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#19 飼沼丞二

自己紹介

聞き手
あの飼沼丞二(かいぬま じょうじ)さんこれ、本名?

ジョージ
そうなんです、よくある芸名だと思います。

聞き手
そうまさに聞こうと思ってて。stand.fmのハンドルネームジョージじゃないですか。だから、これ本名なんだなって。

ジョージ
そう、ミュージシャンはね。
ジョージってあの芸名でつけてる人も多いので。

珍しいとは言いますけど、この字が丞っていうのは、あの人名、漢字で人の名前以外では使わない字なんです。

聞き手
そうなんですね。

ジョージ
だから、歌舞伎とかの雪之丞。あと、スケっていう風にも読める ようなので、なんとかのスケとか、そういうところにしか使わないらしい。

聞き手
そうなんですね。で。あと、静岡県浜松市。

僕ちょっと九州の人なんでわかんないですけど、どんなところでした。浜松市って、どんなところですか。

ジョージ
あの、もう愛知県よりの、えっと浜港とかがある方、静岡県もちょっと横に広いので、 伊豆とか比べると結構離れたとこです。愛知県寄りの名古屋寄りです。名古屋に割と近い。

聞き手
結構都会なんですか。

ジョージ
ええ、東京と比べたらド田舎ですよね。でもそのま極端ですかね。あの街中はそこそこですけど、ちょっと外れるともう山と川と。

あの、気候が温暖なんで、僕みたいなぼうっとしてる人がほとんど。

そうそう。これでも東京の荒波にもまれて、少しは激しくなった方なんです。これでも。

聞き手
そういう市民性なんですね?

ジョージ
そうですね。だから、割とあんまり出世する人が少ない。

聞き手
身長が187センチある?

ジョージ
そうなんです。ちょっと年取って縮んだかもしれないですけど

聞き手
187ってさすがになかなかいないですよね。

ジョージ
あの、うちの母親が昭和8年生まれで、もう亡くなったんですけど、えっと、当時で165センチあって。
父親が大正8年生まれで、175センチだったので、割と時としてはかなりなジャンボ夫婦で、それの遺伝子が多分あるんだと。

ジョージ
で、僕の息子は。ちなみに今192ぐらいあるみたいです。

足が31センチとか。

だから、遺伝子がどんどん増幅してる感じです。


聞き手
それでですね。あと、座右の銘のね。面白いですね。”生まれてすみません”みたいな謙虚に。

ジョージ
そうですね。これは、あの、これを言うと、すごくネガティブに 言われる方も多いんですけど。と書いてあるけど、顕著に生きるという意味で、 あの人間そのものがね。自分だけじゃなくて、やっぱりこう

地球上にこう生かされてこうね。あの、あんまりおごりたらずに、自分が最低の人間だっていうような気持ちで、みんなが生きてけば、世の中平和じゃないかなっていう気持ちから。

聞き手
なるほど、この座右の銘は。ちなみに、いつ頃からどういうきっかけで固まってきた?

ジョージ
そうですね。なんとなくですね。2、30年前ぐらいから言ってるかもしれない。

聞き手
好きな音楽。マイルスデイビスさんの自叙伝を読んで、人生観まで変わったっていう感じなんですかね。

ジョージ
そうですね。

聞き手
なんか、すこしちょっとね、この辺造詣ないというか、詳しくないんですが…

ジョージ
そうですよね。もうなくなったんですけど、トランペッターで、その ジャズの大御所というか、それで、そういうことぐらいしか僕も知らなくて、自叙伝がめちゃくちゃ面白いよって友達に言われて、 上下巻で2つに分かれていて、読んだんですけど

すごく面白くて、で、ジャズの古い黒人の差別とか、そういうところからジャズが生まれてきて、みたいな。もう話すと長いんですけど、えっと、マイルスデイビスは、実はお医者さんの息子で、裕福な(感じで)

それで、パリに留学してたりとか色々してたみたいですけど、結局黒人のそのジャズミュージシャンは、みんなこう薬とかに溺れていくのを、最初はなんか半分馬鹿にしていたみたいな。これは、あんなていたらくにはならないみたいなこと言ってるんですけど、結局、最後は 酒とあの薬の女に溺れるって。

で、その最後に復帰して亡くなる前は、エレクトリック。あの1番僕が好きなところは、古いジャズを作った人なんだけど、その形にとどまることがすごく嫌いで、最後はエレクトルとか、あと、えっと

あのロックとかに影響を受けて、それでそういうものを取り入れたりとか、死ぬ最後が 若いラップミュージシャンとコラボして、アルバムを作ろうとしていて、それで、アルバム制作途中で亡くなったんですけど、あんな大御所がこう全部をかなぐり捨てて、新しいものをどんどんやっていったっていうその姿勢を見てすげえなって、僕はいつも思ってた。

ロックもそうなんですけど、 ロックもなんか古いロックが好きで、ずっとやり続けてる人もそれもいいんだけど、やっぱりロックもローリングストーンズじゃないですけど、新しくどんどん生まれ変わっていくのが ま、音楽だと思ってるんで、すごく共感した感じですかね。この生き方はかっこいいなっていう。

聞き手
なるほど。そこね、まさにちょっと聞きたかったとこなんですけど、この今やってることにとどまらなくて、新しくこう新しいことに挑戦して、スタンスとか生き方とかに影響を受けたんですね。


聞き手
で、他にもなんか名前上げられてるじゃないですか。ボブジェームス。

ジョージ
僕はえっと、黒人系のブラックミュージック系の血が流れてる音楽とかがすごく好き。
パンクとか、ジャズもそうなんですけど、soulジャズとかそういっち系が主に好きで

ジャズフュージョンみたいな感じで、ボブジェームスさんは白人なんですけど、すごく色んな要素があって、 洗練されていて、すごく好きで、性格的にもなんかすごくいい人そうで。

東北の震災があった時に、外タレがみんな怖がって、放射能って言ってこなかった時にも、ジェームスさんだけはすぐに日本に来て、 アマチュアの東北のミュージシャンと一緒にコンサート開いたりとか、そういうところもすごいなと思って、音楽も大好きなんですけど。


聞き手
あと、ベーシストになるんですかね。ジャコ・パストリアス。

ジョージ
そうですね。ジャコ・パストリアスは、ベーシストなら誰でも避けては通れないぐらい。あのベースのこの基本を全部塗り替えて、彗星のごとく現れて、彗星のごとく。あの、死んでしまったんですけど。

やっぱりあの、やっぱり向こうのミュージシャンの大物のミュージシャンは、大体最後の薬と薬に、あのお酒と薬に溺れて 天才肌とか。みんなそうやって自滅して死んでるんですよね。 だから、僕は全然そういうのと真逆なので、割と憧れる部分もありつつ。そういう破天荒な天才肌。
そうならなくてよかったなっていう気持ちもありつつ。

聞き手
自己紹介は簡単ですけど、こんなところですかね。

学生時代

聞き手
早速じゃ学生時代からですね。話を聞いていきたいんですけれども。事前にちょっと聞いた 感じだと、人生で1番楽しくて、夢中になった時期がこの中学生、高校生時代。

ジョージ
そうかもしれないですね。あんまり考えたことなかったんですけど。

聞き手
あの、中学生時代ってどういう子供でしたか。

ジョージ
そうですね。なんて言うのかな。うちの父親が、えっと、 高校の先生、英語の先生をやっていて、母親は専業主婦だったんですけど、パートで働いたりとかはしたんですかね。というのも あって、どこかにえっと、やんちゃではあるんだけど

父親にやっぱ恥をかかしちゃいかんというのがあって、本当の悪いことはやってなくて、要するにただのいたずら坊主みたいな感じですかね。
んで、中学のあの、最近facebookとかそういうのがあって、中学の同窓会とか中学の同級生、みんな仲良くて、さらに最近また繋がりが

