【3人声撃】月を見ていた
■タイトル:月を見ていた
■キャラ
アダム:男
脳を専門とする医者
多種多様な種族の治療方法を学び、愛する人の失った記憶を呼び起こそうとしている
バルバラ:女
アダムの助手として働く記憶喪失の女性
ヴィート:男 ※性別自由
エルフの一族をまとめるハイエルフ
アダムとは友人
――――――――――――――――――――――――
バルバラ:先生、コーヒーです
アダム:珍しいな…なぜ紅茶じゃないんだ?
バルバラ:ブルディラ産の茶葉が台風の影響で在庫が無いようで、しばらく買えてないので切らしちゃったんです…でも、患者様が来た時はコーヒーも淹れてますからまずくはないと思いますよ!
アダム:バルバラが淹れてくれたんだし、まずいなんてことは無いだろうさ
コーヒーは好きだしね
バルバラ:そうなんですか?
先生は全然コーヒー飲まないですから、そんなに好きでじゃないのかと思ってました
アダム:コーヒーにはいい思い出がありすぎてね…
バルバラ:あぁ…前に言ってましたっけ
昔好きだった人が淹れてくれたってやつ
アダム:ああ…特別な豆を使っているとか、特殊な器具を使ってるとかではないはずなんだが彼女のコーヒーはなぜか美味しくてね…あれを超えるものを飲んだことがないんだ
バルバラ:そこまで褒められるとは…とっても上手に淹れられる方だったんですねぇ…
でも、私もこの診療所に拾ってもらって長いですから、先生の好みは熟知しています!
ぜひ、飲んでみてください!
アダム:ふふ、ならお手並み拝見だね…キリもいいし、少し休憩するとしよう
バルバラ:…先生はいつも研究をなさってますけど、たまにはしっかり休まれては?
アダム:…休む暇も惜しいんだ
バルバラ:それで先生まで倒れられたら大変ですし…私はそれを望んでいません
アダム:そうかもしれないが…これは僕のわがままなんだ
僕はいろいろな患者を診ているけど、専門は脳だからね…失った記憶を取り戻すなんて医者の名利(みょうり)に尽きるってもんだろ?
(コーヒーを飲む)
っ…!?美味しい…!
バルバラ:ほんとですか!やったあ!
次からは紅茶だけでなくて、コーヒーもお出ししましょうか?
アダム:あ…ああ、頼むよ
バルバラ:かしこまりました!
それじゃあ、早速追加でお豆買ってきますね!
(バルバラは走りながら外へ出ていく)
アダム:ははは…そそっかしいことだ…
しかし、驚いたな…失くした記憶は戻らないのに、コーヒーの淹れ方は覚えているとは…
―――――――――――――――――――
ヴィート:…そうか、コーヒーの淹れ方を覚えていたのか
良かったな、君の淹れたコーヒーはまずくて飲めたものじゃない
アダム:そういう問題じゃないんだよ、ヴィート
間違いなく、あのコーヒーは彼女の味だった…これには何か意味があるように思えてならないんだよ
ヴィート:たかだかコーヒー…大した差など生まれないように思えるが?
君の思い違い…ということはないのかい?
アダム:僕より何十倍も長く生きているくせに味の違いもわからないのか?
ヴィート:長く生きていると、若いころに気にしていたことは、取るに足らない些細(ささい)なことだったと気づくものなのさ
アダム:ヴィート、僕は確信を持ってるんだ…あの味は彼女以外に出せる味じゃない…
3年かけてやっと現れた良い兆候(ちょうこう)だ…君の意見が聞きたい
ヴィート:個人的には3年間、彼女のコーヒーを飲まなかったということに驚きだけど…いい傾向(けいこう)であるのは確かだと思う
アダム:どういうことだ?
ヴィート:バルバラの症状は、チープで包括的(ほうかつてき)な言い方だが記憶喪失(きおくそうしつ)だ……3年前のあの日以前の記憶がすっぽり無くなり、今のバルバラを構成するのは新たに積み上げたわずかな記憶のみ…元の彼女とは全くの別人と言っていいだろう
だが、彼女はコーヒーの淹れ方を覚えていた…つまり、喪失(そうしつ)ではないのかもしれない
無くなった記憶は彼女の頭の奥底のどこかに隠れているだけ…という可能性が高まったと言えるんじゃないだろうか
(ヴィートはそこまで言い切るとコーヒーをすする)
うわ、ほんとに飲めたものじゃないな
アダム:うるさいな、文句を言うなら飲まなくていい
…彼女の記憶が眠っているだけだとして…呼び起こすためにはどうすればいい
ヴィート:私の知り得る魔法はほぼ全て試した…各種族に伝わる魔法もだぞアダム…
ドワーフ、ピクシー、バンシー、フェアリー、レプラコーン、コロポックル…スピリット、エレメンタル、ニンフ、セリアンスロープ、ドラゴニュート、マーフォーク、ドライアド…そして我々、エルフだ
それでも足りないと言うのならば…そうだな、東洋魔術(とうようまじゅつ)にでも踏み出してみるか?妖狐(ようこ)や天狗(てんぐ)は妖術(ようじゅつ)に長けた種族と聞くぞ?
