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スノーランナー日記#2

スノーランナーは車のゲームであって、車のゲームではない。

もう少し詳しく説明するなら、一般的に車のゲームと聞いてイメージされるレースゲームとはかけ離れた作品だ。

車のゲームと言えば、リアルシミュレーターと呼ばれるものもある。

『グランツーリスモ』はその代表作だ。

とにかくリアルな挙動にこだわり、実際に存在する車をあまねく収録し、三畳一間の風呂なしアパートでフォークギターをかき鳴らす貧乏学生の所有欲を満たしてくれる。

昭和か。

今や時代は空飛ぶ自動運転の車をカーシェアリングというのも夢の話ではなくなっている。

同じ物を共有することも当たり前になってきている。

昔は新作の音楽や映画をいち早く借り、高い料金を支払い、当日や二泊三日で返さねばという強迫観念に駆られながら、雨の日に返却するのも億劫だった。

初めてiPodが出た時、真ん中にホイールのついた初代ゲームボーイを少し小さくしたようなモノクロ液晶の四角い物体に5000曲も入るという事に興奮し、何十枚もCDを借りて、しかもネットなんてまだ繋がっていなかったので、MacにCDを放り込んでは、一曲ずつ手入力でタイトルとアーティスト名を入れ、レンタル屋さんのカウンターにドンドンドンッ!とCDの山を積んで店員さんが唖然とした顔になった事もあった。

そんな苦労も今やダウンロードどころか、ストリーミングのサブスクでいくらでも好きな時に好きな曲が聴ける。

あの頃の熱意を返して欲しい。

何の話だ?

車の話だった。

レースゲームやリアルシミュレーターという車のゲームは存在する。

しかし、しかしだ。

スノーランナーはそれらのゲームとも違うのだ。

確かに車の挙動はある程度の物理エンジンに依っているし、タスクと言われるミッションにはタイムレースもある。

その意味では従来の車のゲームの側面もある。

しかし、スノーランナーの魅力はそこではない。

このゲームをプレイした事がない人に説明するならば、お使い泥んこプロレスだ。

お使い泥んこプロレス?

何のことやねん!

ますます分からないと、他の記事に移ろうと思ったあなたに言いたい。

どうか、その荒い鼻息を沈め、美しく徳の高い聡明で穏やかな表情に戻って微笑ましい顔つきでこれから先の文章を読んで欲しい。

あなたにはそれだけの価値があるから。


お世辞はこれくらいにして、説明を進めよう。

スノーランナーは基本的にお使いゲームである。

この場合のお使いゲームというのは、A地点からB地点へトラックの荷台に積んだ資材を運搬することを指す。

いろんなタスクがあるものの、大筋は変わらない。

だから、もし街角で「スノーランナーってどんなゲームですか?」と聞かれたら、胸を張って「ああ、あれはお使いゲームですよ」と半ば相手を小馬鹿にするような面持ちで答えても間違いではない。

「ちょっといいすか?それってあなたの感想ですよね?」と切り返されたら、そういう人は相手にしない方が無難である。そういうタイプの質問に答えれば答えるほど泥沼に陥る可能性がある。

泥沼。

スノーランナーを語る上でもう一つ外せない要素がこれである。

先ほど、泥んこプロレスと評したけど、こちらは一般的な説明としては伝わりにくい。

泥と戯れると言った方がより具体的かもしれない。

そもそもこのゲームには人というものが存在しない。

いや、タスクが存在するという事は、依頼者がいるのであり、どうやら気配というものは感じるのだけど、ほぼ人影を見る事がない。

まるでゾンビに襲われた町でひっそりと暮らす住人のような様相だ。

だから必然、車の運搬作業に没頭する事になる。

オンライン協力プレイというものもあるのだが、ソロプレイで黙々とろくに舗装されていない凸凹の道をお盆に卵を乗せて落とさないように細心の注意を払いながら走行する電流イライラ棒のような地味な操作を常時強いられる。

そんなものが楽しいのか?

