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嫌いな色が似合う色の意味が深い〜パーソナルカラーの語られない本質〜

いつもは堅めな話になっていますので、ここで一息入れてパーソナルカラーの「奥深さ」についてお話をしたいと思います。"パーソナルカラーがどういったものか"ということは至る所で話されていることなので、ここでは話しませんが、一歩か二歩さらに深い話をしたいと思います。私の体験談も含めて。

「好きな色とパーソナルカラーは違う」と聞いたことがあるでしょうか?私だけでなく、周りのアナリストの情報を聞いても殆どの方(8割から多くて9割以上)が好きな色と一致しないと言われていますし、その実感があります。好きな色と一致していた場合でも、好きだけど似合うとは思わなかったから着てはいなかった。試そうとしなかったという方も。

「好きな色」に表れているもの

では、パーソナルカラーは好きな色ではないのか?なぜ思いもしない色なのか?そもそも、好きな色とは何なのか?あなたはなぜその色が好きなのか?を知ることから始まります。

私の場合は、春夏秋冬のグループでは「春」のグループが似合うタイプです。そして私の好きな色は「秋」と「冬」。春の色はとても柔らかく軽やかでソフトな色。秋や冬の色は力強さがあり、しっかりとした質感のあるハードな色。

パーソナルカラー診断を受けたときに、先生から私には柔らかい(ソフト)な個性があると告げられ、実は素直に受け取れずむしろ少しグサッとくるような感じがして、いい思いがありませんでした。私は色白で体型がすごく華奢で、それは紛れもないコンプレックスでした。つまり私の憧れは、色黒で力強さのある、正に逞しく男らしい感じ(ハード)の像です。つまりソフトである自分の個性は、弱々しく、男らしくなく、頼りない存在だと思っていたのです。だからこそ、強い男性像を目指そうとしたし、弱くみられないように強い色を選ぼうとしていました。もちろん無意識レベルにですが。

そんな中で、ソフトな個性があると言われた時に、まるで現実を突きつけられたかのようにグサッときたわけです。好きな色には必ず理由があります。私だけでなく、お客様に理由を聞いてみると同じような話が聞こえてきます。童顔なのがコンプレックスで、大人っぽい印象に見られたかった方は、成熟感あふれる「秋」のタイプの色が好きだったり、はっきりとしたクールなお顔立ちの方は、繊細で優しさのある女性像に憧れ「夏」の色を好きだったり、自分とは違うイメージに憧れがあるのです。パーソナルカラー診断を受けたことがある方は、今深く頷いているかもしれません。

でも今のを聞いて少し安心されたのではないでしょうか?自分だけではなく、殆どの方がそうなのです。そして『自分が憧れていた色は自分の似合う色ではなかったけど、自分の似合う色は誰かが憧れている色だった』と考えると、少し救われませんか?

パーソナルカラーは自分の魅力を肯定する色

これまでお話したように、自分のパーソナルカラーを好きではなかった理由は、自分の個性を好きではなかった、コンプレックスに思っていた方が多いのではないかと思います。本当は薄々気づいていたけど、認めたくなくて敢えて遠ざけていたのかもしれません。パーソナルカラーが嫌いではなく、ただ予想外すぎたという方は、自分の個性のことを全く誤解していた(気づいていなかった)ということかもしれません。つまり、パーソナルカラーを知ることは、自分にある魅力を知り、認めて、それを肯定することにつながるのです。

自分のこと大好き!という方がどれくらいいるかはわかりません。でも、少なからず自分の個性について否定的な見方をしている方は沢山いると思います。でもそのフィルターは、自分が決めた主観のフィルターです。その否定的な主観のフィルターを外し、長所であることに変換することができるのがパーソナルカラーです。童顔な方は子供っぽいのではなく若々しく親しみやすい愛され顔、クールな顔立ちの方は冷たい強いではなく凛とした知的な魅力のある方、そして何より「華奢で繊細な個性は威圧感や緊張感を与えず、優しさや癒しを与えられる魅力」。以前の自分はそう思えなかったけど、今はお客様にそう伝えられます。

このような「マイナスからプラスへの変換」ができたときに、文字通り一気に世界観が逆転します。自分には無いから穴を埋めよう、補おうとしていた考え方から、自分にあるものを育てていこうという良さを磨く考え方になります。そしてそのような変化の中で、自分が唯一無二の存在であることを実感できるからこそ、パーソナルカラーがとても大きな意味があったと知るわけです。

パーソナルカラーは若く見えます!褒められて自信になります!肌が綺麗に見えます!とはよく言われますが、私はここには書きません。聞こえはいいので宣伝文句としては最高なのですが、軽く聞こえてしまいますし、事実私自身、人から褒めてもらうために、老けてみられないようにパーソナルカラーを着ているわけではないからです。私という存在が、他の誰でも無いこと、代わりがいないことを知らしめるためのもの。いわばアイデンティティそのものという認識です。パーソナルカラーが自己肯定に繋がるのは、そういう意味です。

私たちは、パーソナルカラーのことを「似合う色というより個性が際立つ(輝く)色」という言い方を敢えてしています。個性が際立つということは、平凡ではなくなること。頑張って努力してマイナスをゼロにするよりは、元々あるプラスを積み重ねたほうが楽な生き方では無いかと思うからです。

パーソナルカラーを知って捨てたモノ

パーソナルカラーを知ってから、沢山の服を捨てました。ただ捨てたもの手放したものは物理的なものではありません。他人に対する憧れや、他者と比較して自分を否定する考え、一方的な思い込み、固定概念に縛られた「こうあるべき」という価値観ー
パーソナルカラーを楽しんでいる人は、色選びに苦労しないから、沢山の色を着ているから楽しそうなのではなく、心から身軽に何にも縛られていないから楽しそうなのかもしれません。
もちろん、多少は自分にないものに憧れることも人間らしくて、それも否定する必要もありません。パーソナルカラーを知ったからといって、仙人のように悟った生き方をしているわけではありませんから。

ちなみに、パーソナルカラーを知って10年。今、私が好きな色は?と聞かれたら相変わらず「秋」や「冬」と答えます。「春」の色は好きになったと言えばそうですが、「受け入れた」といった方がしっくりくる言い方です。春の色は自分そのものだからこそ、好きも嫌いも超えて共にある色と感じています。

味覚もそうですが、好きでは無いものを急に好きになることは難しいですよね?色もそうで、パーソナルカラーを突然好きになることはないし、それで全く問題ないのです。ただ目を向けなかったその良さに光を当ててみると、違った世界が広がりますよ、ということです。自己否定から自己肯定にタイトルのように180°世界観が変わるのではないでしょうか。パーソナルカラーは着ること以上に知ることに大きな意味があります。

パーソナルカラー診断を受けて、「目から鱗が落ちた」「青天の霹靂」「カルチャーショック」「ここ何年かで1番の衝撃」そんな言葉が多く出てくるのは、決して似合う色が見つかってよかった…だけでは全く足りない、奥深さがあるからです。昨今の流行で、そういった部分は軽んじられたり、注目されない風潮にありますが、私はブレずにそれを伝えていきたいと思っています。

もし、私のパーソナルカラーが好きな色のままだったら、このような考え方になることはなかったはずです。それ考えると、嫌いな色がパーソナルカラーでよかったとさえ思えます。人生観というと大袈裟ですが、でもそれくらいのきっかけにはなった出来事です。