アダム:…言いたいことがあるならはっきりと言ってくれ
ヴィート:私の意図を汲(く)んでくれてありがとうアダム
医学、薬学、魔法学的なアプローチは散々(さんざん)行ってきた…なのにやっと現れた成果(せいか)のきっかけは一杯のコーヒーだ
必要なのは精神系の魔法や魔術の類(たぐい)じゃない…
彼女を救いたいのならば、君が勇気を出して彼女と向き合い、そのきっかけになるしかない…君が彼女と交わした約束だって…忘れたわけじゃないだろう
アダム:ヴィート…僕は…
(部屋にバルバラが入ってくる)
バルバラ:…あ、ヴィートさん!
こんにちは!
ヴィート:やあ、バルバラ、なんだかご機嫌(きげん)そうだね
バルバラ:そうなんです、見てください!すっごく美味しそうなお菓子が売ってたんですよ!
もし良かったら、コーヒーのおかわりと一緒にいかがですか?
ヴィート:それはいいね、ぜひいたただこう
君の先生が淹れたコーヒーは褒められるところが見た目しかなくて困ってたんだ
アダム:バルバラ、彼にコーヒーを出すのは勿体(もったい)ないようだ
白湯(さゆ)でもだしてやるといい
バルバラ:ふふ、そうはいきませんよ、お客様ですから
ちょっと待っててくださいね
(部屋の奥に行くバルバラ)
ヴィート:…怖いか、アダム
彼女と向き合うのは
アダム:…彼女が記憶を失うことになったのは…僕のせいだ
ヴィート:…それは違う…我々が背負うべき業(ごう)だろう
それに、あれは事故だった…それが私の認識だ
君1人が抱え込むべきことじゃない
アダム:…どのような慰(なぐさ)めを受けようとも、事は僕から始まってるんだよ…ヴィート
―――――――――――――――――――
ヴィート:(NA)
アダム…彼は私の1000年以上に及ぶ人生の中でも、とても面白い類(たぐい)の人間だった
アダム:僕はアダム…医療を生業(なりわい)とするものです
大変ぶしつけなお願いで恐縮なのですが、エルフが管理する世界樹(せかいじゅ)の葉を、研究のために幾枚(いくまい)かお譲りいただけないでしょうか
あなた方にとって大切な物であることは重々(じゅうじゅう)承知しておりますが、何卒(なにとぞ)…
ヴィート:わざわざ、こんな森の奥まで来てもらって申し訳ないが…ただの人間に渡すことはできない
世界樹の葉は一度収穫してしまえば再度葉をつけるまでに数十年の時を必要とする
研究などという、あやふやな物のために、同胞(はらから)に使用すべき葉を渡すなど…エルフの長としてあってはならない
アダム:…僕は人族(ひとぞく)の世界ではそれなりに名の通った医者です…世界樹の葉に報(むく)いるだけの働きをエルフの皆様に提供できる自信があります
長命博識(ちょうめいはくしき)のエルフとは言え、最新の人族(ひとぞく)の医療技術は存じえないはず…私が知り得る全てを伝え、エルフのためにその技術を使いましょう
それで…私の願いを聞いてはいただけないでしょうか
ヴィート:…話を聞いていなかったのか?
1枚の葉をつけるのに数十年はかかるんだぞ?葉に報いるために、君はどれだけの時間をエルフのために捧げるというんだ?
アダム:無論、死ぬまで
ヴィート:…愚かな…死ぬまでここで働いてその研究とやらはどうするつもりだ
アダム:…研究とは記憶ではなく、知識として残るもの
僕が積み上げた知識が有用であるならば、それを使うのが僕である必要はない
ヴィート:…ふふふ、ははは…はっはっはっはっ!
エルフは閉鎖的ではあるが、わからず屋ではない…この耳は嘘を聞き分けることもできる
君の話は信用に足りうると私は判断した…気に入ったよ、アダム
良き隣人となり得る者を無下(むげ)にしたとなれば、一族の恥となってしまうな
ヴィート:(NA)
若き医療者(いりょうしゃ)であったアダムは人族とエルフの良き橋渡しとなってくれた
私とアダムが選んだ一部の業者とエルフとの交易(こうえき)を始め、全てが上手く回り始めた…そんな中、アダムは一人の女性と出会ったのだ
バルバラ:アダム先生、私を助手として雇ってくれませんか?
アダム:君は…?
