生きがいとは?と考えられるだけ幸せなこと。
『シンドラーのリスト』を観た。
公開当時は若すぎて、戦争作品には興味が無かった。
正直言って、若い時に見なくてよかったと思う。
と同時に若い時に見ておけばよかったとも思う。
果たして、この作品を若い時に見ていたら、僕の人生に影響を与えていただろうか?
時間を巻き戻すことはできない。
過去の人生をやり直すこともできない。
今見て思うことは、人生とは自分だけで作るものではないということだ。
こうして自分が思うままに言葉を紡ぎ、どんなに悲惨な戦争の話に心を傷めても、食べたい物を食べ、お風呂に入り、快適なベッドに身体を横たえる。
どんな悩みも安定した生活が保障されているから成立する。
生きるか死ぬか。
その瀬戸際で、ほんの少しのパンの欠片さえもご馳走と思える環境では思考などできるはずもない。
シンドラーがユダヤの人々を救った素晴らしい人であることは事実だ。
たまたまコテンラジオでシンドラーの人となりを聞き、僕は作品を観ようと思った。
神のような人間などいない。
でも、神と思える行為をする人はいる。
たとえどんなに悪人でも人のために生きることはある。
ある一面で人に優しい人が、またある一面では別の面を見せる。
一番見ているのは他ならぬ自分だ。
誰かの優しさを感じた時、受けた分だけ人に優しくなれる。おそらくその人はそれ以上に誰かに優しくしているのだろう。
『シンドラーのリスト』はとても残酷なシーンが多い。目を背けたくなる作品だ。
しかし、これは作品だ。
記録映像ではない。
映画を観ていることを忘れてしまうほど迫力があるけど、人が作ったものだ。
実際はもっと理不尽な光景の連続だろう。
でもだからこそ、人を大切にしなければなと思わされる。日常の生活が人の作ったものによって成り立っていることを実感する。
もし違う時代に生まれたら?
もし日本に生まれていなかったら?
やはり若い時に見ておくべき作品だった。
しかし、僕の人生はまだ終わりではない。
悩む暇さえ与えられず亡くなった人々がいたことを、そしてそれを行なったのが人間であることを僕は忘れない。
もし忘れそうになったらまた観ようと思う。