知り合いですか?とか出てくるじゃないですか?
素性がもう男は性も変わらないので。
で、卒業がわかって、同窓会の連絡が頻繁に来るようになって、みんながこう割と集まるようになって、 それで同窓会とか出ると、なんか僕のイメージは結構いたずらで目立ってたらしいんですよ。

本人は、自覚症状がなかったけど。

だから、ね、後でそうやって聞かないとわからないもんだな。
目立ってたからでもでかいし。

聞き手
自分の自分が思ってる自分と周りから見た自分は違うと。

ジョージ
そうですね。僕はあの前もね。あのstand.fmで自分のところでも言ったんですけど、そのやんちゃってか、いたずらだったんで、中学生の時に、女の子が胸がちょっとふっくら膨らんできたりとかするじゃないですか。僕はもう ガキだったんで、なんかその悪気はなく、遊びでとおっぱいのにってやって遊んでたりとか

あと、スカートめくりとか、ふざけていたずらのつもりでやってたんですよ。そしたら、女子にチクられて、校長室に呼び出された。
それで、あの担任の先生もいて、 あの先生方がめっちゃ深刻な顔で、お前そういうことやってるらしいなって、ほんとかって言われて、や、ほんとです。って言ったら、それは変態と同じだぞって言われて

それからなんかはっと気がつくと、俺変態なのかなとか、だんだん誘導尋問されて、家庭がなんかあるのかみたいな。何もなかったんですけど、普通の家庭なんだけど、そう言われてみると、ほんと親子の会話が最近少ないような気がします。と、 やっぱりそうだろみたいな、お前は変態だ、みたいなこと言われて、落ち込んだのは覚えてます。

だから、結構と女子にはジョージくんやめなよってみんなから怒られてたんで…

だから、結構なんか嫌われてたと思ってたら、そうでもなくて、割となんか面白がられてたらしいんですけど、周りで 同窓会で聞く限りではそうでもない。

だから嫌われてなくてよかったって。

ありがたい話で。そういうことも言われたので、過去が美しい思い出に変わってる部分もあるけど

なんかろくでもなかったなと思ってたけど、割となんか今みんな仲いいんで、 そう考えると楽しかった。

兄が所属している人気バンドへ加入


聞き手
そんなやんちゃ坊主がどうやってバンドをやっていったんですか?

ジョージ
そうですね。あの、幼馴染みがちょうど自分の周りにたまたま同年代の 子供が集まってたんですよね。

それで、自然ともうみんなでガキの頃から毎日のようにこう日が暮れるまで遊んでいて、 そのすごく仲が良かった兄弟がいて、男兄弟うちに僕の兄貴が1人いるんですけど、 その兄貴が最初

幼馴染の兄弟とバンドを始めた。フォークソングブームっていうの、 吉田拓郎とか南こうせつとか、ちょうど。それが中学、高校生ぐらいでどっぷり。それにはまって、 兄貴がバンドを一緒にやり始めたのが羨ましくて、僕が1個だけ年下だったんで

で、めちゃくちゃ羨ましくて、やりたくて仕方がなくて、そしたらそんなにメンバーに入らないとか言われて、そしたら兄貴が高校生になって、高校2年で突然大学に行くって言いだして勉強するから俺やめるって言ったんで、じゃ入れてくれって言って、バンドを始めたのがその時期。

さっきの1番楽しかった時期っていうのが、そのバンドが僕じゃなくて、その兄弟がえっと、お兄ちゃんの方がどっちかっつうと可愛らしい綺麗な顔して、 弟のが男らしくイケメンだったんで、その兄弟がめっちゃ人気があって、 それに便乗して、僕もあのアイドルグループの仲間入りみたいになって

聞き手
そこに入っていった?

ジョージ
そうですね。でも、高校生なのに結構もう女子校の学園祭とか、自分たちでも自主でコンサート会場を借りて開くと、結構チケット全部売れちゃったり。

あと、あの地方の静岡市とかの楽器店の店頭で演奏してくんないとか、お客さんが集まるので、 あの、若い女子高生とかが、一時期はそういうなんかちょっとアイドルグループみたい。

その頃が自分のあれじゃないんですけど、功績じゃないんだけど、便乗なんだけど、一応なんかなんか売れっ子の感覚はその頃味わえたなと。

その頃ってなんか将来そのそれで食うとか何も考えてないじゃないですか。 そのお金のことが何にも関わってないので、やっぱそこ抜けに楽しかったですね。やっぱ。

聞き手
なんかただそのやりたいように3人ですかね。あーじゃのこうじゃのやってた感じですかね。

ジョージ
そうですね、それで、当時そのフォークソングブームで。えっと、最初は、僕もギターを弾きたくて弾いてて、教えてもらったりとかしたんです。

ギターをやりたくて入れてくれって言ったらギターもういらないから、みんなギターだから、お前ベースやれって言われて

それがベーシストあるあるなんですけど、大体みんな話を聞くと、それでベースを始めてるんですよ。
意識的にベースを始めた人ってあんまりいなくて、僕の年代が そうなんですよ。みんなギターを弾きたくて、入ったらベースやれって言われてで、ベース買うお金なんかもうないから

無理だよって言ったら、そのメンバーがなんかお金出し合って、みんなで質屋に行こうって言って、質屋で 3000円ぐらいから。なんか、安いボロボロのベースを買ってくれて、お前これ引けって言われて 、それからベースを引き始めて、それが仕事になるなんてね、全然想像もしていなかったけれど

そういう意味では、その兄弟のおかげかもしれないですね

聞き手
その練習とかは、誰かの家でやってたんですか?

ジョージ
そうですね、その兄弟の家がえっと離れみたいな、プレハブじゃないんすけど、離れの部屋があって、そこにもうみんながいて、バンドのメンバーだけじゃなくて、その友達とかいるって。そこで、もう毎日ずっと夜遅くまで音楽の話やギター弾いたりと、ベース弾いたりとか、練習したりとか、ずっとそういう話をしてたその頃は楽しかったですよね。


聞き手
そうなんすね。チケットを売るっていうのは、その他校とか周りの学校の人たちに売って売り切れてたって感じ?

ジョージ
そうですね。それ、どうやって売ってたか、もう全然覚えてないんだけど、ファンの女の子とかがいて、その子たちが自主的に新聞とか作ってくれたりとか。
あと、そのチケットの販売を手伝ってくれたりとか。

とにかくまだよく覚えてないんですけど、なんか結構周りがいっぱいやってくれてましたね。

聞き手
なんか、そういう絵が湧いてきます。

ジョージ
当時、あのフォークソングブームだった頃に突然チューリップとか。 ガロとか、ちょっとフォークソングとは違ったおしゃれなメージャーセブンとか。

高度なコードが入った曲とか。今思えばビートルズなんですけど、ちょっとなんか 新しい風がこう吹き込んできて、それに夢中になって、みんなでオリジナルやろうって言って、ちょっとチューリップみたいなポップなバンドをやってたんですよね。オリジナル作。これで色々活動してた。

聞き手
演奏はどういうところでやってたんですか。

ジョージ
そうですね。あとは、えっと、1番ホームベースになってたのが、浜松に大きな町の中にヤマハがあるんですけど、 そのビルの何階か上の方にあります。あのホールが狭いけれども、ホールがあって

そこは定期的にライブを主催してたので、そこはしょっちゅう出てたんですよね。

そこがベースになって、ファンがそこについて。えっと、他でなんか呼ばれたりとか。
あと、そのヤマハ関係でギャラが出て、えっと、合宿しに行って、それも全部無料でレストランで演奏してくれとか言われて、ギャラもらってやってたりとか、その頃からなんかそんなお小遣い程度です。