バルバラ:スロウスト商会のバルバラです
アダム:あぁ、フィースト・スロウストの…仕入れる医療器具の質がいつも良くて助かってます
会長にそうお伝え下さい
バルバラ:あ、ありがとうございます
商会長も喜びます…いえ、その話ではなくてですね
ぜひ、私をアダム先生の助手として雇ってほしいのです
アダム:…し、しかし、雇うと言っても…スロウスト商会レベルの報酬など到底(とうてい)払えませんよ?
バルバラ:いえ…私はお金のためにやるのではありません
先生の持つ大義(たいぎ)に共感したのです
これから救えるかもしれない多くの患者様のために、この人生を使わせてはいただけないでしょうか!
ヴィート:(NA)
バルバラはアダムの熱意に感銘(かんめい)を受けやって来た…しかし、アダムの人となりに惹かれていくのにそう時間はかからなかった
バルバラ:先生、コーヒーはいかがですか?
アダム:ありがとう…今日はバルバラが淹れてくれたんだね
バルバラ:エルフの皆さんが祭事(さいじ)でいらっしゃらないので、はい、どうぞ
軽食も一緒にどうですか?サンドイッチ作ったんですけど
アダム:それでいい匂いがしてたのか、是非いただくよ
(コーヒーを飲む)…美味しい
これ、何か特別な豆でも使ってるのかい?
バルバラ:いいえ?昨日まで先生が飲まれていたのと同じものですが…
アダム:淹れる人が違うだけでこうも変わるものなのか…いや、いつものやつも美味しいんだけどね
バルバラ:ふふ、そんなに褒めていただけると嬉しいです
アダム:(サンドイッチをかじる)
このサンドイッチも随分おいしいな…中身は…
バルバラ:チーズとドライトマト、レタスにベーコンです
アダム:僕の大好物になりそうだよ
バルバラ:ほんとですか?ふふ、やった
少し硬めのバゲットを、グッとつぶしながら焼くんです
柔らかいパンはパンじゃないですからね
アダム:ふふ、こんなにおいしいならその主張も正しいのかも…あれ?バルバラ、指先切ってないかい?
バルバラ:あ…ほんとですね……包丁で切ったのかもしれないです
アダム:治療しよう、こっちに座って
バルバラ:そんな…先生の手を煩(わずら)わせるほどじゃ…
アダム:僕は医者なんだ
治療が必要な患者を見捨てるなんてできないよ…それにここは森の中だ…虫や動物なんかが病気を持ってきたら大変だしね
バルバラ:わかりました…ありがとうございます…
…先生の手、とっても固いですね
アダム:あぁ、ずっと研究してたらこうなったんだ
僕もたくさん触っちゃいけない物を触ったり、切ったり、打ったりしてね…
しっかり治したつもりだけど、傷跡が固まったり腫れが残ったり…後はペンだこかな
普段は手袋をするんだけど…今ここに無くて…ごめんね
バルバラ:いえ、その全てが先生の努力の証(あかし)です…私はとても素敵だと思いますよ…
アダム:…そう…かな、ありがとうバルバラ
バルバラ:いえ…そんな…っと、というか…あの、素敵って言うのは手が素敵ってことで…でも、全然アダム先生が素敵じゃないとかじゃないですから!
では、えっと、失礼します…!
こ、こちらこそ、ありがとうございました!
(バルバラは早足でその場を立ち去る)
バルバラ:あぁ…もう…何言ってんだろ…私…
―――――――――――――――――――
ヴィート:…こんな夜更けにこんな場所で何をしているのかな?
バルバラ:ヴィート様…今日は月が綺麗でしたのでよく見える場所に…と
ヴィート:確かに…月を見るならばここがいい
もうすぐ満月だし…アダムも誘って来たらどうだい、気になってるんだろ?
バルバラ:うぇっ…!?いえ…!!その…気になる…というか…なんといいますか…
ヴィート:あ、余計なお世話だったかな?
バルバラ:…いえ…余計なお世話だなんてことは…ただ、その、どうすればいいのか考えが及ばず…
エルフの皆様の魔法、薬学の知識とアダム先生の研究は医療分野に大きな発展をもたらしています…人族の為政者(いせいしゃ)もその研究を認め、資金援助も始めてくれた…
アダム先生は、自らの研究に人生の全てを賭け、成果を上げ続けている…それほどの能力と覚悟を持つ方の邪魔をしたくないのです
ヴィート:君はそんな大人ぶった理由で自分の気持ちを隠せるのかな?
バルバラ:…ふふ、ヴィート様に嘘は通じませんね
ヴィート:人間の一生は私たちからすればほんの一瞬でしかない
後悔するにはあまりに短すぎる…それに私はエルフの中でも長い時間を生きている方だ…私の言葉を信じても、そう悪くはならないと思うけどな
バルバラ:ふふ…では、次の満月の時はアダム先生もお誘いしてみます
ありがとうございます、ヴィート様
ヴィート:その時は私も協力するよ…
なあ、バルバラ?…私ともアダムと話すようにもっと砕けた話し方でいいんだよ?
