成長するということは? 〜欅坂から学ぶ〜
最近、自分がまた一つ成長したと実感する出来事があった。
欅坂46を3月に卒業した長沢菜々香さんの結婚である。非常におめでたいことだし、欅坂の一ファンとしても「おめでとう」と言いたい。
卒業してしまったメンバーを含め、結婚をするのは長沢さんが欅坂の中でははじめてだ。
その欅坂であるが、高校生時代は僕のアイデンティティとも言えるくらい好きだった(もちろん今でも好きだ)。欅好きで友達もできたし、日々の気持ちを楽にしてくれた。何より「真面目」で校則を守るような自称「僕」が学校終わりに、新幹線に1時間ほど乗って欅坂のライブに行ったこと。しかも、2回。夜10:30ぐらいに駅へ帰ってきて、興奮のあまり「平手友梨奈」のタオルをかけたままの僕を見て、母親に激怒されこともある。
欅坂の曲は、常に自分の心と共にあり、他人に否定されたとしても「それでいいんだ」と、自分に自信や勇気を与えてくれる存在だ。やっぱり好きな曲は「サイレント・マジョリティー」。
しかし、最近特に高校を卒業してから、強く心に響いていた欅坂の歌詞が、その響きを和らげた。止まったわけではない。曲を聞いても、心にガツンとくる感覚がないと言うか、衝撃がないというか、そんな状態が長く続いている。
これは、僕自身にこれまでなかった「アイデンティティ」というものが確立したという証だ。子供が自転車に乗ることができるようになることと同じだ。最初、子供は補助輪をつけていないと走ることができない。しかし、ある程度走ることができるようになると、例え補助輪を外したとしても、スムーズに自走できるようになる。つまり、僕は補助輪を外した自転車になったのだ。
もし、高校生の時に欅坂と出会っていなかったら。そう考える時もあるが、恐ろしい。欅坂無くしては、今の自分はいない。
そして、僕もメンバーも当然歳を重ねていく。ここで気がついたのは、欅坂で「大人への反抗」をテーマにした曲は、聞く方も、そして、歌う方も、その気持ちからすでに抜け出しているのではないかということだ。もちろんファン全員が、メンバ全員がということではないが。うまく言葉で表すのは、難しい。そんなことを思っていた時、あるアイドル雑誌のインタビューで、僕の言いたいことをまさに言い当てた記事を見つけた。月刊エンタメ2020年7月号の渡邉理佐さんのインタビュー(P37・電子版)だ。
<インタビューでは、理佐さんがライブで代理センターを務めた時の感想を聞いている。「不協和音」などの曲は踊ってて楽しかった。しかし、最近はそういう曲をやることが誰かの負担になってた部分があるのかなって感じている>
ーどういうことですか
理 10代の頃は楽曲のなかに入り込んで踊れてたんですけど、20歳をすぎて自分たちの方が成長すると、楽曲の内容を冷静に捉えちゃう部分が出てきたんです。歌っている自分と歌詞にギャップを感じるようになったというか。
ーそれを感じたタイミングってあるんですか?
理 私は『黒い羊』でした。歌詞から感じるちょっと幼い部分とか、10代だからこその考え方も、理解はできるんです。ただ、実際の自分はもうそういう歳じゃないので、100%は共感できていなかったと思います。
改めて読んでみると、かなり率直な気持ちを言っているような気がする。
僕も同様に楽曲の内容を冷静に捉えてしまい、100%共感ができなくなってしまった。
おそらく、僕は少し成長したのだろうか。欅坂から学んだのは、「成長」ということだ。人は成長することで、大きな新しいことにチャレンジできる。避けては通れないのだ。
いつかまた、欅坂の曲の歌詞が心に響き、僕の血肉となり、アイデンティティとなる。そんな瞬間が訪れるのをいつまでも楽しみにしていたい。