そんな感じですかね。 楽しかったですよね。
それで、つまごいでフェスとかねやってて、今もうヤマハがもうやめてしまったんで、つまごいまだ残ってんのかな。名前変わっちゃったのかな。

それで、僕が1番年下だったんで、まず、お兄ちゃんが高校卒業するっていうんで、そしたら就職してしまって、その弟が僕より1個。
その彼も就職してしまって、なんだよってプロでやってるんじゃないの。みたいな、俺たち仕事あるからさ。みたいな状態になって、だんだんテンションが落ちてきて

自然とやらなくなって、じゃ俺は東京行くよみたいな感じで1人で出てきた感じですかね。1番才能がないんですけど。

そうあの、その兄弟がね、才能あったんですよ今でも思うと、やっぱり才能はあった そうなんだよ。

聞き手
それは3人はメンバーだったと思うんですけど、1番上のお兄ちゃんが辞めて2人になるじゃないですか、その2人でも活動はしてたんですか。

ジョージ
いや、あのね、就職してもバンドはやってたんだと思うんですよ。 だけど、やっぱり仕事がメインになるから、どうしても少しずつ自然と少なくなるというか、その弟の方も就職して、さらにやる機会が減って、で、実はあのもう1人メンバーいて。

ドラムがいたんですけど、ドラムが浜松のおっきなお寺の子供で、実はそのその彼がドラムで入ってからは、その彼の家がものすごくお寺でおっきな敷地があって、 練習部屋の建物が1個あって

そこに通話のドラムセットがもうセットしてあるんで、そこはもう使い放題だった。ちょっと遠かったんですけど、そこにみんなで行って、 後半のそのドラムが入ってからは、その彼の家でリハーサルをしてて、ドラムも入ってたんですよ。

最初はだからフォークソングバンドみたいなユニットみたいな感じだったんですけど、ドラムが入っても、少しロックっぽい感じ。

聞き手
お寺の子ならドラム叩くのうまそうだ。

ジョージ
そうそうそう。マジでね、めちゃくちゃうまかったですよ、その彼がそれで、 えっと、それから疎遠になってて、数年前かな。一昨年かなんかにそういえばどうしてるかなって、 でも、お寺の名前は知ってるから、そのお寺に僕電話したんですよ。

そしたらその彼が出て、で、僕と同い年だったんで、昔はこうため口で普通に喋ってたんだけど、すっかりあの後継いでお坊さんなってたんですよ。彼が そしたらもう完全にお坊さん口調で。

あ、ジョージさんですか、お元気にされてますか。みたいな良かったですね、みたいなどうぞじゃお元気で頑張ってくださいみたいな、ちょっと距離感を感じました。

聞き手
いわゆるもうまさに青春みたいな感じだったんですね。

ジョージ
そうですね。ほんとに。だから、もう何も考えてなかったから楽しかったですよね。その頃。

消去法で音楽の道へ


聞き手
なるほどで、そのプロでやっていきたいみたいな思いは、自然と湧いてきてたって感じなんですか。

ジョージ
俺はね、実はそんなでもないんですよ。あの、 僕は元々あの絵を描くのが割と好きで、本当はちょっと高校卒業したときにどうしようかなと思って。いま、音楽と、その 絵とか美術みたいなものしか好きなものはなかったんで

どっちかって言ったら絵かなと思って調べたんです。色々あの専門学校とか、大学とか行ける行けそうな僕みたいなバカでも行けそうなところ 探したんですけど、僕色弱で

兄貴も色弱なんですけど、うちのお袋の女兄弟の子、男の子はみんな色弱なんですよ。遺伝的に それで調べたら、色弱だと入れる学校がないっていう、今はなんかそういうことないみたいですけど、彫刻家とかね、色にあんまり関係ないところもあるので

で、僕の能力で行けそうなところがないし、今更受験をするのも嫌だなと思ってめんどくさいなと思って、 もう勉強全然してなかったので、もう高校生レベルで、楽に行ける。でも、それでもみんなどんどん進路が決まっていって、 僕だけ最後決まってなくて、担任の先生からお前だけだぞって言われて、なんなんとかしろって言われて、じゃもう絵がダメだったら音楽しかないっていう消去法で…

で音楽やるんだったら、もう東京行くしかねえべっていって感じで。で、当時は音楽の専門学校みたいなのも今ほどちゃんとなくて、 それでも選択肢がそんなになくて、もうすぐ決まって、そこに入った。

聞き手
じゃそれで、東京の音楽の専門学校に行くっていう感じなんですね。

ジョージ
そうですね、その消去法で。だから、そんなに自信もなかったし、そんなに確信も強い意思もなく、なんとなくきた。

聞き手
なるほど。マイルスデイビスもニューヨークで上京してますよね。

ここはなんか重なっていますね。

ジョージ
そうですね、だから、マイルスみたいなかっこいいもんじゃなくて、で、僕はジャズのジャの字も知らなくて、だけど、その入った学校は、 ジャズの専門学校しかなかったんですよ。

聞き手
そうなんですね。

ジョージ
そうなんです。それで、ジャズかよーと思って、ジャズなんて聞いたこともねえぞと思って、慌てて当時スイングジャーナルって本を買って。
そこで、おすすめのレコード10選みたいなのを見て、 それで2枚レコードを買ったんですよ。

で、ジャズ聴いとかなきゃって。

それが今で思うと、えっと、ジムホールっていうジャズギタリストのアルバムと、スタンリークラークっていう、黒人のベーシストのソロアルバムを買って聴いて…

でもたまたまその2枚がえっと、すごく難しい難解なジャズっていうよりも、すごくわかりやすくて、特にスタンリークラークはもうどっちかっていうフュージョンっていうか、ロックっぽい感じもあって、なんかかっこいいなと思って、それからちょっと抵抗が薄れて、ジャズも悪くないかなって。

音楽の専門学校時代


聞き手
専門学校時代は、どんな感じだったんですか。授業でも音楽のこと学んで、 で、そのプライベートでもいろんな活動して?

ジョージ
それが、兄貴が2つ上なんで、先に大学で東京に出てきていたので、最初の2年間は兄貴と同居したんですけど、東京で知ってる人って兄貴しかいなくて、電車の乗り方も地理も全く分かってなくて、 当時は六本木に学校があって、六本木まで地下鉄の乗り換えだけ兄貴に教わって

それ以外は全く。乗り間違えてどっか行ったらもう帰ってこれないぐらいもう田舎者で、そこともうただ行き帰りするだけみたいな。

でも、学校に行って、1番最初の授業の時にベース化のクラスに行ったら、10人ぐらいベースの子がいて、ま。ほぼみんな同年代。
そしたら東京生まれ、東京育ちがほとんどなので。ええ、 全員フェンダーとかギブソンとか、いわゆる超高級楽器を持ってるわけですよ。で、もう東京でもうバンドやって、ライブとかでプロみたいなやつもいっぱいいて

で、僕なんか田舎のチューリップしか知らないような状態で行っちゃったもんだから、グレコっていう5,6万円のベースを持っていったんですよ。それを1本持って上京してきて、 で、その最初の授業の時にダメだこりゃっていうドリフじゃないですけど、これ無理じゃんみたいな。

そんでもーみんなめちゃくちゃうまいし、周りがダメだこりゃみたいな。プロなんか絶対無理って。

最初の1時間でも挫折したんで…

聞き手
それはもう周りと比較して?