バルバラ:エルフという一族を修める長(ちょう)にそのような話し方はできません
人族からすれば王にあたるのですよ?…これでもかなり砕けた話し方をさせていただいております…アダム先生がちょっとズレているんです
ヴィート:ははは、確かにそうだね
彼は人とはズレている…でも、だからこそ君は彼に惹かれたんだろう?
アダムという…他に類(るい)を見ない人柄(ひとがら)に…私もそうだ、君の感情とは少し違うけどね
バルバラ:そうかもしれません…
ヴィート様、つかぬことをお聞きしますが…今アダム先生がされている研究の詳細をご存知でしょうか?
危険が伴(ともな)うと私も関わらせてもらえないのです
ヴィート:あぁ…私も詳しくは聞いていないよ
彼は元々脳医学を専門としていたようだが…最近は以前にも増して研究の熱が凄い
…とりわけ、記憶を司(つかさど)る箇所(かしょ)の研究に躍起(やっき)になっているようだったけどね
バルバラ:記憶…ですか?
ヴィート:あぁ、生き物が記憶できる容量には限界がある
エルフは人族とは比べられないほど長く生きるから、その容量も比較にならないほどあるのではないかと聞きに来ていたよ
バルバラ:実際どうなのですか?
ヴィート:私は専門家ではないから明言することはできないが、私見(しけん)を述べさせていただくのならばそうだと思う
エルフは長い一生の中で多くの仲間や友を失う…何かを失う恐怖から孤独を選ぶ者もいる…
そうした時に、私たちは何十、何百年前なんていう…色褪せた記憶にしかすがれないからね
バルバラ:では、先生の研究が成功した暁(あかつき)には、色褪せない記憶となるのかもしれませんね
ヴィート:…そうかもしれないね
だが、本当にそれがいいことばかりかは…考えねばならないだろう
―――――――――――――――――――
ヴィート:…入るぞ、アダム
アダム:ヴィート…!
どうして中に…魔法で鍵がかかってただろ
ヴィート:エルフの魔法を踏襲(とうしゅう)した鍵のことか?
私に解けないはずないだろう
さあ、何をしているのか吐け
アダム:何って…研究だよ
ヴィート:聞いているのは中身だ
君のバルバラへの気持ちは重々(じゅうじゅう)理解している
その彼女をわざわざ遠ざけてまで行う実験は一体何なんだ
アダム:はぁ、隠しても無駄そうだ……今しているのは記憶の複製と取り出しに関する研究だよ
ヴィート:…なんだと?
アダム:…研究に時間が足りないんだ…僕の知識だけではあまりにも進みが遅すぎる
…しかし、記憶の複製で、他の研究者たちの知識を借りることができれば、僕の研究は躍進(やくしん)するはずなんだ
その人の記憶とはその人の生きざま…僕だけではたどり着けない発送の泉なのだから…
それに僕がいずれ死ぬことになった時、この知識を正確に残しておければきっと誰かが後を継いでくれる
エルフ達だって、正しい記憶が鮮明に残り続けた方がいいだろう
ヴィート:…記憶…そこに紐づく知識には価値がある
皆が皆、君のように自らの知識を他者に共有するお人よしばかりではないぞ
それに、記憶の取り出しが可能になれば、記憶を商品として扱うことができるようになるだろう…そうすれば、有用な知識を持つ者達が無法者(むほうもの)の被害に遭(あ)うことだってある…誰かの記憶が踏み荒らされることになるぞ
アダム…君は十分すぎるほどに成果を上げ続けているじゃないか…なぜそれほどに焦るんだ
アダム:…南の集落のエヴィアがケルサ感染症(かんせんしょう)で先週死んだ…
僕がもっと優秀なら救えたかもしれない命だ…僕が助けられる範囲はまだまだ狭い…それじゃあ駄目だ…僕は多くの人の未来を早く良くしたいんだよ!
ヴィート:…アダム、落ち着いて今一度考えろ
確かにその研究が成功すれば、大きな成果を得られるのかもしれない…だが、その後ろで取り返しがつかないほどの大きな被害が出かねないぞ
バルバラ:…そう言うことだったのですね
(隠れていたバルバラが顔を出す)
アダム:バルバラ…!?君まで…!
話を聞いていたのか…?
バルバラ:少し前からです…
気づかれていないかもしれませんが…最近、アダム先生は些細(ささい)なことをよく忘れています
自分を実験台にして記憶の研究をしているんじゃないですか…?
