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スノーランナー日記#3

言葉というものは時に不便だ。

僕がどれだけスノーランナーの面白さを言葉で伝えたいと文字に書いても、言葉にしたそばから何かがこぼれ落ちていく。

文章力の拙さはさし引いても、それが言葉の限界なのかもしれない。

だからと言って、YouTubeで実況してもプレイした事がない人には伝わらない事の方が多いだろうなと思ってしまう。

特にこのゲームはやってみない事には自分にとってどういうものであるかが分かりにくい。

そこで僕は以前の日記で、このゲームの魅力は泥んこプロレスであると書いた。

あなたは子どもの頃に、泥まんじゅう作りに没頭した事はないだろうか?

僕の中で、このゲームはあの感覚に近い。

車はアバターとなり、操作にもどかしさを感じつつも、やがて自分の思う(ような)事が画面の向こうで実現する。

ゲーム内の物理法則に従って、予期せぬ動きに翻弄されるのもまた面白い。

ウインチを周りの物にひっかけながら、ワイヤーを巻き取っていくと、えっ?そっちの方向に行っちゃうの?と驚きつつ、黙々と単調な作業に熱中してしまう。

ものすご〜く地味な作業の末に何とか窮地を脱する。

やったー!と快哉を挙げた次の瞬間、またトラックが隆起した地形に足を取られ横転し、積荷をばらまく。

ああーっ!

やってしまったーーー。なんて日だッ!

油断大敵。

自戒の念に駆られつつも、また黙々と作業に全集中する。

自分が設定したタスクをこなして経験値をもらうのは確かに嬉しい。しかし、僕がこのゲームって面白い!と思うのは、実はこういうちょっとした地形と戯れる時なのだ。

そんな場面の積み重ねがいくつもいくつもあって、満足すると僕はそこでやめてしまう。

続きはまた今度にしよう。

そうやってもう150時間近くもプレイしている。

時には何をやってもうまく行かず、ほんの10分程でやめてしまう事もある。

そんな時でもSwitchなら簡単にやめる事ができる。

だから始末に悪いのだ。


ちなみに僕はこの他にもPS4版、パソコン版、Xbox版(これはゲームパスで)持っている。

もちろん全て同じ内容だ。

グラフィックやMODが使える事を比較すればSwitch版は劣る。

しかし、ケータイモードとテレビモードを簡単に切り替える事ができるSwitch版は何しろ始末に悪い。

やめ時が見つからないのだ。

いつでもやめられるというのは、つまるところいつでも再開できるという事と同じだ。

ちゃんと整理したいという欲望が人間にはあるように思える。

テトリスのあの隙間をなぜ埋めたいか、僕にはうまく説明できない。

でもなぜだか、ボーッと埋まらない空間と格闘する。

ゲームオーバーになった途端に、また同じ作業を始めてしまう。

やめられない、とまらない。

そして僕は癒される。

よくできたデジタルのおもちゃ。箱庭の中を僕の分身が進んでいく。

何度も通った道が急に難しく感じる事もある。

あれ、なんで今日は通れないんだろう?

もちろんその逆もある。

最適解は一つではなく、人によっても違う。

誰かの動画を見ると、えっ?そんなルートが?と思う時もあれば、僕の通った道の方が楽なのになと思う時もある。

そうやって自分だけの道を進めていく楽しさがこのゲームにはある。

慣れていない頃は、あまりに難しすぎてゲームデザインが悪いとコントローラーを投げた事もあった。しばらくプレイしない時もあった。

でも、それなりにプレイを続けていくと、このゲームの面白さから離れられなくなる。

一見、適当に配置されているように見える障害物も、ランダムに生成されたように見える地形も、人間の手が加わった地形だと感じる事が多い。

作られたルートが見える時もあれば、自分が作ったと、あるいは錯覚させられているルートが見つかる事もある。

手探りの末に見つけた自分だけのルートで気の向くままに道なき道を走る時、僕はこのゲームを買って良かったなと思う。

別に全てのタスクをこなさなくてもいい。面倒臭いと思えば、ただその辺を走り回って、どこまで行けるのか見えない壁を探すのも楽しい。

車のゲームと言うと、舗装された道路を走るゲームが多い。道から外れる事ができても無味乾燥な景色が延々とつながるだけで、そのうち飽きて決められた道に戻るしかなくなってしまう。

しかし、スノーランナーは違う。

険しい山岳地帯で樹々に挟まりながら強引に進んだ先に見える景色には、妙な達成感がある。

オフラインのゲームなのに、広大なオンラインゲームの世界で孤独な自分と対峙するかのような錯覚に陥る。

僕は確かにある世界に存在している。

もちろん協力プレイもできるけど、僕はまだした事がない。

誰かに窮地に陥った自分を助けてもらうのもきっと楽しいだろう。

でも、それ以上に僕はこのゲームの中の孤独感を愛する。自分は自分で助けるしかない。どうしようもなくなったら、ガレージからリスタートすればいい。

やった作業はリセットされるけれど、自分の中の経験は残り、これから向かう道に反映される。石を蹴飛ばし、岩に乗り上げ、水溜りをバシャバシャと突き進み、車体に跳ね上げた泥の汚れに苦笑しながら、幼き日の孤独感を思い出し、一日の終わりを夕日に感じる。

僕の大好きな作品に『トロッコ』がある。

あまりにも有名すぎる作品をかいつまんで紹介すれば、トロッコに興味を持った少年がおじさん達とレールの上を一緒に押していき、辺りが暗くなり始める頃、今日は宿を取るから坊やは帰りなさいと言われる。

そこから先の帰り道の心細さを、ふとこのゲームの中で思い出してしまう。

誰しも経験した幼い日の孤独感を再生させてくれる素敵な作品だ。

今読み返してみると、そこまで細かく書かれていない事に驚くけれど、ツッコミどころを探すのは野暮だ。記憶のひだに何かの気持ちを差し入れてくれた事に作品との出会いを感じ、やっぱり作家ってスゴイんだなと思わせてくれる。

仮想現実と言われるようになって随分時が経ったように思う。

これから先、ますます現実と仮想の世界はまざり合い、どちらが主か従か、あるいはどちらも生活の中心となっていくのか。

YouTuberと呼ばれる人は芸能人のようにいくつもの顔を持って生活し、ともすればそちらの方が自分の中でメインなのかもしれない。

私という実体よりも、はずれスライムとしての僕があなたに先に会っている。

他人もしかり。

仮想の空間で癒されるなんて想像もしていなかった。

未だにパソコンが苦手だという世代の人にはきっとこの気持ちは伝わらないだろう。

特に言葉では。

あるいは芥川龍之介さんのような文才があれば伝える事はできるのかもしれないけど、そこには原体験が必要なのではないだろうか。

だから体験して欲しい、と僕は思うのだ。

合わない人には合わないだろう。

その人には素直にごめんなさい。

でも、もしも僕のようにこのゲームに何かの楽しさを覚えたのなら、僕は紹介して良かったと思う。

僕のYouTubeの実況動画を見て、少しでもこのゲームの魅力が伝わったのなら、僕は嬉しい。

きっとその人はまた誰かにその魅力を熱く語るんだろうなと微笑ましく思う。

スノーランナーはそんなゲームなんだ。

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