ジョージ
そうですね。東京のそのどこに何があるかとか、みんな原宿がさとか言ってるし、 僕はもう原宿ってどこ?みたいな感じで、コンプレックスの塊ですよ。もう、当時は。多分全然ついていけなくて、みんながうますぎちゃう。

それでアンサンブルっていう授業をとっていて、アンサンブルの授業は、いろんなドラム科の生徒さん とか、ギター科の生徒さんとか、キーボード科とか、いろんな科目の生徒さんがアンサンブルでこう 来てで、みんなでアンサンブルして、先生がいて、もう少しここうこうすると、ベースはこうした方がいいよ、みたいなのなんですけど

その時にギターで来ていた僕より全然年上なんですけど人に、あの君さバンドやってるの?て言われて、声かけられて。

バンドやってないですって言ったら、俺バンドこれから始めるんだけど、ベース弾かないって言われて。

誘われたのが全ての始まりかもしれないですね。

その人はシンガーソングライターで曲も作って、その人が作った曲を僕らが一緒にバンドやって演奏して、その人のおかげで色々ライブハウスで演奏するようになった。

ちょこちょここうやるようになって、その人も、今思えばすごく才能のある人で、割といい 感じだったんですけど

ま、そこからこう人、脈が少しずつ広がっていった感じ。

聞き手
そこの対バンとかじゃないですけど、色々こう?

ジョージ
そうですね。こんな人いるんだ、すごいなと思った人とか、そこでちょっと声かけしてもらって、ちょっと知り合いになったりした。
そういう人から後から声がかかって、一緒にバンドやったりとか、全てがそれが始まりだったかもしれない。

聞き手
そうなんですね。それで、バンド活動と学校生活並行して、ご時間が立っていく、みたいな感じですか。

ジョージ
そうですね。それをやりながら、それだけじゃ食えないもんですから、アルバイトをしながらで、アルバイトもそんなにできないので、バンド活動もあるからで、 仕送りも少ししてもらったりとかして。

ずっとそんな日々を送ってたんですが、 えー、そうこうしてるうちに、そのバンドのその曲を作って、ギター弾いてる人が、そのお母さんが有名な、なんか、舞台女優だったんですよね。

それで、その関係で、その人もなんかお芝居関係の ものが結構つながりが大きくて、劇団鳥獣戯画っていう劇団があって、 そこのえっと、音楽を作ることになったからと言って録音をするようになったんですよね。そのバンドで。

で、そういうことで、録音の仕事とかも少しずつなんとなく覚えていって、 で、その人がなんかいろんなところから誘われたの。僕を誘ってくれて、仕事をするようになったりとか。でも、その頃はまだ譜面を読めなかったんで

全然そのそういうなんか、コード進行だけ口頭で伝えられて、こういう風にやってみて、みたいなのしかできなかった。

このままだとプロなんかほど遠いなとずっと思いながら、その延々とやっていた。

で、当時プロになるっていうのは、今も全然変わっちゃいましたけど、初見ができないと、プロになんか 無理だよみたいな世界だった。

聞き手
ちなみに、ごめんなさい、初見ってどういう?

ジョージ
えっと、ぱっと渡されて1発で読めるかどうかですね。

聞き手
譜面ですか?

ジョージ
そう、あの、ぱっと渡されて、その場でベースが弾けるかっていう。でも、そんなの絶対無理なんですよ。
普通にやってたら、 それでそれがずっとこう気になっていたんだけど、こんなことしてたらプロ無理だなと思って。バンドでライブハウスに出てたら終わっちゃうなと思って。

それから、当時ちょっと付き合い始めた彼女ができて…そんな飛躍しちゃっていい?

彼女にフラれ自暴自棄に


聞き手
いや、もうそこはね、多少脱線しても全然オッケーです。ちなみに、その当時のジョージさんの中でのプロって、どういう定義になるんですかね。
食っていけるかいけるかみたいな感じになるんですか?

ジョージ
そうですね、その当時は僕の中ではえっと、プロかアマチュアかの違いは。
それだけで飯が食えるようになったかどうかはわかりやすい。というところではありますよね。

その当時はそれだけでプロで飯が食えるイコール譜面が読めるかどうかだ。

あの当時は箱って言ってね。あの、飲み屋さんとか、キャバレーとか、ホストクラブとか、 でっかいキャバレーとか、クラブとか、そういうところに高級クラブとかにも必ずバンドが入ってるんですよ。生バンドが。

だから、仕事がいっぱいあったんですよ。今と違って、そこはそういうところはある程度譜面が読めないと ダメな場所で。で、特に。おっきなキャバレーにビッグバンドが入っていて、 ビッグバンドはもう完全に初見なんですよ。

もう渡されて、次から次へ不面が渡され、もう自分で開くんですけど、スイングの何番とか言われて、厚い譜面の束をバッて開けた瞬間にカウントが出て引かなきゃいけない。

すごいですよ。 もう血が出るような世界ですね。 で、えっと、そういうところをやんないとプロなんか絶対無理だとずっと思っていて。

さっきの話なんですけど、ちょっと長年つきあった彼女ができて、長年付き合ったんですけど

えっと、最初付き合い始めの頃はえっと、俺もまだ音楽の修行中だからみたいな。結婚なんかいいよねみたいな。
私もそんなの全然関係ないとか言ってたんですけど、 女子はやっぱりだんだんと。気が変わってくるもので、それが長くなると、そのまま私をどうする気みたいになるじゃないですか。

私もこうやって年を取っていて、そのまま捨てられたら私どうすればいいのって。でも、俺は音楽がまだ うまくいってないから、みたいなことで突然振られて、彼女が出ていったんですよね。半同棲みたいなことしてたんですよ。

それで、それがそれだけなら良かったんですけど、その後で私結婚するのみたいな。

そしたら、その同じ会社で働いていたその会社員だったんですよ。その相手が。で、そこで、やっぱり女からしてみたら

飯が食えない男なんて男じゃないく見えるんだなとぱっと気が付いて、めちゃくちゃ悔しくて。

それでもう自暴自棄になって、ま、実はそのと1ヶ月か2か月ぐらい廃人のようになってたんですけど。

純粋だったんで、僕も。

千尋の谷 - ビッグバンドで修行の日々 -


聞き手
ちなみにこれおいくつぐらいの?

ジョージ
23かそれぐらいですかね。 それでもうどうなってもいいやと思って、それまで怖がっていたその譜面を読むっていう世界に 行かなきゃダメだと思って、もう死んでもいいやと思って、友達に聞いた音楽事務所が当時たくさんあって

それを電話番号かけまくったんですよ、で、ベースの仕事を探してますみたいな、なんかあったら仕事くださいって。
怖かったですけどね、 全く読めなかったんで。そして翌日に歩いていると、そのキャバレーのビッグバンドのバンマスから電話がかかってきた。

それで、明日ちょっと来てくれみたいな。
行ったら、もう即メンバーにされてしまったんです。

聞き手
なるほど

ジョージ
当時は、ワンステージ客席で見てろって言われて見ていて、これ絶対無理だことわろうと思って、そのステージが終わって、楽屋に行ったらなんとかかんとかで、明日からよろしくお願いします!みたいな。

聞き手
言われちゃった?

