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遮那王・お江戸のキャンディー3/男の世というディストピア

広田レオナ監督作品『遮那王・お江戸のキャンディー3』を観ました。
テニヌヲタの私がテニミュ実況タグ辿ってたときに偶然見かけ、独特な感性を持つ広田さんが撮る「男の世」が気になって……。
シリーズ公式キャッチコピーが「男しか存在しない時空のお伽話」
公式の宣伝も「独創的な世界観」「美しいヴィジュアル」が中心だし、美術や世界観を堪能する作品かなーと思っていました。
実際そういうタイプの作品なのだろう、とは思います。

でも本篇を観てみたら……かなり風刺が効いている内容で……
現実にはびこる「男社会の闇」が大変鋭く描かれ刺さりました……


■「すげえ……」と思った主なポイント

おもに以下の二つにまとめられます。

1.「平和などない男の世」あるある
2.「男の世」が望む女性的な役割あるある

DVDパッケージに書かれた「男の世に平和などあるものか」は、まさに、この「お伽話」の根底にある「現実世界の澱み」を表現していると思いました。
尺のわりにキャラが多いため「?!」と感じる箇所もありますが、それでも大変聡い視点を提供してくれます。

そして個人的には、女性が元ネタとなったキャラたちの「男の世における女性的な役割」の悲惨さと、「女だけの世界」の違い絶妙だと思た……。
男社会でサバイブしてきた女性監督「男の世が希求しがちな『女役割』」を描き、それを男性俳優が演じたことで、より「男の世が付与する女役割の閉塞感」が浮き上がってるというか……。

男社会の不幸なズタボロ女(役割)を演じてんのが手塚国光幸村精市弱ペダ坂道・排球翔陽の人なのも味わい深い……
幸村はさておき手塚と坂道? という辺りも割と効果的で……。

ジェンダー(そして一種フェミニズム)的観点に感銘を受けたため、上記二点に絞った感想です。
以下、ネタばれ要素含みます。あらすじはこんな感じ


1.「平和などない男の世」あるある

私は長年、男性中心の職場・フリーランスでも男社会で働いていましたが、当時を思い出しました(遠い目)。
女性職場・女性社会で揉めたこともありましたが、男社会の闇はマジで修羅で、命からがら生き延びてギリギリって所があった……。


→性的な意味で千人斬り

いの○たむつみ先生が描いたかのような、超美麗つよつよ異世界ヴィジュアル弁慶。
テイ○ズのラスボス感ハンパない彼は、男性を「千人」抱くことを目標に定めたため、別に愛してない男性を山ほど抱き、勝手に「千人目に抱くのは(愛する)遮那王だ」と決めていました。

しかし想いは遂げられず、遮那王から男たちをやり捨てたことを突っ込まれます。
当然これはオマージュで、この後に「無情にヤリ棄てただけじゃない」描写も出てきます。

しかし……こういう「頭数自慢!」みたいな人、男性職場・男社会にいたよね……現実感
しかも普通に既婚者・パートナー持ちだったりな……
そりゃ女でもいるけど、絶対数が……。

お前を千人目に抱いてやる! と迫られた遮那王が
「お前が抱いた男たちは、お前を愛していなかったと言うのか?」
と返す場面は、性体験の数「のみ」が評価されがちな「男の世」の歪に楔を打ち込んだように感じました。

男だけの世界だから性行為の相手は皆ゴッツい男だけど、日本はフツーに衆道とかあった「リアリティ男社会!」という印象(個人の感想)。
ちなみに男女同権社会は「女性セクマイ」の権利もあり、男権社会は「男同士の性行為」だけが認められる傾向らしい……。
この映画、男(役割)のキャラたちは乱交状態なんだが、女(役割)の男キャラ「愛してくれない夫に一途な妻」「恋人に捨てられ男たちから性搾取されまくる美人」「父に溺愛される少女」しかいない所もディストピアでな……


→鬼と化す上層部の男

こちらもテ○ルズラスボス系だけど藤○康介先生画って感じの頼朝。
でもガイ○スにも似てる。
娘(男)しか愛しておらず、野心家で、妻(男)も弟も容赦なくころす残忍な男。

私が勤めた某Akutoku企業では役職に就いてた男性は大抵こんな感じだったわ……なつい。
裏側の顔は「鬼」だった……不当すぎる契約内容は、彼らの離席中、私がお客様に説明した(過去の話)。
某社はほぼ男社会で(女性は全く給料が上がらず辞める)、入社時は優しかった男子たちも、いつの間にか社風に染まり

