茶葉の来歴
報道の世界を離れてみて少し経つ。24時間365日、担当事案に紐づけられていた心身が解放され、静寂を取り戻してきた。
退職を決意した時期は、混沌とした自分に苦しんでいた。質と量ともに求められているものを出せない至らなさに(それは私だけに原因があったわけではないけれど)、どのような状況、環境下でも揺るぎない出力を備えていない自身の未熟さに居た堪れない気持ちでいっぱいだった。
間際にスクープを世に放てたことで少し和らいだけれど、記者として適格ではないとすら思い詰めていた。冷静さはとっくに欠いていた。案外善戦していたのではないかといまは思うけれど、仔細に思い出そうとすると墨汁を飲んでしまったかのような苦さが胸に広がる。まだ美化できるほど、あの日々と距離を取ることはできない。
それでもこうやって何かを書きたくなってしまうのは性なのかもしれない。前置き(?)が長くなってしまったが、突き詰めると書きたくなったから開設してみたということになる。
友人と茶をしばく
長らくの友人と(向こうはそう思っていなかったらどうしよう…)、初めてサシでお茶をした。退職の旨を伝えたかったからだ。中国茶専門店で、午後の光と風を浴びながら、お茶請けを摘みながら、ああじゃないこうじゃないと真面目な話をした。
友人もまた一時は報道の世界を志したこともあるという。けれど、そのキャリアの垂直性(積み上げと言っていたかな)から選ばなかったようだ。
確かに、記者職にはお決まりのルートがある。配属は違えど例外はなく、ルートにバリエーションは少ない。最近は、寄り道的部署を設ける社もなくはないように思うし、内実は案外多種多様なのかもしれない(けれど社内でも見えづらい)。
私自身はあまり気にしなかったけれど、キャリアパスの王道とそこから外れたアウトローというのは暗黙の了解としてあるようにも思う。業界内での流動性はあっても、組織内や業界外との人的交流は確かにあまりないかもなぁ。
そんなやりとりをしてみて、別の業界で武者修行した後に報道記者に復帰したら、後輩たちのためにもなるだろうかと思ったりもした。いま身を置く会社での仕事に注力しない言い訳にはせず(そしてそんな器用なことは私にはできない、万事全力で取り組みすぎるので)、最大限の貢献と吸収をしてカムバックできたらかっこいいよな〜とぼんやり思い、ニンマリした。
私のこういう空想を咎める人も時々いるが、いいじゃないか、心の支えやガソリンが空想であったって。実現できたらラッキーくらいの心持ちで、自己完結している夢物語を持つことは自由だから。
肝心の茶葉の来歴について
これを書こうと思ってnoteを開設したのに寄り道しすぎた。
友人との会合で楽しんだお茶があまりにも良かったので調べてみたところ、山奥からやってきているようだった。詳しい道のりを見てゲッ遠いぞとは思ったものの、最初の感想は行ってみたい、だった。
行って、見て、風土を感じ、話を聞きたい。この心の動きは記者的ではないかと思っている。フィールドワークの是非(他人の領域に踏み込む際の杜撰さ)もある。傍観者でしかいられない、その事実も当時は辛かった。ただ、自身の報じた記事をきっかけに法改正が行われた、とある交通事故の顛末を涙ながらに話してくれた他社記者の方に感銘を受けて、変える力がある希望と危険を身につまされて働いてきたことも同時に思い出した。
随分とっ散らかった文章になってしまったが、書きたいことがいっぱいあったのだからしょうがない。茶葉の来歴に思いを馳せながら、自身の行く末を耕していきたいとぼんやり思う。