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「戦争発言」はなかった!丸山穂高議員に対する糾弾決議の理由は何だったのか?
六月に丸山穂高議員が糾弾決議された理由は丸山議員の戦争発言であるように思えるかもしれませんが、実はそれは誤りです。
泥酔報道の原点と言ってもよいこの問題を、ここでは戦争発言をキーワードに、譴責決議案と糾弾決議案を比較しつつ考察してみたいと思います。
二つの決議案について
譴責決議案と糾弾決議案は衆議院のHPで見ることができます。
同様に、議案審議経過情報も見ることができます。
経過情報を見てみると、譴責決議案は5月21日に受理されたものの6月5日に撤回されており、糾弾決議案は6月5日に受理されて6月6日に可決されたことが分かります。
また、譴責決議案と糾弾決議案は同じ方が筆頭となって提出されたことも分かります。
譴責決議案には“よって本院は、ここに丸山君を譴責し、猛省を促すものである。”と書かれています。
糾弾決議案では“よって本院は、ここに丸山君を糾弾し、ただちに、自ら進退について判断するよう促すものである。”と書かれていますので、促されている内容は譴責決議案よりも糾弾決議案のほうが重い内容であり、より厳しいものであることが分かります
ただ、糾弾決議案には“一歩間違えば日本とロシアの重大な外交問題に発展しかねない問題行動であり、これまで関係者が営々と築き上げてきた北方領土問題の解決に向けた努力を一瞬にして無に帰せしめかねない”と書かれていて、“一歩間違えば”ということは一歩間違えてはいなかったはずなのだから、未遂的なものであったということも分かります。
そのようなことをもって“進退について判断するよう促す”ようなことを決議しようとするのは相当重大な何かが発覚したのだと思われるのですが、譴責決議案の受理された5月21日から糾弾決議案の受理された6月5日までの間に、一体何があったのでしょうか。
二つの決議案で同じ内容のところ
比較のために、まず“理 由”と書かれた箇所より下について、そこそこの長さがあって、全く同じ内容である箇所を挙げてみます。
“議員丸山穂高君は、四島在住ロシア人と日本国民との相互理解の増進を図り、もって領土問題の解決を含む平和条約締結問題の解決に寄与することを目的とする「令和元年度第一回北方四島交流訪問事業」、いわゆるビザなし交流事業に参加し、国後島を訪問した際、”
“国民の悲願である北方領土返還に向けた交渉に多大な影響を及ぼし、我が国の国益を大きく損なうものと言わざるを得ない。”
“本件事業は、内閣府交付金に基づく補助金を受けた北方四島交流北海道推進委員会の費用負担により実施されているものであり、本院から公式に派遣したものではないにせよ、丸山君は、沖縄及び北方問題特別委員会の委員であるが故に、優先的に参加することができたものであり、他の団員からは、本院を代表して参加したものと受け止められており、また、その後の報道により、我が国憲法の基本的原則である平和主義の認識を欠”
“議員の存在を国内外に知らしめ、衝撃を与えた事実は否めず、本院の権威と品位を著しく貶める結果となったと”
これらの箇所は、一字一句違わない全く同じ文が使われていますので、ウェブ・ブラウザのページ内検索機能を使って、譴責決議案と糾弾決議案の両方に含まれていることを確認することができます。
このことから、糾弾決議案は譴責決議案に追加・修正を施したものであると推測することができます。
そして、これら同一箇所をそれぞれの決議案から削除したものを比較してみると、その違いが明らかになってきます。
二つの決議案における違い
5月21日と6月5日という時期の違いからか、糾弾決議案のほうには、より詳細な事柄が追加されてはいますが、それらは戦争発言に関するものではありません。
また、基本的には、表現がより強調されたものになっていて、例えば“飲酒”が“過剰に飲酒”となっていたり、“迷惑行為”が“多大な迷惑行為”となっていたり、“同行記者団と懇談中の元島民の訪問団長に対し”が“団長に対する報道関係者の取材を妨害し、団長に対して”となっていたりします。
決議案から少し離れますが、時事ドットコムの記事によると“メディアが大きく報道したことで与野党から「国会議員として一線を越えた」と、議員辞職を求める声が噴出”ということや“「戦争」発言後も泥酔して騒ぎ、その際の卑猥な発言も発覚したため、与野党は「決議案を宙づりにすれば、国民の猛批判を受ける」と糾弾決議で体裁を繕った”ということが書かれています。
