『鬼ノ宴』~勝手に歌詞を解釈してみた
月曜。男は迷っていた。
それは、あまりにも無造作だった。
手足がそのまま残り、
眼球は溶け、内臓すらも露出していた。
あるいは、男と同じような境遇だった者たちの
なれの果ての姿なのかもしれない。
しかし、男が迷っていたのは
「それに手をつけるべきなのか?」ではない。
何処から喰へば良いものか?
それが美味いのか?不味いのか?
それが分からないから迷っていたのだ。
今まで「それ」に対して食欲を抱いたことはない。
世の中の決まりだと、疑うことすらしてこなかったからだ。
しかし、男の食指は確実に「それ」へと向かっていた。
男のわずかに残された良心は、
食べるのを我慢をしようとしていた。
しかしその我慢は、禁を破ってはいけない理性というよりは
「それ」らへの礼儀のような、そんな自らへの抑止だった。
「どうぞ...お先に...」
どこからか聲が聞こえる。
近くでささやかれるような、さらに地の底から響くような。
その、そそのかすような声は、
他の誰かの声なのか?それとも先ほどの
善い心とは真逆の、男自身の心の声なのか?
口を開く。生唾を飲み込む。
男の心から、またひとつ人の心が剥がれた。
始まり。それは月曜だった。
このまま喰わずにいたら、
おそらく今、男が喰おうかと迷っている「それ」の
仲間入りをするだけなのだろうか?
おそらく、このような逡巡は
たった1度切りなのだろう。
一口食べてしまえば、もう歯止めは効かず
延々と餓鬼道に堕ちてゆくことになる。
そう考えると、この迷いの時間は
とても貴重で甘美な、勿体無い時間とも取れる。
好きなもの丈 食べなはれ
また、聲が聞こえた。
礼儀を通し、喰わず、潔白の道を選ぶのか?
それとも欲のまま喰い、暗黒に堕ちるのか?
男にとっては、もう、どうでもよくなってきていた。
死ぬも生きるも、堕ちるも昇るも紙一重、
丁半博打のように感じつつあった。
それでも、もはや幽かになってしまった人の心が、
一条の光のように
男にささやきかけるような気がしていた。
遅くはないわ 御出でなさい
しかし一方で、それよりも、より強い衝動の聲が、
この餓鬼道の下にある地獄道から
轟音のように耳を鳴り響かせていた。
今さら、どこに昇れるというのだろう。
もう帰れない。帰されない。
日曜になっていた。
男がこの餓鬼道に堕ち7日が経とうとしていた。
男に残っていた最後の人の心が剥がれた。
「あきらかに...ヨロシイ。。。」
声が聞こえた。
堕ちるとこまで堕ちなはれ
嗚呼、否、否、否
人から餓鬼へ、
人だった頃の記憶が廻る。
人から餓鬼へ、
人だった物の臓腑を展く。
嗚呼、否、否、否
それは宴。鬼ノ宴だった。
月曜。
今日もまた、
ここまで堕ちているのも関わらず
迷っている者が一人。
以前、「男」だった餓鬼は、
もはや自分が人だったことを忘れ、
同属になるであろう者に、
遠くから、そそのかすようにささやく。
勿体無ぇや 1度切り
好きなもの丈 食べなはれ
堕ちるところまで堕ちなはれ
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