アウトプットとインプット
インプットというのはたとえば読書。
そしてアウトプットとは読んだ本を誰かに伝えようとすること。
映画を観て面白かったとつぶやくのは簡単だ。
しかし、どういうシーンがどういう理由で自分にとって面白かったのかを説明するのは思ったほど簡単なことではない。
同じ映画を観ている人なら、シーンの共有も簡単だろう。
けれど全く知らない人にはまず映画のあらすじから始めないといけない。
そうすると意外にあらすじを覚えてないことに気づく。普段から説明に慣れている人ならともかく、これが一筋縄ではいかない。
演劇に携わっているとか、教職のような日頃から人に説明する習慣がない限り、細部までは観ていないものだ。
何となく自分が印象に残ったシーンだけが頭に浮かび、それを言葉で表現する難しさに直面する。
まるで外国語を話す時のもどかしさのような。
けれども何人かに話すうちにシーンは鮮明になっていく。話す順番を入れ替えたりして、ちょっと笑いを入れてみたりアレンジしたくなる。
そうすると記憶は確固としたものになり、全然違う他の作品と結びついたりもする。
そうなると、何かの拍子に話のネタとしてのタネができる。
インプットは確かに必要だ。でもアウトプットも同じくらい大事である。
この両輪のバランスがうまく取れてないと読んだ本の内容は片っ端から忘却の彼方に消えていき、読んでいないのと変わらない状態になっていく。
誰も聞いてくれないなら、何かに残せばいい。
非公開のSNSやスマホのメモ機能や動画データ、いくらでもツールは揃っている。そして、たまにそれを見返すとかつての自分が励ましてくれるような気がする。
あの時の自分はこんなに熱くなっていたのかと微笑ましくもある。恥ずかしいのもあるが。
たとえ、それがつまらない内容や間違っていると思えることでも残していないよりはマシだ。何も無いところには何も生まれない。
少なくとも僕の場合はそうだ。
もしどうやって両輪を作ればいいか分からなければ先ほどの本をちょっと立ち読みして考えてみると楽しい時間が訪れるだろう。
noteではかなりの有名人
掘さんの本もオススメです。