ジョージ
ものすごい早口で握手を求められて、あああって言って、握手してたんですよ。
そしたら、後から冷静にバンドのメンバーの人に話を聞いたら、なんて言われた?なんか、休みが月2回で、 なんか月ナインマンとか言ってて

僕ナインマン知らなかったんで、で、ギャラいくらって言われた?って、よくわかんないんですけど、ナインマンって言ってたような…ナインマンでしょ。やっぱりね、みたいに。

ナインマンっていくらですか、いくらですか?ってそう9万って。

え!?みたいな。

休みが月に2回で毎日6ステージで交通費で。僕、東京からで、それが桜木町、横浜だったんですよ。

で、交通費も込みだっていうから、それじゃ生活できないんでって、後からバンマスに言ったんですけど、いや、もうそれはもう1回決まっちゃったからね。
で、あのギャラはだんだんあの譜面が読めるようになったら、だんだんギャラも上がるから大丈夫!ということで、次の日からもう行くことになった。

聞き手
譜面読めないのはもう言ったんですね。

ジョージ
だから僕は読めないから僕には無理です。て言ったんだけど大丈夫って言われて、でも、それは後から聞いたら、そのバンマスは まともに引けないやつを探してたんですよ。

なぜかって言うと、バンドはえっと、当時9人かな。9人バンドで、ビッグバンドで、それで、お店の人は人数が毎日揃ってるかしか見てなくて、音楽のことわかってないので、 頭数だけ揃ってることが大事で。

技術のないやつを探していて、 それで僕が入ったら、ベースアンプのボリュームは0にして、引いてる真似してろって言われた。

それでその安い不面が読めないから安いのは当然だよね。
で、譜面が読めるようになって、まともに演奏ができるようになったら、少しずつ給料をあげてあげるからみたいな。
で、それで、金儲けをするっていうのがバンマスだったんですよ。昔の。

演奏できないやつを連れてきて当時立ちんぼって言って、あの昔はウッドベースだったんで、 その立ってベースを弾くんで、ただ立ってるだけって言ってたチンボって言われたんですけど、そういうのを演奏しないやつみたいな。

で、それ要員で行くことになったんですけど、女に振られた後だったし

めちゃくちゃ落ち込んでたんで、それでプロになろうと思って、上京したのに、毎日ボリュームを絞って引く真似をしているだけなので、横浜に通うって苦痛じゃないですか。

それで、毎日譜面をこうほんとは持って帰っちゃいけないんだけど、こっそり持って帰って読めそうなやつを外しておいて、行き帰りの電車が長かったので、その間に譜面の読み方を覚えて、2年後には全部初見ができるようになった。

聞き手
2年後ですか。

ジョージ
いや、2年間やったんですけど、そのバンドで。 それで、えっと、バンマスって譜面読めるようになって、演奏できるようになったら、ギャラあげてくれるって言ってましたけど、 上がんないですか。って言ったら、いや、今ね、みんな大変でね!って言ったんで、じゃあやめますって言ってやめた。

聞き手
その2年間で成長はどうでしたか。

ジョージ
いや、すごかったですね、人生で1番譜面が読めましたね。

自分でも、やっぱ毎日60曲ぐらい演奏するんで、初見で。やっぱ鍛えられて、目が動くようになるんですよね。追っかけるっていうか、おたまじゃくしを感覚的になんかこうぼんやり見てるだけでも、指が勝手に動くようになってくるんですよ。2年間も毎日60曲やってると、60曲以上かな。

人間ってね。恐ろしいもので、実践でそうやってそういうとこに飛び込んだのは良かったなと。

聞き手
その自信失ってたっていうのも最終的にその2年間で自信が逆についた感じ?

ジョージ
そうだから、前、あの、僕のstand.fmでも、逆菩薩っていう話をしたことあるんですけど、 この人生において、これ、美輪明宏さんがなんか仏教にその言葉があるらしいんですけど。

その人生には菩薩様のような自分にとって有利な人、あの善を与えてくれる人と、あと、負のその 要素の 自分に衝撃を与えることで、自分が正しい道に導かれるって、逆菩薩っていう存在がいるって

で、まさにその僕を振った彼女が、その第1号の逆菩薩で。

その彼女がいなかったら、僕自暴自棄になって、事務所に電話してなかったんで、 譜面が読めるようになってなかったと思うし、その譜面が読めるようになってなかったら、今音楽で仕事してないと思うんですね。

そう振られてよかった。

自分が頑張ったっていうよりも、なんかそうせざるを得なくなってしまった感が強いですね。

僕、今まで人生で 自分が努力したっていう感じは1つもないんですよ。

聞き手
え、そうですか?

ジョージ
そうせざるを得なくなって、仕方なくこうやってたら、なんとなくそういうふうになってた。

聞き手
だから、自発的じゃない?

ジョージ
自発的じゃないですね。その東京に来たのももう他に選択肢がなかったんで、来ちゃったみたいな感じです。
すごい努力してる人見るとすごいなって尊敬。

僕はこうなんかあのあれですもん。流れに流されていくだけみたいな人生が。

新たなバンド活動


聞き手
その流れで辞めて、またどうなっていくか、すごい気になるんですが。

ジョージ
そうですね。今度は同じような仕事をしたんですけど、ビッグバンドではなくて、今度コンボって言って、4人編成ぐらいの バンドに友達に誘われて入るんですけど、4人編成のバンドでも、いろんな高級クラブとか。

ナイトクラブみたいなところとか、バンドがみんな入ってて、で、2か所掛け持ちとかやるようになって。

当時はそういう仕事がいっぱいあったんですよ。 で、2か所掛け持ちをするようになると、やっと2つ合わせると、まともになんとか。それだけで食えていけるぐらいの金額になるので、 これまで仕送りを細々としてもらってたのも

親父に浜松に帰って、もう仕送り切らないよ、って言ったんですよ。これが24,5ぐらいか。

そうして夏休みに帰って言って、こっちに戻ってきたら、それで親父がすぐ死んじゃったんですよ。59で死んだんですけど。

だから、それでホッとしてしまったのかもしれない。力が抜けたのかもしれない。

そういうバンドを何年間かやっていて、バンマスがいて、僕は兵隊で。

その友人の友達の後輩っていうか。年僕より若かったんだけど。
ドラマーから電話かかってきて、 なんかそのオールディーズのポップスバンドみたいなアメリカンポップスだけを演奏する。昔の古きよきアメリカの音楽だけをやるライブハウスがあって、で、そこに出演するバンドを、その事務所が音楽事務所があって

ボーカルの子がいるから、バンドを組んでくれって言われたんだけどジョージさんやりませんかって。
電話がかかってきて、で、それを箱バンいわゆる。そういう 、なんでもやらなきゃいけないようなのもちょっとざりしてたんで、ちょうどいいやと思って、じゃやるやるって言って、そのバンドやることになったら、僕が1番。

ジョージさんがバンマスでみたいなことになってしまって。 それで、いろん。なんと土砂回りというか、自分で仕事をとって、いろんなライブハウスを駆け持ちでこうぐるぐる回らなきゃいけなくて、それで、 えっと、それもあって、楽器を積んで、どっか行かなきゃいけないワゴン車を自分で買って、そこに楽器を大量に積んで。

メンバーも積んで、いろんなとこに行く。バンドを始めた。

聞き手
場所は、こういろんなとこでやるから、移動するけど、その組んだバンドの音楽スタイルは、いわゆる古きよきアメリカの音楽?

ジョージ
そうですね、主にですけどね。
そう、あの、そういう完全なアメリカンポップスだけをやる。えっと、地方と東京で もうそういうお店が当時たくさんあって、だいぶ減ったと思いますけど、そういうところをこう。毎日バンドが変わるので、 やったらまた違うお店、みたいな。

で、最初そのバンドが始まったのは、那須の栃木っていうかの那須のホテルのラウンジで 仕事があるから、バンド組んでいかないかっていう話で始まったので、最初はそのホテルのラウンジに泊まり込みで 行ったり来たり、3日間やって、また東京戻ってきて、また4日間行って、また東京戻って繰り返していて

で、そうこうしてるうちにバンドがまとまってきて、で、僕が全部譜面描いたりして、あのバンドメンバーのやつと、その衣装とかも縫ったりとか、衣装全部作ったわけじゃない。裾上げをしたりとか。

全部自分でやらなきゃいけなくて、譜面書いて、それでそれをしてたらその曲が増えてきて。 それで、そこを辞めてからも、いろんなところから仕事が来るように、当時は、今思うとバブルだったのかな。