アダム:それは…
バルバラ:…先生の記憶には想像もできないほどの価値があります
その記憶が失われればエヴィアさんだけじゃない…多くの命を救えなくなります
だから…実験台を欲するというのならば私をお使いください
アダム:…何を言うんだ!
ヴィート:バルバラ…君は今の話を聞いていたんじゃないのか!?
自らの記憶を実験に差し出すなんて危険すぎる…わかっているのか!
バルバラ:わかっています…その危険性、そしてヴィート様の危惧(きぐ)する未来も…
しかし…ヴィート様…ご存知でしょうか?
今、人族の世界では魔動車(まどうしゃ)という、魔力で動く乗り物が盛(さか)んに作られています…
それは高速で動く魔力を帯びた鉄の塊(かたまり)…とても便利であるかわりに大きな危険を秘めている…だからこそ、ルールを作り制限を与えています…
危険を予期する…それは議論の余地もなく重要です…しかし、大きな進歩には痛みが伴うものではないですか…!
ヴィート:理屈はわかる…!だが、私が提示(ていじ)した危険性をクリアできていない…!
アダム:…いや、それ以前の問題だ!ヴィートもさっき言っただろう!
バルバラを危険な目に合わせるような実験なんて許可できない!
バルバラ:誰かがやらなければならないならば!…私がやります!
アダム先生の助手として…アダム先生を最も信頼する者として…私がやるべきです…!
ヴィート:(NA)
私たちはバルバラの強固な意志を変えることはできなかった
記憶を扱う術式に対して最高レベルのエルフの魔法封印を行い、外部への流出を防ぐこと
そして…アダムと私、2人の観点で安全基準を大幅に引き上げ、実験を行うことを条件として、研究は継続されたのだった
―――――――――――――――――――
アダム:雨か…
バルバラ:先生?どうされましたか?
アダム:…いや、何でもない…ヴィート、準備はいいか?
ヴィート:あぁ…術式の最終確認も完了してる
いつでも大丈夫だ
アダム:…では、これより記憶複製(きおくふくせい)及び、記憶の外部出力(がいぶしゅつりょく)手術を行う
記憶の霧散(むさん)を防ぐための防御結界‘(ぼうぎょけっかい)と補助魔法(ほじょまほう)の状態を再度確認
ヴィート:…問題ない
アダム:よし…では、術式を起動する…魔力充填(まりょくじゅうてん)
ヴィート:充填開始
アダム:…よし、術式の起動を確認…バルバラの記憶の複製を開始する
恐らく君の意識はすぐに無くなってしまうだろう…準備はいいね
バルバラ:…はい…先生
アダム:なんだい?
バルバラ:明日は…満月らしいです…だから…その…いえ、手術が終わったら改めて言います!必ず…お時間くださいね…!
アダム:わかった…約束だ…僕も…言いたいことがある
バルバラ:それは…とっても楽しみです…約束ですね…
アダム:あぁ、じゃあ、行くよ…魔法を発動する…!
複製(デュープリーカティオ)!
バルバラ:うぁっ…!?…が…あ、あぁ…
ヴィート:予定通り、脳に魔力が巡っているようだ…補助魔法が脳のダメージと魔力の発散を抑えている…今のところ問題ない
アダム:…よし…では次の段階へ…
(巨大な落雷が手術室の真上に落ちる)
…おわっ!?なんだ…!今の音は…それにかなり揺れたぞ!?
ヴィート:…雷が落ちたのか!?…まずい!
バルバラ:うあああああ!!がぁぁぁあああ!!
(バルバラが苦しみだす)
アダム:バルバラ!?ヴィート!何が起きてるんだ!!
ヴィート:バルバラの脳が負荷に耐えきれてない!
雷の影響で、補助魔法の術式と防御結界が乱れてる!
バルバラ:やめ…やめて…怖い…あぁ…は、はは…ははははは!
アダム:感情が安定していない…良い記憶も悪い記憶もフラッシュバックしてるんだ…!
ヴィート!術式を切るぞ!
ヴィート:いきなり切ると脳がクラッシュするかもしれない!
徐々に出力を落とせ!!回復魔法で脳を守る!
…エリューヴェルテレ・サナ・リパーラルティレイ・プリ―モス!
アダム:(ヴィートの呪文詠唱に重なるように)
ゆっくり丁寧にだ…徐々に出力を落とせ…!
バルバラ:うぐ…うぁあ…あ…あ…
(バルバラが徐々に落ち着いていく)
アダム:はぁ…はぁ…
ヴィート:どうだ…!
バルバラ:う…うう…んん…
アダム:バルバラ…!
バルバラ:う…うぅ…うぁ?
アダム:バルバラ…大丈夫か…?
バルバラ…?
バルバラ:あ…あぇ…あ…
ヴィート:もしかして…記憶が…!?