楽しいのだ。

なぜだかは分からないけど、楽しい。

時にどうしようもない悪路に悩まされ、川に流されそうになりながらも泥を跳ね上げ汚れまくった車体をウインチで引っ張り上げる行為は、はじめてのお使いで賢明に幼子が頼まれた買い物をよちよちと落とさないように歩く姿に似ている。

頑張って!

負けないで!

諦めないで!

事件は現場じゃなく、会議室で起きているの。

いや、現場で起きてるんですよ、ミキさんっ!!(令和の時代に通用するのか分からないネタだ)

立体的な起伏が分かりにくい画面を凝視しながら、そろりそろ〜りと狂言回しのように薄氷を踏む思いで車体の傾きで感知しつつ、何とか逆境からの脱出を試みる。

一つとして同じ道はなく、通るたびに道は表情を変える。

正解というものは刹那に現れるものでしかない。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。『方丈記』

まるで人生のようではないか。

そう、スノーランナーは人生なのだ。

始めは到底超えられそうにない荒くれた道も、いつの間にか楽に走り抜けた時、人は成長を感じる。

慣れてくると次はどんな悪路が待ち受けているのかと期待が頭をもたげる。

挑戦を諦めたらそこで終了。

そういう人はごくごく序盤の段階で自分には合わないとコントローラーを置くだろう。

しかし、どうかその気持ちをグッとこらえて、何時間か泥んこと格闘して欲しい。このゲームの魅力に少しでも気づいた頃にはあなたは文字通りの泥沼にハマって脱け出せなくなるだろう。

延々と続くタスクの数々。単調なお使い運搬作業をやっていると、

ふと「俺は何をやっているのだろう?仕事終えた後にまた仕事をしているのか」と虚無感に捉われ、もう一人の自分と対峙する事も多いだろう。

やっとの思いで運んだ資材が、あわやというところで、散乱し、絶望感にうちひしがれる事もある。

もう二度とやるもんか。しょせんゲームの中の話だ。やめても誰も困らない。

だが、不思議な事に時間が経つと、また無性にプレイしたくなるのがこのゲームの魅力なのだ。

頭の片隅で、あれってこうすればうまく運べるんじゃないか?とか他にもっといいルートがあるのではないか?とか別のタスクをこなせば楽になるかもしれないぞとか、数々の打開策が浮かんでくる。

そうすると、あんなに悩んだ道が何なく走り抜けられる事もある。

実に不思議だ。

物理法則があるのもその一因だろう。

自分でしでかしたミスは、物理の法則に従って傾斜から転げ落ち、車と資材が地面に散らばる。

理不尽とも思える無機質な地形は何一つ表情を変えるわけでもなく、ただ時が流れていく。変わるのはプレイヤーの意識の方だ。

注ぎ込んだ時間がコンコルド効果で、ここでやめるともったいないお化けがでるゾ〜とささやく声に押され、くやしさにむせびながらもコントローラーに力をこめる。

そんなにか?

プレイしてみないとこの気持ちは伝わらない。

毎回通るたびに道は表情を変える(ように見える)。そして、そんなMAPがダウンロードコンテンツによって増殖する。150時間以上プレイしても最初のMAPでさえまだ60%のタスク消化率に過ぎず、そんな広大なMAPがたくさん並び、様々な地形が存在する。難易度の高いタスクがいくつもあり、一生終えられるのかさえ怪しいボリュームだ。

スノーランナーは、いわゆるオープンワールドなゲームだが、見えない壁は存在する。MAPによって広さも変わり、箱庭がいくつもつながるようなイメージだ。

ゲームの基本は、スカウトと呼ばれる小型の車種でMAPを探索し、地形を調べ、トラックなどの大型車で資材を運搬する。詳しくはYouTubeで語っているのでここでは割愛するけれど、序盤の敷居の高さがネックなのでどうかひるまずにプレイして欲しい。

スノーランナーがあなたの人生のページに素敵なしおりを挟むようなゲームになりますように。

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