仕事がいっぱいあって、 で、それまでやっていたキャバレーとか、そういうなんか、バンドで箱バンって言って、クラブとか、そういうところでやるよりも

なぜか、オールディーズハウスって、ギャラが少し良かったんですよ。少しだけです。
それで、ちょっとステップアップはした感じはあったんですけど…

聞き手
ちなみに、オールディーズハウスってどういうものですか。

ジョージ
えっとね、いわゆるお客さんはね、踊りに来るんですよね。そうだから、生バンドが入ったダンスホールみたいな感じ。

だいぶ減りましたけどね。

で、そこも結構何年ぐらいやったから、そのバンドも5、6年やってたかもしれない。

タレントのサポートへ


で、そ、こうしてるうちに、タレントさんのバックをやらないかっていうのが知り合いからお誘いがあって。

タレントさんのサポート。演奏のプロのレベルからすると、1つずつこうステップアップする感じですかね。ギャラとかも含めて、 タレントさんのバッグができるようになると、少し待遇も良くなるし。

ギャラもある程度よくなるので、それでやります。って言って、そのバンドをやめたのかな。

聞き手
順調にこう1歩ずつかけ上がってる感じが…

ジョージ
こうやって話すとね。順調に見えますけど、そんなに順調でもないですけどね。もう、だらだら挫折とあれの繰り返しで、なんだか自分の中ではうまくいってない感がすごいおっきかったですけどね。

思うようにいかないなみたいな。

聞き手
じゃそれは5年間の間でも、やっぱりこう結構感じてたところがあった?

ジョージ
そうですね。だから、えっと、最終的に僕はだからなんとなくですけど、スタジオミュージシャンとか、 有名タレントさんのバッグでベースを引くとかがプロだと思ってたんで、ここにはまだ程遠いないみたいな。ずっと思いながらやってたんで。

聞き手
その5年間活動してるわけじゃないですか。最終目標みたいなとこが頭にあるけど、どうやってそもそもたどり 聞けばいいのか、すらわかってない感じだったんですか?

ジョージ
わかんないですよね。

たまたま東京に出てきてすぐに出会ったギタリストのプロの先輩が渋谷の飲み屋で10何年ぶりぐらいに再開して名刺交換をしたんですよ。

もう住所もお互いに電話番号も変わってたんで、 そしたら、すぐにその人から電話がかかってきて、その人がデュークエイセスっていうコーラスグループの バックでずっとギターを弾いていて。

あのコーラスグループですね。

コーラスグループに入らないか?サポートしないかって言われて、ベーシストがやめるんで。

で、やりますやりますって2つ返事で。それからですよね。そういう、タレントさんのバッグでベースを弾くみたいな世界に。

そういう仕事をしてる人だってなると、他からもちょくちょく声がかかって仕事が来るようになった。

聞き手
それは他のアーティストの方?

ジョージ
そうですね、レギュラーでやってたのは。あと、荻野目洋子ちゃん。ダンシングヒーローとかで1番売れてるころっていうか、その頃にちょっとした縁があって、バックバンドやることがあったりとか。

あと、レギュラーのベース メンバーではないんだけど、僕の友達のベーシストができない時に、代わりに大役で行くっていうような

タレントさんのバックとか、前川きよしさんとか、辺見マリさんとかは古いですけどね。今の若い人は知らない。

あと、クリスタルキングさんとか、そういうところにベースをちょくちょくこう。色んなところに行けるようになって、1つちょっと夢がかなった感はあったんですけど…

聞き手
そうですね。もう聞いてて、夢かなって僕も思いました。

ジョージ
そういうところだけ聞くとね、なんか、順調に来てるっぽいでしょう。

聞き手
結果だけ見ればっていう。

徐々に仕事を音楽制作やゲーム音楽制作へシフト


ジョージ
こうやって話すとね。短いからとんとん拍子っぽいんだけど、そんなもっと長いのでダラダラして、 やっとそこまで来た感はあったんですけど。
タレントさんのバッグとかは逆に言うと、こう与えられた譜面をこう

正確にタレントさんに迷惑をかけないように、目立たないように。メインはタレントさんなので、 僕なんか体がでかいから、なるべく目立たないように体を小さくして。あの 派手なベースを引かないようにだけど、下手なベースを引くと、それはそれで迷惑がかかるので

すごくちゃんときちっとやるんだけど、余分なことはなるべくしないように、周りの人に迷惑をかけないで、歌いやすいようなベースをしないといけない。

やれるようになったらなったで、僕もなんかこう贅沢なので、 なんかつまんないなと思い始めて、その逆に言うと、こんな譜面が読めれば、逆にそのもう当時は打ち込みとかもあったんで、コンピューターで、この譜面を打ち込んだら、 同じようにもっとうまくベース引くし、機械が。

こんなの何が面白いんだろうとか思い始めちゃって。それでだんだんそこに興味が薄れていって、そのタレントさんのバックとかやってると、えっと、 いっぱい目の当たりにするんですけど、来月からバンド全部替えますとか。

あと、その 歌手の人がしばらく活動休止しますとかあるじゃないですか。

突然仕事を失うっていうのを目の前でいっぱい見てたんで、こんなこと年取ってそうこうしてる途中で結婚して、子供が生まれたりしたので。

ちょっと疑問を感じ始めて、簡単に言うと、音楽制作、当時、あの周りにちょっと会社の知り合いがいて、うちの兄貴が そういう会社にいたのもあって、ゲームを作ったりとかする人たちとか、周りにこの会社の社長さんとかの知り合いにたくさんいて、兄貴の知り合いが。

そういう人から音楽やってるんだったら、ちょっとゲームのbgm作ってよみたいなのとかが出始めて、それで、そっちの方もやり始めたんですよね。並行して。

音楽制作と、ゲームの効果音とかそういうのも同時にやり始めて、だんだんとそっちにちょっとシフトをし始めた。

聞き手
なるほど。

音楽教室


ジョージ
そっちが結構忙しくなったんで、一時期は結構仕事あったんですけど、周りの会社がみんなこう下火になっていて、バブルが弾け仕事が減っていって、これこのままじゃダメだなと思っていたら、そこの会社が出るっていう話でスペースが空いたんですよ。

そしたら、そこが防音に作ったスペースがあったんで、何かやればとか言われて、 じゃあこの楽器はたくさんあるし、音楽教師やったらリスクは少ないなと思って、それで、音楽教室をやったらいいかなと思い始めたんですね。

それでこの間もちょっとお伝えしてたんですけど、音楽教室やったらいいかなって思ったんだけど、その前にそのゲーム音楽とかが下火になっていて、その時に会社にしていて、社員っていうか、お給料を1人に払ってたんですよ。

聞き手
なるほど。

苦難の道のり

ジョージ
仕事は減ったけど、給料と家賃は五反田に事務所を構えてたんで、 そこでもう結構大変になっていて、お金がもうあんまりなかったんですよ。

だんだん下火になっていて。音楽教室やったらいいとは思うけど、資金がないと。えっと、生徒さんゼロからのスタートだから、家賃が五反田の駅前だったんで、そこそこいい値段がしていたので、 これは無理。

アイデアとしていいと思うけど、無理だなと思ってたら、僕の古い友人が僕がお金出すから一緒にやろうよみたいな。

共同経営っていうよりも、えっと、その人はクリスチャンの人だったんで、ゴスペルコーラスとかをミュージシャンに教えていて。で、俺にゴスペルをやらせてくれるんだったら、俺金出すよみたいな話になって。

400万ぐらいは自分のお金でなんとかなるって言ったんで、じゃ始めようかなと思って、 じゃあそこでやりますって言っちゃったところから、家賃がもう発生してるんですね。

そしたら、その次にサウナかなんか行って話してたら、いい加減な人だったんで、その人が あれさ、ごめんねって言って、女房に言ったらダメだって言われて、金出せねっていう話になって…

