――私の憧れのお姉ちゃん」。昨年帰天した叔母の葬儀で久々に会った二人の従姉は私の理想であり私自身だった! という話です。こんな感じで自由に書きますので、どうぞ皆様もお気楽にご覧下さい。

※ 私自身が体験的に感じたことはありませんが、トランスジェンダーの方のお話を聞くと、すごく共感できる部分があるのも事実です。本当に性別違和とか性同一性障害といった悩みを抱え生きづらいと思っている人たちの気持ちを大切にし寄り添いたいと思っているので、私は「ちょっと違う」という風に認識しています。

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