1.鬼になる 2.病む 3.辞める

のいずれかに収まって行ったよね……みんなどうしてるかな(ほぼ2と3はイコール)。

「男社会」が工場となり、男を残忍に変え、病み苦しみを排出してるのかもな……とは思た。個人の問題でなく、システム・環境の問題かな、と……(個人の感想)。


→攻撃魔法「ブス」「ビッチ」

(演者の容姿は美形でも)「ブス」と罵倒される重衡と、「美人だからと調子に乗ってるビッチ」となじられるお静(黄色の人)。
作中では「コミカルで親密な描写」として描かれていますが、

「男の世」においては、女性(的とされるもの)を評価し蔑む語である「ブス」「ビッチ」は、カジュアルな攻撃魔法として用いられがちでしたね……(回顧)。

『ブスはフィクションの中でいろどりとして対比として使われ蔑まれる側』(「水晶内制度」笙野頼子・222頁)

他方ビッチは、性的に都合よく扱われ同時に見下される役割を負いがちです。
別に調子に乗ってなくても「美人だから調子に乗っている」ことにされる辺りも……。

「男だけの世界」の場合、その役割は、男が互いに負うのだよな……。

この映画、「男(が元ネタ)キャラ→中性・女性的美形」「女(が元ネタ)キャラ→男っぽい美形」が演じる傾向にあるけれど、お静だけは洋ドラのアジア系女みたいな容貌なのよな。顎ががっしりしてるけど洋ドラにはいがち。
(異世界感や男みが弱く)現実のそこら辺の女っぽい見た目のお静が「ビッチ」と謗られるシーンは正直「ヴエっ」と胸が抉られてしまった……(個人の感想)


2.「男の世」が望む女性役割あるある

『江戸キャン3』では「女性的な役割を付与」された男が三名出てきます。
これが秀逸「男の世界」が求めがちな女性キャラのカテゴリにピッタリ当てはまる。

「醜女(男)の一途な妻・母(男)」お政(役者は美形だけどそういう設定らしい)
「可愛い少女(男)」大姫
「美人の娼婦(夫)」お静

さらに役割・行動も終始「男の世」が望む女性の枠内に閉じ込められます。

シスターフッドがない(分断される・「女の敵は女」にされる)
表立って男(元ネタが)たちへ盾突かず主体的に活動しない(暗躍のみ)
基本的に男(元ネタが)たちの犠牲になる(一名オチがアレだけどそこは後述)

最後に出てくる異世界「女だけの世界」にはシスターフッドがある(と示唆される)辺りが容赦ないです。

『異性愛者の男が好む女性でない限りメンバーとして扱われない。いや、そうしたところで控えの、サブキャラとして認められるだけ』(「さよなら、男社会」尹雄大.26頁)

でも決して彼女(彼男)たちは「男の世に都合良いだけの存在」として消化・美化されたりはしません
男社会の狭い役割だけ付与された「幻の女」でも、心までは染まらず「主体的」な「人間」として生きている
そこに、男社会で法的・規範的に言動を制限、不可視化された女たちのカタルシスがある。
閉ざされた刑務所の中でも、変化し成長し、ときに後退する女を描いた『OITNB』みは感じた。
つまり「男の世」は女の牢獄ってことだろうか……まぁそうだわね……。


→耐える一途な母・妻(男)

無双系ACGの強ボスっぽいお政。骨格や顔立ちも精悍で、外見はつよつよのつよです。
でも、夫・頼朝からは妻としてぞんざいにされ母としてすら尊重されず酷くあしらわれ……。
ヤバい男を愛してしまったゆえに、政治の道具の役割に甘んじ、ボロ雑巾のように扱われながら夫を慕う「悲劇の妻」
テレポン人生相談だったら○原敬子先生に背中を押され励まされそうな状況ですが、男だけの世界には○原先生もいない(違)。

元ネタは、主体的に活動し、ときに夫に逆らい、娘や静に心を砕く「カッコイイ強い女」です。
が、あくまで「男の世で女役割を担った男」お政は、そうしたシスターフッドを発揮せず愛した男の隣で膠着したまま……。

『男からみてカッコイイ女というのはただ男から食い物にされる女の事』
『本当に「強い女」がいたとしたらその女はただいない事にされてしまう。あるいは「嫌な強い女」がいたとしたら、それは無論ただの「嫌な女」にされてしまう。その上「嫌な女」の生存は許されない。(中略)「嫌な」というのはまさに「男にとって嫌な」女だったのだ』(「水晶内制度」笙野頼子・199頁)

なので、元ネタは基本「男の世」では存在自体を許されんのよな。多分。

抗争の最中で「良き母・良き妻」のスティグマを背負い、翻弄されるばかりのお政。
でも最後だけ、夫・頼朝を愛ゆえに反目し「兄を斬りなさい」と義弟・遮那王に刀を渡します。
が、義弟もまた兄への愛ゆえ斬れず、結局、お政は夫に斬られてしまう……