それが、その1番の挫折というか、人生最大のピンチ。それで、もう次の日に自分が乗ってた車を売りに行ったりとか、 とにかく現金を作らないと毎月家賃が出てくるので、それから金融公庫とかお金を借りに毎日こう書類を揃えて融資をうけに行ったりとか。

あと、音楽教室終わってから自宅に帰って車で池袋のキャバクラ嬢の送りのバイトってあるんですけど、深夜に行って、 キャバクラ嬢が仕事はけるのを待っていて、で、キャバクラ嬢に乗せて、自宅まで送っていって、またキャバクラに戻ってきて、次の女の子を待つという。

それは、だから、色々考えたら体力は使わないけど。で、僕も夜型なんで、ほんと夜中は割と大丈夫だから、 それだったらなんとかできるかなと思って、夜中は朝までそのバイトをして、 それからまたちょっと寝て、音楽教室に行って、そういう日々をずっと繰り返してる。

聞き手
睡眠時間も削って…

ジョージ
そうですね、今思うとね、でもまんまり苦しいと思わなかったですけどね。その割と平気なんで、そうなん 、あのプライドとかも何でもないので、食えなくなったら何でも働きゃいいやと思って。

聞き手
だから、お金作りつつ、生徒さんも募集という感じ。

ジョージ
そうですね。それで、でも、あの五反田の駅前でアルバイト使って、チラシを 駅前で巻いたりとかしたので、殺到すると思ってたら…

やっぱり素人だからそんな簡単に思ってたんですけど、待てど暮らせと生徒さんが来なくて、 商売なんてね、意外とそんなもんで、これは参ったなと思って、ずっと大変だったんですよ。前半は。

聞き手
どれぐらい?

ジョージ
結構1年間はもうやばかったですね。

もうぽつりぽつりぐらいしか生徒さんも来なくて。
こっちは待ってないといけないので、 生徒さんがいなくても、ボーっと受付で待ってたりとかする日々が続いて。

でも、そこをなんとか乗り越えて、少しずつ生徒さんが、まあ場所は良かったので、少しずつですけど、生徒さんが増えてきて、数年後には なんとかこうちょっと形になってきて、それでこれから借金を返していけるなみたいな。


聞き手
ちなみに、ごめんなさい、スクールで教えられてる内容っていうのは?

ジョージ
僕は当時はベーシストなんで、ベースだけ教えていて、 そのミュージシャンの友達はたくさんいて、その当時はその友達に声をかけたから、 その安くてもいいからやろうよ。やろうよって言って、応援するからって言ってくれる友達がたくさんいたんで。

ボーカル教えてくれるとか、ギター教えてくれるっていいよ、いいよ、やるよ、安くてもいいよとか言って、みんな友達が集まってきてくれたんで。

じゃ料金を安くしないと、生徒さん集まらないから、なるべく安い料金で やろうと。で、その分、先生にもそんなにギャラ払えないけど、いいって言ったら、全然いいよって。

将来、それが少しでも小遣いみたいになれば、あのミュージシャンだけやってるより、安心だからいいよ。そういうのを作っておきたいからやろうっていう友達が で、大体こう支持が埋められたので。

した分だけをギャラ払えばいいので、ラーメン屋とかやるよりは、食材が無駄にならない、リスクは少ないな、という思いはあったんですね。


聞き手
で、その軌道に乗るまでですね。ま、ご家族いらっしゃったと思うんですけど、当時どんな感じでしたか?

ジョージ
俺があの音楽教室を始めた頃は運悪く、子供が2人生まれて、まだ多分おそらく3歳、2,3歳お姉ちゃんが 4歳息子が2歳ぐらいの時だったかもしれない。だから、1番大変な時なのに、 家に金が入れられないみたいな状態の時もありましたね。

ジョージ
で、1番ひどい時は電車賃がなくて、五反田に行けないって、もうどん底ですね。だけど、売れるものを五反田に行く前に、秋葉原とかに行って、売れる楽器を売りに行ったりとか。

現金を作って。先生に払うギャラが払えないとか、そういう状態の時も一時期あって。

でもそういうのを乗り越えたので、あんまりそのコロナで大変でしたけど。ひるんだら終わりだと思えるようになったのかもしれないですね。
もっとひどい状態を知ってるんで。

聞き手
奥さんとかも協力的じゃないですけど?

ジョージ
全然協力的じゃなかったですね。あの、なんかそういうの我関せずの人なんで、そういう話はどうでもいいから、とにかく金持ってきて!みたいな。

でも、逆に今思うと気が楽でしたけどね。

何にも関心を持ってくれてなかったので、僕はあの子供が大きくなった時に、やっぱ安定した収入を作っとかないといけないと思って、音楽教室をリスクを背負って始めたんだけど、そういう話には一切耳を傾けてくれなかったので、そんな説明はどうでもいいから金持ってきてみたいな。

だから、逆に気は楽でしたね。

細かいことはどうでもいいから、金だけ生活費だけ入れてくれみたいな。

聞き手
え、逆に集中できてた?

ジョージ
そうですね。母親もずっと一緒に住んでたんで、 もう覚えてないですけど、母親がえっと、あの年金とか父親の厚生年金とか国民年金とかも入ってたんで、なんか応援してくれて、 助けてくれてたのかもしれないですね。

ミラクル

聞き手
で、それで軌道に乗って行ったんですね?

ジョージ
それでなんとか軌道に持ってきて、 借金がこれで返せるなと思ってよかったと思ってたら、そこのやっていた場所が、僕の知り合いの兄貴の、お友達の社長さんが共有で借りていたそのオフィススペースだったんですよ。

そしたら、その社長さんがね。今まですごい苦労して、ここまでやってきたのを、僕はずっと見てたんで、すごい言いにくいんだけど、実はうちの会社もここで家賃を払っていくのが もう大変になってきたんで、出たいんだと。

だけど、そっちの会社の方がたくさん家賃を払ってたんで、それだったら、 うちもそこを僕が借りるわけにかないので、もうそれは運命共同体だから仕方がないですね。

って言って、もはやここまでかと思って、やっと波に乗りかけてたのに、これで終わりだなと思って、そこを出なきゃいけなくなっちゃったんです。

で、そしたら、僕をデュークエイセスに誘ってくれたリタリストのリーさんという大先輩、命の恩人なんですけど。

その人もちょっとギターを先生やってもらってたんですよ。

その人にあの話をして、もう出なくちゃいけなくなっちゃって、もう万事休すだっていう話をしたら、ご両親が中国から来た方で、で、中華料理屋さんを始めたらしい。

その後継いで、お姉さんがこのビルを管理していたんだけど、その数年前にお姉さんが亡くなられて、その他はテナントが入ってるんですけど、今うちが入ってる3階、4階が そのお姉さんが住まわれていて。

スナックをやられていたスペースもあって、そこがもう廃虚のようにボロボロになっていて、 そこをほっとくともう痛むばっかりだし、お前がよければ、そこもう家賃いくらでもいいからやらないって声をかけてくれて

それでほんとですか?って言って、五反田と新橋は場所も近いので、 やっと入ってくれた生徒さんも新橋だったら続けて来てくれるかなっていっぱいあって、 移りたかったんですけど、その時にはそんなお金がもう改装費に相当お金がかかるのがわかったんで。

でも、お金がって言ったら、リーさんの同級生の僕がベースを教えていた生徒さんがいて、その方が、ジョージさんがそういう生きたお金にしてくれるんだったら、僕は使う宛てのないお金を持ってるんで、無利子無担保でお金出しますよ。って言ってくれて。

それで お言葉に甘えて、そのお金を借りて改装に入って、今に至るんです。

すごいミラクルでしょ?