この記事を読むと“「戦争」発言”があった上でさらに“泥酔して騒”いだり“卑猥な発言”があったということが後から発覚した、つまり、戦争発言という重大な失態にさらに泥酔騒ぎや卑猥発言という失態が追加されたための糾弾決議である、というように受け取るのが自然ではないかと思います。
ここで決議案に戻って、譴責決議案では“憲法の平和主義をおよそ理解していない戦争発言”のように書かれていた戦争発言に関する記述が、糾弾決議案ではどのように強調された表現になっているのかを調べてみると、糾弾決議案のほうには戦争発言という言葉すら出てこないということが分かりました。
戦争という単語に絞ってみても、譴責決議案の三箇所から糾弾決議案の二箇所に減っています。“戦争発言”以外の二箇所は、丸山議員の発言内容として書かれたものになります。
上に挙げたように共通する箇所が多くあり、後から出たもののほうに追加や強調が施されている文書において、問題の核心であるはずの“戦争発言”が完全に削除された形になっているということの意味するところは、どういうことになるのでしょうか。
戦争発言はなかったということを十分に承知しながらも出された糾弾決議案であるのか、それとも戦争発言という表現までしてしまわずにギリギリ曖昧にしておきたい何らかの理由があったのか、どちらにしても、糾弾決議案に戦争発言と明記されていないどころか、元になったと推測される譴責決議案にはあったものが削除された形となっているということは、糾弾決議が戦争発言によるものではなかったということの証拠になるのではないでしょうか。
何が書かれているのか、よりも、何が書かれなかったのか、が重要になる場面だといえます。
何が書かれなかったのかに関連して何が報道されなかったのかから考えてみると、そもそもの報道において「泥酔した挙句に戦争肯定や戦争扇動に関する発言や行動が多々あり、その証拠はこのように揃っています」というような方向での報道だったのではなく、追跡取材をしても泥酔騒ぎや卑猥発言程度しか出てこなかったということで、後から出てきたことは戦争発言に関する報道としては全く価値のないものであり、単に丸山議員の印象を悪くするための報道に過ぎなかったということが、今となっては明らかなのではないでしょうか。
譴責決議案から糾弾決議案へと移る中で“戦争発言”が削除されていることと、“およそ品位のかけらもない卑猥な言葉を発したりするなどの多大な迷惑行為”や“およそ品位のかけらもない議員”が追加されていることから、「戦争発言した」と騒ぎ立てられた後、実際には戦争発言というほどのものでもなかったと分かったものの、泥酔騒ぎや卑猥発言を材料に集中砲火的に報道されてイメージは最悪になったため、君はふさわしくないから進退を自分で考えなさい、ということだったと解釈できるのではないでしょうか。
糾弾決議案を要約して端的に言うと「戦争発言はなかったし、一歩間違えてもいなかったのだけど、色々な問題も報道されてしまったし、辞職がふさわしいよね?」ということになるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
譴責決議案と糾弾決議案の両方に“その後の報道により”という表現があり、報道が重要視されていることは間違いないものと思われます。
真実とは限らないような、しかも本筋からは遠い話題での報道であっても、その集中砲火によって、政治家生命が左右されるということが、二つの決議案の比較によって浮き彫りになる形で、公的な文書にしっかりと残されたとみて良いのではないでしょうか。
「教育ディベート」の知識を前提として考えてみる
ここで、教育ディベートというものを紹介しておきたいと思います。
教育ディベートのような方法があるということを知っているのかどうかによって、丸山議員の“賛成ですか、反対ですか”発言に対する印象は大きく変わると考えるからです。
教育ディベートにおいては、実際の自分の考えとは異なる意見の側の役割を割り当てられることもあり、自分の本当の考えとは全く逆の立場についてであっても、試合に勝つために、真剣に考える(例えば、分析し、強い点と弱い点を理解し、相手の立場と戦うための準備を行なう)という作業を行ないます。
これは異なる価値観を理解する際に役に立つような作業であり、異なる文化の下で育ってきた人々と接する機会が増加しつつある現代日本社会においては、この教育ディベートを義務教育レベルでの必修としても良いぐらいだ、と個人的には、考えています。
(余談ですが、少なくとも、こういう方法があるということだけでも知っておくと、何かの討論番組や討論企画が、視聴・参加する価値のあるものなのか、あるいは見たり参加したりする価値のない単なるガス抜き的なものなのかを判断する材料の一つにはなります。)
