「なごり雪」の時代
私が働く職場に入ってきた若者は「冬馬(とうま)」という名だった。その名前で連想するのは、かつて「なごり雪」という曲をヒットさせたイルカというシンガーソングライターであり、その息子さんの名前が「冬馬(とうま)」くんだったことである。
きっと彼の命名の由来は、おそらくは私と同じ世代であろう彼の両親がイルカのファンだったからだろうと思って私は「イルカという歌手は知ってる?」と訊いてみた。すると彼は「知らない」と答えたので、私は同じ方向に帰る彼をクルマで送る時に「なごり雪」を聴かせてあげた。はじめて聴くということだった。
「なごり雪」の歌詞にはこのようなフレーズがある。
東京で見る雪はこれが最後ねと寂しそうに君がつぶやく
東京で一緒に過ごした恋人たちの関係は、女性が郷里に帰ることで終わりを告げる。彼女は田舎に帰ってそこでお見合いをして結婚するのかも知れない。
いや、この二人はそもそも恋人同士でもなく、ただの友人関係であり、おたがいが密かに恋心を抱いてることさえ自覚できない、そんな二人であったかも知れないのだ。
いま春が来てきみはきれいになった 去年よりずっときれいになった
別れの瞬間にやっとそのことに気づく。でももう二人の時間は残されていないのである。
京都で4年間の学生生活を送った私は、周囲にそうしたカップルを見てきた。どうしてそれ以上の関係に進めないのだろうと思ったが、今とはいろんな価値観が違う。
結婚するまで純潔を守ろうとする処女童貞カップルさえいたのである。
仮に結ばれて男女の関係となったとしても、その先の「結婚」に進めるかどうかはわからない。それは当時、同様に多くの人に愛されたフォークソングの歌詞をよく読めばいい。同棲していてもいつかは別れる。それが若いカップルの日常だったのだ。
「神田川」「22才の別れ」
この歌詞に登場するカップルはいずれも別れてしまう。その悲劇に我々は感情移入して共感したのである。もう一人の自分をその中に感じたのである。
狭い風呂無しアパートで肩を寄せ合って暮らす若い男女が貧しさの中で手に入れたささやかな幸福と、それがおそらくは永続することがないという別れの予感やせつなさは、当時を生きた若者たちが深く共感するものだった。
当時のフォークソングには必ずそれぞれの物語があり、そこに描かれた状況を思い浮かべながら我々は感情移入し、そして涙した。
「なごり雪」が多くの人々に支持されたということは、そうした別れを多くの人が経験したからである。春は別れの季節だったのである。東京で迎える3月下旬の別れの日に雪が降ったこともあるだろう。
私の持つIpodには「なごり雪」が入っている。クルマを運転中にそれを再生しながらはるか昔の大学時代のことを思い浮かべる。自分には当時、遠距離恋愛していた恋人がいた。
きみが去ったホームに残り 落ちては溶ける雪を見ていた
思い出の中の恋人は年を取らない。ずっとその時のままである。「なごり雪」を聴くたびによみがえるのは学生時代のさまざまな出来事であり、たった一度だけその恋人が京都の私の部屋に泊まった夜のことである。
こたつが唯一の暖房器具だった部屋はとても寒かった。
モノ書きになることを目指して40年・・・・ いつのまにか老人と呼ばれるようになってしまいました。