アダム:(NA)
全ての記憶を失い赤子のようになったバルバラを見て…僕は自らの犯した失敗の重大さに気づいたのだった
―――――――――――――――――――
アダム:…全ては僕の判断ミスだ
バルバラの心を…記憶を大きく傷つけ…あまつ失った
その原因たる僕を彼女が恐れていないと…恨んでいないと思うのか…!
今のバルバラは何も知らない…だが、思い出せば…また、その恐怖をフラッシュバックさせるかもしれない…なのに僕にきっかけになれだなんて…
何のために、エルフ達との約束を反故(ほご)にして町まで戻ってきたと思ってる…!
ヴィート:エルフは皆、君に感謝こそすれ怒りなどしていない…彼女のきっかけとなり得るのは君だけだ…アダム
その理由を…彼女にとって、君がどれほど大きく、重要な存在だったのかわかっているだろう…!
アダム:僕は……
バルバラ:お待たせしました!コーヒーです!
アダム:あぁ…ありがとう、バルバラ…
バルバラ:何の話をされてたんです?
ヴィート:昔話だよ
バルバラ:お二人の昔話ですか?私、気になります!
ヴィート:だそうだよ?アダム
アダム:話して面白いことじゃないさ…
バルバラ:…そうですか?
そういえば、もうすぐ満月ですよね!
アダム先生も研究しっぱなしですし、たまには気分転換にお月見でもしませんか?
ヴィート:いいじゃないか、私は祭事(さいじ)で森に帰らなければならないが…二人で楽しむといい
バルバラ:…それなら、私たちも一緒に森へ行きませんか?
アダム:なに?
バルバラ:私、まだ行ったことないですし…エルフの皆さんは月を崇拝すると聞きました…綺麗に見える場所があるんじゃないかと
ヴィート:それはもちろん…もごっ!
(アダムがヴィートを引っ張って部屋の隅に連れていく)
アダム:おいヴィート…!何を考えてるんだ…!
森に連れてってフラッシュバックが起きたらどうする…!
せっかく3年間で積み上げた記憶ややっと現れた兆候を無に帰すつもりか…!
ヴィート:あまり強く断ると、不自然だぞ?
それに…私は彼女に協力すると約束したんだ、悪いな、アダム
アダム:それはいつの何の話だ…!
ヴィート:さて、いつだったか…バルバラ!
君の先生は行ってもいいと言ってる
アダム:お、おい!
バルバラ:ほんとですか!やったぁ!
アダム:…ぐ…恨むぞ、ヴィート…!
―――――――――――――――――――
バルバラ:(NA)
私がアダム先生と知り合ったのは3年前
はっきりとは覚えていませんが…なぜか全ての記憶を失い、町をさまよっているところをアダム先生に拾われたそうです
それからは少しずつ教養や世間の常識を学び、1年経つ頃には先生の助手となれるほどに成長したのでした
アダム:大丈夫…僕は君の…主治医(しゅじい)だ
記憶を取り戻すまで、全力を尽くしてみせる
バルバラ:(NA)
記憶が戻る兆(きざ)しのない私に先生はよくそう声をかけてくれました…
しかしその度に、とても辛く悲しそうな顔をされます
研究をしている最中も先生はよく痛みに耐えるかのような苦しみに満ちた顔をされます
時には…夜に1人で泣かれることも…
ヴィート:彼は…良い奴だから、全てを背負い込もうとするんだ…初めて会った時からそうだった…バルバラのせいじゃないよ
バルバラ:(NA)
私は先生の助手です…何とか先生を笑顔にしたい…
そのためには、私が記憶を取り戻すしかない…
アダム:今日は満月らしいね…雨が降らないといいんだけど
バルバラ:(NA)
違和感に気づいたのは半年ほど前の満月の夜…アダム先生がそう言われた時でした
満月…その言葉を聞いたとき私の心に浮かんだのは…“約束”でした…
ヴィート:我々エルフは月を崇拝(すうはい)する
何度沈んでも浮かび上がり、欠けてもまた満ちる…
変わらずに、永遠に変わり続ける…エルフは月と自らを重ね合わせ…崇拝するんだ
バルバラ:(NA)
エルフは月に一族を…自らを見る…なら私は月に何を見たの…?
私は何を約束したの…?
私はその答えを見つけたい…それが失った記憶につながるのならば…!
―――――――――――――――――――
アダム:…本当に大丈夫なんだろうな
ヴィート:私とて彼女に良い刺激だけを与えたい…皆には彼女とは初対面として接するよう強く言ってある
バルバラ:先生!ヴィートさん!何してるんです?
早く行きましょう!!
アダム:あぁ!はしゃいで転ばないようにね!
バルバラ:は~い!
ヴィート:どうだいバルバラ
初めてのエルフの里は
バルバラ:とっても素敵です!
お家はツリーハウスでかわいいし…空気も綺麗だし…言うことなしですよ!
