『なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術』読んだよ
読書生活を営んでいると、時々「お、あんためっちゃ気が合うやん。ちょっと一緒に飲み行こか?夜まで語り合おうぞ」という気持ちにさせられる著者に出会います。
今回読んだ『なぜ皆が同じ間違いをおかすのか 「集団の思い込み」を打ち砕く技術』の著者トッド・ローズ氏もその一人です。
以前、同著者の『DARK HORSE』を読んだ時に既に「気が合うなあ」と思っていたのですが、本書を読んでその思いはより確信が高まりました。とても江草の考え方や価値観に近いのです。
本書も読みながら「ほんまそれな」の連発でした。
著者は元ハーバード大学教授(個性学)で、現在は自身で起業されたポピュレース(あるいは「ポピュラス」読みもあるよう)というシンクタンクのCEOを務めてらっしゃるそうです。
本書のテーマは「集団の思い込み」。本文中では「集合的幻想」と訳されています。
邦題は「打ち砕く技術」などと、そこはかとなくダサい気がしないでもないビジネス書的なタイトルとなっていますが、原題の「Collective Illusions」に忠実に『集合的幻想』というタイトルにしてしまったら全然売れないでしょうから仕方ないところかもしれません。
この「集合的幻想」とは何か。一見固そうな言葉ですが、実際には誰もが馴染み深いものです。
端的な例は寓話の『裸の王様』です。正直言って自分には王様が裸に見えるけれど、誰も裸だと指摘しないので、自分だけが的外れなことを言う愚か者と思われたくないがためにみんなあたかも王様が服を着ているかのように振る舞う。知らない人はいないであろう有名な寓話です。
この『裸の王様』的に、みんながみんな、周りに同調した結果、ありもしない「集合的幻想」が現実の社会を支配することも多々あるのだという指摘が本書のメインメッセージです。
たとえば、著者はこのような例を挙げます。
実際、他人の行動に対して「どうせ金目当てなんだろ」とか「売名目的だ」と当てつけ的な批判がなされる光景はしばしば目にします。これは、自分たちは「金や名声のため」に生きてないけれど、他の人たちはそうに違いないという前提に立っています。
しかし、「自分はそうではないが、他人はそうである」と誰も彼もが思っているのであれば、本当は誰も金や名声のために生きていないのに「みんな金や名声のために生きている」と思い込んでるおかしなことになっています。
これが「集合的幻想」です。
みんなの意見に同調する傾向を意味する「付和雷同」や「同調バイアス」も近い概念ですが、この「集合的幻想」は「みんなの意見はこうである」という認識の中身がそもそも間違いという点で、もっと深刻な意味合いがあります。
私たちは思いのほか、他人のことやみんなのことを分かっていないようなのです。にもかかわらず、その誤った「みんなの意見」の幻想に大きく言動を支配されている。これが問題にならないはずがありません。
たとえば「日本人は事なかれ主義でリスクを取らないからダメなんだ」とか「古い体質の会社の人間は前例主義だから新しいことができない」といった愚痴はよく聞きますが、「我こそが諸悪の根源の事なかれ主義人間でござい!」とか「拙者は前例主義者であるぞ、皆の衆そこに直れ!」という人間はついぞいません。
そんな人間はいないにもかかわらず「自分はそうではないけれどみんながそうだからこの社会はおかしくなってしまっている」とみんな揃って思い込んでしまっているわけです。
いえ、正確に言うと、声高にそれっぽいことを主張している人は確かにいるんでしょう。でも、多くの人は実はそれに同意していない。なのに、そんな一握りの「裸の王様」の扇動に乗せられて、てっきり「なるほどみんなそう思ってるんだな」と私たちは解釈してしまう。そして「みんながそう思ってるなら」と、その幻想に基づいて自分も言動を合わせてしまうのですね。
たとえば斬新なアイディアを前にして、「うーん。(他の人たちを納得させるには)前例がないとやっぱり通らないんじゃないかな。うまく行くというエビデンスが何かあればいいけど」などと言って。
結果、実は当の私たち一人一人がその片棒を担いでしまっているわけです。
こうした集合的幻想の社会的な危険性を示す典型的な例は、パニックやバブルです。
皮肉なことに著者自身も幻想にとらわれてしまった例として挙がっていたのが、コロナ禍でのトイレットペーパー争奪戦です。
著者はコロナ感染拡大があるからといってトイレットペーパーがなくなることはないと個人的には考えていたそうです。しかし「周りの隣人たちはトイレットペーパーがなくなるかもしれないと考えていそうだ。ならば本当にトイレットペーパーが買い占められて無くなってしまうかもしれない」と、つまり「みんなは自分と同じようには思ってないだろう」という推測から、結局は著者もトイレットペーパーを買いに走る群衆の一員になってしまったと、悔しさを滲ませながら述懐しています。
何を隠そう、恥ずかしながら白状しますと、この江草も当時トイレットペーパーを慌てて買いに行ってしまった一人です。本当にこの群集心理というのは強力で恐ろしいものだと改めて思います。