男の世に都合良い女(男)として犠牲になったお政ですが、「夫を愛した良き妻・母!」みたいに奉られたりはしません
母として踏みつけられ妻として愛を返されない「人間としての愛憎と苦痛」が全編を通して描かれ、その本気で夫を愛したお政の内実は非常に主体的に感じました。
役割から逃れられなくても、心までは絶対に「男の世の理」に隷属しない
泣ける……


→犠牲にされる少女(男)

優美な着物の似合う美少年だけど、こういうキャラにありがちな中性的男子ってよりはドギョンス系で男の子らしい顔

元ネタだと政や静は味方でも……「男の世」の「男」たる大姫に救いはありません
父から支配的に溺愛され、お政は夫に逆らえず、お静からは騙され政敵にころされます
名画『お嬢さん』は、第一幕で女が女を裏切ったような場面で終わり、その後、大どんでん返しで彼女たちは二人一緒に幸せを掴みます。が、第一幕で終わった……みたいな感じ……。

男の世は「女の敵は女」が大好きだからね……現実では反証のほうが多くなってきましたが。

『か弱い少女は結局口リコン物の中でも大切にされ、消費される場合も凶悪犯の犠牲にされるという型になる事が多いそうです。もちろんその可愛がり方や大切にされる方法はげっという程おぞましく一方的で気持ち悪いものです』(「水晶内制度」笙野頼子・222頁)

父から一方的でキモい愛執を注がれ、自由になったとき無残に犠牲になる大姫。
まさに「男の世の少女(男)」ゆえの悲劇……。

しかし合間合間の心象描写が明確で、父・支配への抵抗、自由への渇望が主体的に表現され、庇護されるだけだった少女(男)の人間じみた悲哀が明示されています


→美人で娼婦(夫)で毒婦(夫)

立海幸村を検索したとき出てきたのがコレ。誰よその女。まぁ、この方が演じた幸村部長も割と「誰よその女」って感じのヴィジュアルだったけれども。

至る所に出現して男たちを翻弄し、血で血を洗う争いに巻き込むお静。
明らかに言動が怪しくても、あっさり騙される男たち。
実話ベースの映画『ハスラーズ』では、被害者の男が犯罪美女軍団に騙された理由を「なぜか騙されたんだ!」と語った。明らかに「なぜか」じゃねえ。

元ネタの静は、大姫や政とシスターフッド関係にありシスターフッドがないと詰む人です。
が、男の世が望む「女の敵は女」(男)キャラお静は、シスターフッドなどないため詰みます。

男社会は女を分割統治する(類人猿だと、女社会の種族はメスが結束し、男社会の種族はメスを分断して弱体化させるそうだ)ので、男の世で存在を許された女たち「美人とブス」「母・妻と娼婦と少女」互いに助け合ってはならない

ノーシスターフッドお静は、苦しみを独りで抱えます。他者と共謀することはあっても心痛は分かち合わない
さよなら、男社会』には、男たちには「悲しみと怒りの感覚を吐露する文化がない」とある……(189頁)

それこそ「男の世」向けの作品だと、薄っぺらい悪女(男)として終わるキャラです。
でも、お静は違う。
男たちから美貌や魅力を搾取され利用された挙句に捨てられ、散々な目に遭いまくり、救いもない果てに凶行に走ったお静。
「平和のない男の世」で男たちをころすのは、「男たちが好き勝手に弄び見放した存在」だったというオチ(かな、と私は思った)。
お静は女じゃねえけど「女の敵は女」じゃなく「女の敵は男(社会の闇)」だった。
お静が最後に「みんなしんじゃえばいい」と呟くのですが、こんだけ立食パーティーのオードブルみたく無残に食い散らかされたら、そう思い至っても仕方ない……同情しかない。

けど感想を漁ってたとき、「このあとお静がどうなったと思う?」と問われた演者本人が「寂しくてしんじゃった」と答えたという記載を見て「男の人ってスゴいですね(※皮肉)」と思ってしまった……

ごくまれに男の世で「美人は性的資本(?)で男からチヤホヤされてイージーモード」とする虚言妄言を見かけますが、性的資本(?)ゆえに人生ハードモードのお静は「美人だからこそ見る地獄」を体現したキャラと言えます。
「美人の女になってチヤホヤされたい」と思ってた男子が「バ美肉したらセクハラ大杉だった」話を思い出した……


→「男の世で女役割を負った男」と「女だけの世界」は全く別物

ラストでは主要キャラの多くがころされ、最愛の兄・頼朝にあやめられた遮那王は、異世界「女だけの世界」で目覚めます。
そこでは、女として存在する(?)自分と、女として存在する弁慶が、平和に愛し合っていた……。
男キャラは概ね強ボスっぽかったけど、女遮那王と女弁慶はRPGの主役っぽいね。
この世界なら、お政たちも、元ネタのように助け合っていることでしょう……