ヴィート:それは良かった
バルバラ:あそこ…一か所だけ葉っぱが無いですね
他の場所は木の枝が絡み合って…天井みたいになってるのに
ヴィート:この森ははるか昔からそうなんだ
あの場所だけは枝も葉も伸びない…あの隙間のおかげで我々の集落は太陽と月に適度に照らしてもらえているんだよ
バルバラ:不思議…ですね…
アダム:自然の全てを尊(たっと)ぶエルフ達に神聖なる者が与えた祝福、だったっけか?
ヴィート:あぁ、よく覚えているな
アダム:君に教わったことだ、忘れるなんてもったいないだろう
僕はエルフ達のために薬を持ってきたから、渡してくるよ
バルバラ:それなら私が…!
アダム:エルフの里は複雑だ
道に迷うといけない…ヴィートに案内してもらっててくれ
バルバラ:…わかりました、お気をつけて!
アダム:ありがとう
(アダムはその場から歩き去る)
ヴィート:バルバラ…ほら、あの場所だ
あそこの高台に登ると、一番綺麗に月が見える
バルバラ:高台…ですか…
ヴィート:今晩アダムを連れて行くといい…気になってるんだろ?
バルバラ:えぇっ…!?いや…!!その…気になる…というか…なんといいますか…
ヴィート:ふふっ…はははっ…余計なお世話だったかな?
バルバラ:なんでそんなに笑うんですか!
もぉ………先生については、まだよくわかってないんです…
ヴィート:…と、言うと?
バルバラ:先生は私の恩人です…記憶を失くしてどうしようもなかった私を助けてくださいました…
でも、回復の兆しが無いせいで…先生を苦しめている
私は先生のご迷惑になりたくないんです…!先生を笑顔にしたい…助けたいんです
でもそれが恋…のような感情なのかはわかりません…
ヴィート:…いずれ、はっきりするだろう
…私は少し行かなければならない場所があるようだ…他の者に案内を頼むから、アダムと夜を待ってくれ
―――――――――――――――――――
バルバラ:先生…
アダム:…バルバラ、どうしたんだ?
バルバラ:そろそろ月が見える時間ですから…あそこの高台に行きませんか?
ヴィートさんが良く見える場所なんだと
アダム:そうだね…少し雲行きが怪しくなってきた、雨が降らないといいんだけど…
ヴィートはどうしたんだい?
バルバラ:それが…行く場所があると言ってどこかに行っちゃったんです
アダム:そうか…じゃあ、二人で行こうか
きっと後から来るだろう
バルバラ:はい!
あれ、アダム先生…あそこなんだか変に隙間が空いてませんか?
アダム:あぁ…あそこは昔大きな木が立っていたんだ…
…雷が落ちてね…木は倒れてしまったんだよ
バルバラ:そう…だったんですね…
アダム:神聖なる者の与えた祝福…か
僕は雷が落ちたとき、あそこにあった木のツリーハウスの中にいたんだ…患者の治療でね…
雷は祝福の穴から落ちてきた…神は僕らを認めてはくれない…ということなのかもしれないね…
バルバラ:…患者様は大丈夫だったんですか?
アダム:…大丈夫…だったよ…ただ、何かを言おうとしていたようだったんだけど…まだ、聞けてないんだ…なかなか患者さんに会えてなくてね
バルバラ:そう…だったんですね…
アダム:…その話を聞くこと…それがその人と結んだ約束だったんだけど…結局僕は約束を破ってしまった…
バルバラ:約束…
アダム:…つい湿っぽい話をしてしまった…さぁ、行こうか
―――――――――――――――――――
バルバラ:うわぁ…!高いですねぇ…!
まだ、雲がかかってて月が見えないな…ゆっくり待ちましょうか
アダム:そうだね
落ちないように気を付けて
バルバラ:はい
そうだ…夜食にサンドイッチ作ったんです!
先生はおにぎり派かとは思うんですけど、エルフのみなさんはお米を食べられないようですから作れなくて…食べられます?
アダム:普段食べないだけでサンドイッチも大好きだよ
貰えるかな
バルバラ:良かったぁ…モッツァレラチーズとドライトマト、レタスにベーコンを挟んでます!
アダム:…そうか
バルバラ:…どうしました?
もしかして嫌いなもの入ってました…!?
アダム:いやそんなことないさ
大好きなサンドイッチだよ…僕の好みをよく知っているなって驚いただけ
バルバラ:えへへ、私が好きなんですよ
少し硬めのバゲットを、グッとつぶしながら焼くんです!
よく言うじゃないですか!
柔らかいパンは…
アダム:パンじゃない…
バルバラ:あれ?先生もご存知でしたか!
でも…誰の言葉だったかな…
アダム:それは…っ!?
雷だっ!?柵(さく)に捕まれ!大きく揺れるぞ!
