理不尽とラグビーと日本代表ありがとう
多分スポーツ観るのが好きなのは父の影響。
毎晩ついたてナイターは
「なんで掛布さんはミスタータイガースなのに巨人びいきなんだろう?」と疑問を持ちつつ観ていたり、
「なぜこの2チームで戦っているのだろう?」と思いながら、正月は天皇杯を観ていたり、
「おせちに足りないのは揚げ物なんだ」と気づくことなく箱根駅伝を観ていたり。
よくよく考えるとスポーツなんて理解できないことの方が多いわけで、幼いながらにそれらを許容しつつ、その競技を好きになっていったわけですけど、ラグビーだけはダメだったんですね。
ナイターが好きで、高校時代はサッカー部で、競馬も相撲もそれなりにうんちくを語れた父が、最も観るのが好きなのはラグビー。
他のスポーツは父のおかげで興味を持てたけど、ラグビーだけは無理だった。だって意味がわからないもん。
トライは知っていた。「相手のいないところを走ればいいのに」って思うんだが、敵に向かって突っ込んでいくし。人の山を作ってから動きがほとんどないし、「前にパスしちゃダメ」といいつつ、ほとんどパスしないし。
なんか『制限時間いっぱいです』までもそのあとも、やたら仕切りの長い大相撲みたいで、退屈極まりない。
そんなラグビー観戦にはまったのは中学三年の秋。
部活も引退し、受験勉強もそこそこで、帰宅後はドラマの再放送を観てばかりの時期。
清真vs茗溪の花園予選決勝をテレビでやっていて、することもないし、父と観ていて。
父のルール解説を聞きながら観戦してると、彼らの意味不明な挙動もなんとなく理解できた。
いま思えば、意味不明なことの大半は己の無知によるものなのだ、と、あのとき学んだような気もする。
その試合は凄まじいクロスゲームだった。
清真のきみしま選手というキッカーが無双してて、どんな位置からもペナルティゴールを決めていた。
ルールも知らぬ初見の私でも、ただただ面白く、退屈そうに茶をすする母をよそ目に、父と2人熱狂していた。
もう記憶も曖昧だが、確か後半ロスタイムまで同点で、トライ数の兼ね合いでそのまま行けば茗溪学園が花園出場という状況だったと思う(引き分けはトライ数が多い方が花園進出という規定)。
ラストプレーだろう清真の攻撃の途上、茗溪が反則を犯した。
センターライン付近、ゴール正面のその位置で、清真はゴールを狙う。蹴るのはきみしま選手。
テレビの解説によれば、彼は中学まで有望なサッカー選手だったという。
当時はようわからんかったが、外せば引退という超シリアスな場面で、正面とはいえかなりの距離のそのキックを、彼は事も無げに決めてみせた。
あのときの衝撃は、
いつも苦しくなると引き落としで勝っていた千代大海が、優勝をかけた一番、栃東の変化で負けた、
とかの比ではなく。
高揚感というかなんというか。
それから日もなく、テレビでやっていた早慶戦。その数日後に早明戦。
かじりつくように観戦した。特に早明戦はよく覚えている。後半40分まで早稲田が負けてたんだけど、ロスタイムにトライとってゴール決めて1点差。
そのまま行けば明治の勝ちだったけど、明治の選手がグランディングしている早稲田選手に蹴りを入れたため、早稲田ボールで再開。で、その後に明治がペナルティ、ゴールを決めた早稲田の勝ち。
むちゃくちゃ感動した。けど、学校で誰と話しても共有できず。
「ラグビーってなに?」みたいな。
ラグビーって存在を知ってる人も「ルールわけわからんし」と。
理解して貰えない苦しさと、分かち合える仲間の尊さを教えてくれたのがラグビーであり、
理不尽に耐え最後まで戦い抜く強さを示し続けてくらたのはラグビー選手だった。
昨日の日本代表戦、南アフリカむちゃくちゃ強かったですね。
スクラム。FW8人の合計体重、日本は860kgくらい(これもかなり凄いが)、南アは900kg超。
体重だけならスコットランドとかサモアも重かったが、南アフリカは各選手のパワーも凄まじかった。
シンビンなったけど、あの稲垣選手をひっくり返すタックルとか。。
田村選手は、相手タックルで肋骨が折れていた。喋るのも辛い状況でプレーを続けていた。
前になんかの番組でリーチ主将が「日本が雑魚扱いされるのが悔しい。日本には良い選手が多いのに」と話してた。
とは言えやっぱり、8ヵ国(NZ、南ア、豪、英国アイルランド4ヵ国、仏)は歴史も強さも途方もないもの。
その挑戦は恐らく、黒柳徹子とか上沼恵美子にお喋りで勝つことより難しい。
一般人の感覚では、とても抗いようがないと思える大きな力に、彼らは挑み続けていた。
下手すれば大怪我どころじゃ済まない状況でも常に戦っていた。
モールからのトライを許したあの段階で、並のチームなら40~50点を許すこともよく見る競技で、26失点に抑えたことが偉業なんだと思う。
だから南アフリカも、もう1トライの色気を見せたんだろうし。
70分を前に、選手自身も勝ち目はないとわかっていたと思う。
80分のフォーンがなり、ボールを奪い返しトライを取ろうとも試合終了で負けが決まるその状況でも、規律を守り、日本代表らしくプレーし続けた。
この1ヶ月はとても楽しかった。
多くの人がラグビーを知ろうとしてくれて、ラグビーの話題で盛り上がれて、とても嬉しかった。
熱心なファンを前にすれば、僕もにわかファンの類い。
だけど、ラグビー好きで良かったって思えた。ありがとうジャパン!
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