この現象が興味深いのは、たとえ当初は幻想であっても最終的には本当に現実にそうなってしまうことです。「トイレットペーパーがなくなる」とみんなが同時に思うからこそ本当にトイレットペーパーがなくなるという。あるいは「価格がこれからも上がる」と皆が同時に思うからこそバブルも起きます。
こうした予言の自己成就的な現象は「トマスの公理」とも呼ばれるそうですが、なかなか皮肉な話ですよね。
こうした集合的幻想はパニックやバブルのような目立つ事例だけでなく、不信バイアスの蔓延として社会に大きな悪影響をもたらしていると著者は指摘します。
「ほっておいたらサボるに違いない」そうした不信の目線から、きっちり労働者を監視管理しようというテイラー主義の思想は社会に強くあります。これに対して著者は警鐘を鳴らします。
自分が不信の目で見られると、自分も疑い深くなり、他者を不信の目で見てしまう。そうすると他者も自分を不信の目で見るようになるという悪循環があるのだと。この相互不信感の集合的幻想が現代社会の大きな分断に繋がっているというわけです。
実際、最近はなんとなくみんなよそよそしく、隣人ですら挨拶をするようなしないような感じですよね。「万一、変な人だったら嫌だし」と他人を不信の目で見ている。つい距離を置こうとする。その一方で、自分たち自身も「疑われてるかもしれない」と身構えて、目線をそらしたり、一緒にエレベーターに乗るのを控えたりして、相手が抱いているであろう不信感に配慮してしまう。そのお互いのよそよそしい行動が、余計に他人の正体不明感を強調して、社会全体の相互不信がどんどん拡大してしまう。
確かに社会がそんな感じで相互不信的になってることを感じますし、よく問題として指摘されもしていますよね。いわば、性悪説を信じるとほんとに性悪説が現実になるようなものでしょうか。この性悪説の「予言の自己成就(ノセボ効果)」の危険性は他著者の『Humankind』でも指摘されてたところです。
このように集合的幻想とは、決して『裸の王様』の寓話の中だけの話ではなく、実際上の恐ろしい社会的大問題であるわけです。そして私たち一人一人が知らず知らずのうちに「裸の王様」を支えてしまっているのです。
では、集合的幻想にどう対抗したらいいか。
著者は「自己一致」が大事だと主張します。
他人をとりあえず模倣したり、多数派につきたくなったり、『裸の王様』的に自分の意見を押し殺したり、集合的幻想に取り込まれる時は、だいたい自分で自分自身を騙してるんですね。自分の正直な気持ちを曲げてしまっている。
それはたとえ悪意がなくとも、集合的幻想の拡大を助長するものという点で社会に損失を与えているだけでなく、「自分に嘘をつく」という点で自分自身の精神の健全さを損なうものでもあると。
確かに、「嘘をついてる時」ってほんとストレスがあって、すごくしんどいですよね。それが知らず知らずのうちに自分に大きなダメージを与えてるというのはほんとにそうだろうなと思います。
だから、自身の中の思いや小さな違和感を歪めたり曲げたりせずに、自分自身の内面と行動が一致していることを目指すのが、集合的幻想を打破するためにも、個人のウェルビーイングを保つためでも大事であるというわけですね。
ここで、著者は英語の「sincere(誠実)」よりも中国の「誠」の概念の方をより推しているのが印象的でした。なんでも、西洋的な「sincere(誠実)」では個人の自己一致だけを見ているのに対し、東洋的な「誠」では自己一致に加えて他者への信頼も含意しているからだそうです。
つまり、自己にも他者にも忠実である「誠」の精神が、集合的幻想に対抗するのに最も良い態度であると。これは江草的にもとても好きなビジョンでうんうんと頷かされました。
「みんなはこう考えているはず」という誤った幻想はあくまで幻想に過ぎないので、誰もが「誠」の態度で各々の真意を示せば、幻想はかき消えます。だからこそ、一人一人が自分を曲げずに正直に生きて、そして他人の「誠」を信じることが重要なんですね。
しかし、こうしてまとめてみると、ほんとに著者とは気が合うなと改めて感じます。
著者は触れられてはいませんでしたが、江草がよく批判的にとりあげている「ブルシット・ジョブ」も「本人は意義を感じられてないのにそれでも他人に対して意義があるかのように取り繕わないといけない仕事」という意味ですから、その自己欺瞞性は本書がまさに危険視するものでしょう。
あるいは、江草がよく好意的にとりあげているベーシックインカム。これも直接的には触れられてはいませんでしたが、「人々への信頼」が重要である例として、とあるコミュニティ内での無条件の現金給付事例を肯定的にとりあげてる箇所がありましたから、やはり本書の主張と親和性が高いでしょう。
なので、ほんと本書はしっくり来るんですよね。すごい好きです。トッド・ローズさん今度飲みいきましょか。(まあ江草の英語力が絶対足りませんが)
というわけで締めましょう。
今回は駆け足での概要紹介だったので、すごく言葉足らずになっちゃってますけれど、本書はもっと丁寧に集合的幻想の豊富な事例の紹介と詳細なメカニズムの解説をなされています。とても面白いです。
みんなで集合的幻想を打ち破るためにも多くの人に読んでもらいたい一品です。
まだ読み中ですが、同著者のこの本も江草と絶対気が合いそうなテーマ。「平均」が力を持ち過ぎた現代社会に。
ついでに大好きな一冊である『DARK HORSE』も。