見たことのない異性と出会う。
凡庸な作品であればボーイミーツガールイベントでも発生しそうな絵面でした。
でも「女だけの世界では男は生きられない」ため、遮那王はしにます

私は「わかる」と膝を打ちました。
私が、男社会の闇が極まった某業界を離れ、女性職場に移ったとき。
男社会の澱みに染まり切っていた私は、非常に(女性にとって)非礼な言動を先輩や同僚に繰り返してしまいました
もちろん嫌われましたが、当時の私は、何がダメだったのか分かりませんでした。
でも、人格者の先輩が熱心に面倒を見て下さったおかげで、一年くらい経ったとき、「自分の言動は最悪だった」「男社会のアカンとこに染まってた」と自覚できたのでした。
時間をかけて指導して下さった先輩方がいなければ、それこそ私は、女性の世界で「生きられなかった」だろうな……と痛感したのです。

ガンダム00で、科学者イオリアが「争いの火種を持ったまま人は宇宙には行けない」と言うのですが(ほんまや)、男権社会の澱を持ったまま女の世界にはマジで行けませんでした。個人の感想です。

(笙野頼子小説だと、女人国に入った男性の処遇は、射さつ・男性保護牧場・追放のいずれか……)


→「女性をモノ扱いする」愚かさを描いても「女性(表象)をモノ扱い」しない

この映画、いわゆる「イケメン動物園」的な側面はあるが、配役と役割分担に配慮がある。

☆粗暴な男キャラ→中性的な外見の男
☆男社会にころされる女役割キャラ→男性的な外見の男
☆男社会で男(役割キャラ)たちに復讐して生き残る→極めて女性的なシルエットの男
☆女の世界で平和に生きる→女性

という配役によって、「女性をモノ扱いする」愚かさを描きながら、ヴィジュアル的に「女性をモノ扱いする」ことを回避していた。

性行為自体は一度しか描かれないのだけど(そしてやや暴力的)、そのときも「おかす側が中性的」「おかされる側が極めて男臭い美男子」
男(役割)キャラにころされたのが「男っぽい美形」のお政と大姫、男たちをころして生き残ったのが「そこらの女みたいな外見」のお静。

最初、なぜ顔が男っぽい美形の手塚国光と小野田坂道の人が政と大姫?? と思ったが、絵的なステロタイプを回避するには最適だったのだ。
一方、極めて女性的外見のお静が、身体的暴力を受けたり、男たちに手籠めにされる場面は一切ない。それどころか、中性的な男たちすら性的に蹂躙されたりしない。

これでお政と大姫の見た目まで女寄りだったり、お静が男(役割)キャラにころされるルートだったら、絵的に「伝統的メイルゲイズ」そのものだったものね……。


※元「わきまえた名誉男性」の個人的所感

今でこそシスターフッド作品が大好きで「お政と大姫とお静が悲しかった」という感想を持った私ですが、もしも昔「名誉男性」やってた頃に観ていたら……

「お政はもっと母・妻として賢く()手のひらで夫を操る()べき」
「大姫も性的資本()を駆使して男(役)たちを騙せばいいのに」
「お静は自己決定権()を行使し美貌を肯定的に活用()して主体的()」

とか思ってたかもしれない……うわーっ。

リアル男しかいない時空「男の娘同士が絡むAV」でも、何故か、どう考えても要らん普通の男が混ざってくるんだが(核ゴミ並の不要物だと思う)、男の世においては「女(的な要素)を背負った男」だけで結束するのも許されないんだろうか……? 謎。


★おわりに

私の中で、遮那王役・須賀さんの記憶が三丁目の夕日』ラストの淳之介少年(茶川先生との別れ)で止まっていたので、立派な青年になっておられて感動しました。
三浦さんの記憶も仮面ライダーシリーズで止まっていたけど変わらずカッコ良かったです。
浦島太郎すぎる……。

本編以外の資料を見ていないので(出演者で数名ほど普段の言動が地雷で避けてる人がいるため)解釈が間違ってる部分も多々あるかとは思うのですが……
ジェンダー的な課題の切り口が結構鋭く、刺さる人には刺さる気がするので、そういう方向でも観て欲しい……。

ただ短館作品のため、今現在、視聴方法が販売DVDのみでハードル高めなのが何とも……。


※もっとも「男の世」を痛感した場面

なお私が一番「うわーっ!」と思った場面は、この期に及んで某出演者(誰とは言わんが某48人気アイドルの婿)が舞台挨拶で「お静は魅力的」「お政は……」女(役割)キャラを男目線で価値ジャッジして分断した所ですね……「そういうとこだぞ」としか。

あとドギョンス似男顔少年の大姫に「好みです!!」と言い切った元○○士の人がな……別にいいけど……まぁあの人はテニミュヲタなら皆知ってる札付きだから……。

やはり現実が一番アレなのでさよなら男社会一択


≪参考資料≫



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