教育ディベートという方法があることを前提として“戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか”を考えてみると、これを言葉を補って言い換えて「戦争でこの島を取り返すということを議題にした議論をしたいと思います。あなたは賛成側として議論に参加しますか?反対側として議論に参加しますか?」というような内容だったと理解する余地が十分にあります。
もちろん、別の言葉を補って「戦争でこの島を取り返したいと思い、それを実行するように働きかけようと考えているのですが、それに賛成ですか、反対ですか?」というように理解する余地もありますが、丸山議員本人の説明とは矛盾するため、こう読み取ってさらに非難するためには「丸山議員の内心を推測して断定する」という内心に踏み込んだ作業が必要になり、これは思想及び良心の自由を侵すことになります。
展開として、“戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか”に対して賛成という反応があった場合に反対の立場で応じていた可能性は十分あり得ますし、賛成に対して賛成の立場で応じたとしてもたどり着く結論次第で問題にはならないようなケースも十分に想定できるのではないかと思います。
丸山議員が戦争発言をしたと本気で信じた上で非難している方は、推測した内心に基づいて非難しているに過ぎないか、あるいは、非難している別の誰かに同調しているだけなのではないでしょうか。
本人がすぐに謝罪していて、さらにそういう意味ではないと否定しているものを「きっとこう思っての発言に違いない」と勝手に推測し断定した上での非難、ではないというのであれば、状況をよく調べないで踊らされているだけということもあり得ます。
このことを理解した方が糾弾決議案作成に関わった方の中に一人でもおられたために“戦争発言”が削除されたのではないか、というのが一番素直な解釈であるように思われますが、いかがでしょうか。
本人の発言の引用という重要な箇所が、譴責決議案の“戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか”から、糾弾決議案の“戦争でこの島を取り返すことに賛成か”に変化していることから、糾弾決議案において“戦争発言”が削除されたのは、将来的に戦争に関する議論をすることの妨げにはならないようにしつつ、かつ、丸山議員個人に対しては糾弾をするという意図があったのかもしれない、という深読みもできなくはないのですが、その場合にも、丸山議員が行なったのは単なる議論の提供であって戦争肯定発言や戦争扇動発言ではなかったという認識が必要不可欠になります。
この問題における功労者は
あの四面楚歌状態の強烈なバッシングの中で、病気になりながらとはいえ、辞職せずに踏みとどまった丸山議員には賞賛の念を禁じ得ません。
丸山議員が守ったのは、議会で少数派でありかつ多数派から嫌がられるような議員(現在の議員と将来の議員の両方)なのではないかと思います。
誤解を招くような発言をしてしまい、その後に、未遂から不確かなものからごちゃ混ぜで、原因となった発言とは無関係な発言や私生活の問題などについての報道の集中砲火を浴びて、それらが全体として問題視され、最初のきっかけとなった発言自体は誤解だったと理解されつつも、糾弾決議されてしまった場合に、何となく辞職しなければならないような空気になる、という悪しき前例を作らずに踏みとどまったということは大きな功績だと言えます。
明日は我が身ということから考えれば、このような悪しき前例ができなかったことの恩恵を受けるのは、決議案を簡単に可決/否決できる立場にいる多数派の議員、ではないことは明らかです。
ただ、蛇足ではありますが、糾弾決議案に“政府同行者に議員が外出しないよう監視させる業務を強いる結果”と書かれている、この政府同行者こそ、単に仕事を全うしただけなのかもしれませんが、“一歩間違えば日本とロシアの重大な外交問題に発展しかねない”ところだった丸山議員が一歩間違えずに済んだ、という重要な役割を果たした影の功労者なのは確かだと思います。
後世の評価は
単純な比較によって「戦争発言がなかった」ということと「本来の問題とは無関係な内容の報道によって政治家生命が左右されている」ということを読み取ることのできる二つの決議案は、衆議院のHPから閲覧できる、公的な書類です。
100年後には何が書かれていたのかすら忘れ去られてしまっている可能性の高いような媒体ではありません。
後世の人々は、この出来事をどのように評価するのでしょうか。