だから、そうやって命の恩人が僕にはあまりにもたくさんいすぎて、逆菩薩もたくさんすぎてまだ登場しない逆菩薩がいっぱいいるんですけど…そんなもんです。


運がいいっていうかね。だから、自分が努力したっていうよりも、周りに助けられたことの方が多すぎて、だから、なんとかして生きてる間にお世話になった人に恩返しをなんかの形でして

じゃないと死ぬに死ねないなっていうのはあるんですけど、 なかなかね、そ、こうしてる時にコロナがなんだって、また大変なあれが 見舞われてますけど。

真面目に生きることだけが自分の武器


聞き手
あのま色々こう活躍されてきたと思うんですけど、表には出てないし1人では言いづらいけど、ここでは言えそうな話があれば、聞いてみたい。

ジョージ
ほんとにね、自慢することは全然ないんですよね。あの唯一自慢ができるとしたら、あの いい人に恵まれてるっていうことぐらいかな。

あのstand.fmでね。知り合った方もみんないい人だし、そうやってこうなんかいい人に出会ってる感はすごいありますよね。

あの、同級生もそうだし、幼馴染でバンドやってた人もそうだし、とにかくなんか 全てが完璧に僕にとってはこう。すごくいい人。

周りにいる人が素晴らしいですね。

聞き手
今までこうやっぱり聞いてて思ったのが、必要な時に必要な人が現れて、 必要なことが。

ジョージ
出るなっていう。そうですね、だから不思議ですね。そうですね、ほんとにね。だから、他にも もう僕の人生そういうことばっかりで、こういう風になりたいなと思うと、なんかすぐに それが実現したりとか。

怖いぐらいにそういうことばっかり起きるんですよ。あと、昔に出会った人が10年以上経ってから再開して、その人リーさんっていう人もそうなんですけど、 何年か会ってから疎遠になってても、必ずどっかでまた再開して、その人に助けられるとか、そんなことがね、もう怖いぐらい…

stand.fmでうちのボーカルの原田さんっていう女の先生が、霊感が強いっていう話を ちょっと雑談でしてたんですよ。ジョージさんは、あんまりこれをこういうこと言わない方がいいんで、あんまり言わないけれど

ジョージさんは簡単に言うと大丈夫ですよ。で、あんまり言わない方がいいけど、 なんかこうなりたいとか困ったら絶対絶命っていう時に、誰かが助けてくれるでしょ。

で、こうなったらいいなっていうことが実現するでしょって、ほんとに俺の人生そうなんだよ、もう怖いぐらいに言って。

それはね、あんまり言わない方がいいけど、実は後ろにすごくお節介やきのおばさんがついていて、その人はと肉親ではないんだけど、ジョージさんのこうにしたらとか、困ったっていう時に、その人が全部動いて、お膳立てをしてくれてるんで、 そういうことが起きるんですよ。って言われて。

ほんとかなっていう気持ちもあるんですけど、でも、そういう風に言われるとなんか納得できる感じは…それぐらいね。なんか、ミラクルの連続なんですよ。

でもそれに甘えてると、だから俺は大丈夫だと思うと、そういう人がいなくなって、悪いものに入れ替わるらしいですよ。だから、今までそうやって謙虚に 頑張って真面目に生きてきたから、その人がずっとついてくれてるんで、今まで通り頑張って生きてればジョージさんは大丈夫って言われました。

聞き手
ちゃんとその1つ1つの仕事にちゃんとやって、 人付き合いをやってきたのかなとか思ってたんですよね。

ジョージ
ふり返ってみると、やっぱり僕にとってはですけど、僕は他に全然才能がないんで、今までそのプロのミュージシャンとかを目指して、ミュージシャンとしても どうかなっていうのも今でもあるし。

やっぱ人に教える仕事をするために自分の特技というか、才能だから、これはやっぱ大事にしなきゃと思って、やっぱり絶対嘘つかない。手を抜かない。やっぱ精神誠意。あの、とにかく人を裏切らないとか、人にやっぱ救われてきたので。

そういうことだけを大事にしていく、しかも、方法が他に何にもこう。僕には武器がないので、 真面目に生きることだけが自分の武器なので、っていう感じですかね。

こんだけね、人に助けられまくると、それはね、あの謙虚にならざるを得ないですよ。

ほんとにもう、生徒さんも 全員が自分より上だと思ってるので、ほんとにそれはあの生徒さんもみんな自分で仕事をされて

お給料や大事なお金でレッスンしに来てくれてるので、僕にとっては変な言い方、神様みたいなものだから教えさせていただきます。っていう感じでしょうね。

だから、その時間といただいたお金もせめてみあうだけは、レッスンに何かを持ち、帰ってもらわないと申し訳ないっていう気持ちがいつも強くて

だから、僕が今までそのためにいろんな経験をそうやって今話したような経験を積んできたことが教えることにすごく生かされてるんで、これはすごい1番の適職っていうか、これをやるために今まで経験してきたんだなっていう充実感はね。いい仕事に出会ってよかったなって思いますね。

家族への想い


聞き手
ご家族の話がちらっと出てきましたが、結構面と向かっていう機会もあんまないと思います。ご家族とかその場にいらっしゃらないんですけど、メッセージとかあれば聞いてみたい。

ジョージ
そうですね。兄貴ともね、あの 兄が結婚して、奥さんと息子が1人いるんですけど、この若い頃はね。あの東京が出てきて、一緒に兄貴と住んでた時は、2年間 殺し合いの喧嘩をもうもうちょっとで殺しそうになってた場面が…

やっぱ性格が全然違って、一緒に住むと全く合わないんですけど、 今は逆に言うと全然僕に持ってないものを全て持ってるし、 兄貴は音楽好きだけど、音楽的な才能は全然ないので、それを兄貴は自覚してるんで。

この音楽の部分では、僕を結構助けてくれて、尊敬してくれてるっていうのかな。そういうのがあって、今はいい関係。離れて暮らしてるからだと思うんですけど、すごい頼りになるし、僕の苦手なとこ は全部こう教えてくれたりとかしてくれるんで。

あとは、母親は2年前に亡くなったんですけど、肝っ玉かあさんで、僕はそうやってくじけそうになったら、いつもそのデカイ体して、そんなびくびく生きてんじゃねえみたいな。もっと堂々と生きろ!みたいなことを言ってた母親なんで、それもすごくよかったなと思います。

別れた奥さんは僕離婚してるんですけど、離婚した奥さんも今も仲が良くて、その奥さんは再婚して旦那さんいるんですけど、 あの、なんていうのかな。僕にとっての逆菩薩。いろんなことがあって。そんなに大喧嘩じゃなくて、離婚したんですけど、でも、僕をその今の方に こう向けてくれた大事な要素でもあるので、そう考えると全てが良かったかなっていう。

父親は英語の先生をやってて、また生まれ変わっても、学校の先生をやるって転職だって言ってたんですよ。で、僕もこう行き着いたらなんか教えるのめっちゃ向いてんだと思って、なんだこのやりがいはと思って。

ふと気が付いたら、親父と同じ仕事してるって気が付いて、ちょっとゾッとしましたね。こう、背筋が寒くなる。すげえなDNAって。

だから、父親も今頃僕がやってることを見たら喜んでるだろうなとは思いました。

親父の後継ぎで英語の先生なんてもう程遠いので。自分には親父みたいな要素なかったなと思ってたら、教えるのに向いてるなと思ったら、親父と同じこと言ってる…みたいな。

面白いですねそういうDNAみたいな。


でも僕よく言うんだけど、こんなダメな人間でも生きてるから、あなたはきっと大丈夫って。

僕よりは優れてるんで、なんとか死なないで生きていけるよ。何があっても。

そういう見本も大事じゃないですか。

あの人が生きてるんだったら私も大丈夫。そういう人にせめて成れればいいかなって。

活動のエネルギーになります。 是非サポートよろしくお願いします。