(雷が鳴り、木が大きく揺れる)
バルバラ:きゃっ!!
アダム:バルバラ!
(高台からバルバラが落ちかける
アダムはとっさにバルバラの手を掴む)
アダム:手を掴んだ!…大丈夫か!バルバラ!!
バルバラ:…大丈夫です!
アダム:この高台から落ちたらさすがに助からない…!
絶対手を離すなよ!
バルバラ:は、はい!…でも、雨で手が滑って…
アダム:ぐぬ…くっ…くそぉ…!!
バルバラ:…駄目です!
先生まで落ちてしまいます!!
…先生を失うわけにはいきません…離してください!
アダム:そんなの駄目に決まっているだろう…!
僕はもう…二度と君を失うわけにはいかないんだ!!
バルバラ:二度と…?…先生…!!柵が…壊れそうです!!
アダム:おいおい!噓だろ…!?
落ちるぞ!!
バルバラ:きゃああああああ!!
アダム:くそっ…!僕は君との約束を…何も果たせていないのに…!!
ヴィート:トリスティクート!!
(ヴィートが呪文を唱えながら現れる、するとアダムとバルバラの体は宙に浮かぶ)
バルバラ:うわぁっ…!私、浮いてる…浮いてますよ!
アダム:これって…
ヴィート:…いやぁすまないね、遅くなっちゃって
アダム:ヴィート!君の魔法か!?
ヴィート:あぁ、せっかくの満月だからね…色々準備してたら君らが死にかけてるからびっくりしたよ
…さあ、ショータイムだ!!
(ヴィートが祝福の穴に向きを変える)
アダム:…バルバラ、見てごらん
バルバラ:雲が晴れていきます…!
ヴィート:エルフに伝わる古(いにしえ)の大魔法だよ
一定の範囲の天候を自在に操ることができるんだ
エルフ総出でかからないといけないし、運が悪いと他の地域の天候に影響が出るから普段はやらないんだけどね
バルバラ:…それなのに…わざわざ…?
ヴィート:親愛なる友人達のためならば…我々エルフは尽力(じんりょく)を惜しまない
さぁ…月が見えるよ…
バルバラ:………綺麗…です
(月を見たバルバラが涙を流す)
アダム:バルバラ…泣いているのかい?
バルバラ:……3年もかかってしまいましたから
アダム:…どういうこと?
バルバラ:アダム先生…あの日私は…一緒に満月を見ようと…そう言おうとしたのです…
それが私の…約束でした…
アダム:バルバラ…もしかして…
バルバラ:アダム先生…先生の約束は一体何だったのですか…?
先生は私に…何を言おうとしていたのですか…?
教えてください…もう二度と…忘れないように…
アダム:僕が言いたかったことは…僕は…君を愛している…バルバラ…!
バルバラ:私もです…アダム先生…!
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ヴィート:…小さな手がかりの連続…そして、二人の約束がバルバラの記憶をつないだわけか…きっかけは、2人で見た満月…随分とロマンチックだね
全て思い出せたのかい?
バルバラ:いえ…まだ思い出せないことも…でも、アダム先生とのたくさんの思い出はちゃんと…
アダム:バルバラ…僕は謝らなければならない…あの日…僕は君に…なんてひどいことを
…君の3年間を…奪ってしまった
バルバラ:先生と過ごしたこの3年間だって、変わらない私の思い出です…
だから…謝らないでください…
ヴィート:ふふ、ははははは!湿っぽい話は後にしよう
今宵は満月…失われた記憶も戻ってきた!
宴(うたげ)と行こうじゃないか!!
アダム:君が騒ぎたいだけじゃないか…
バルバラ:ふふ、でもとても楽しそうですね、ヴィート様
ヴィート:…また様に逆戻りかい?
バルバラ:え…えっと…それは…私も色々忘れておりましたので…
ヴィート:何とか言ってやれよ、アダム
友人は様なんて付けないもんだってさ
アダム:はぁ…だそうだよ、バルバラ
バルバラ:わかりましたよ!…じゃあ、ヴィート…さん
ヴィート:よろしい!それじゃあ私は皆に声をかけてくるよ!
(ヴィートは楽しそうにその場を後にする)
アダム:…ありがとう、親友よ
バルバラ:私…エルフの長にあんな口を利いて…不敬罪とかで罰せられたりしませんかね…
アダム:だとしたら僕は完全アウトだし、君も3年間の不敬で手遅れだろ?
バルバラ:あ~そうですよね!不安になってきました…
アダム:ははは!大丈夫だよ、そんなことで怒る奴じゃないさ…
それに…もう君を不安になんてさせないよ
何かがあれば僕が守る
バルバラ:…はい…私も、これからは…先生の…あなたの笑顔を守ります
アダム:それは、約束?
バルバラ:…はい、約束です