国際離婚における地方での家族との確執【こどものルーツを大事にすること=相手への未練ではない】
海外での国際離婚。
それはそれでハーグ条約とか諸々大変だと思います。相手の国の法や制度が関係してくるから。
日本での国際離婚。やはりそれはそれで日本なりの問題があったりします。
まあ、まず結婚するときからだけどね、という異文化に対する拒否感
ひとはそんなに深層に関わってこないうちは「グローバル」「異文化」って楽しめるけれど、それが自分にタグ付される状態になった途端、異なものを受け付けない心理に気づかされる。
グローバル寄りでも意外とね。
そとから見てる分にはいいんだけどね、っていう。
それは自分の家族でも同じようで、「身内」になる ということとなると話が別ということは多い。
人となりを知っていけば受け入れられることが多いけれど、まあ当初はよほどグローバルマインドの家庭でないと結婚話を切りだすのも難しいと思われます。
べつに隠したかったわけではないけど、結婚は1年くらい経ってから家族にバレました、っていう話はまた別に書こうと思います。
もちろん借金とか連帯保証とかあったらっていう関係上、家族に教えるべきなのかもしれませんが、そういうものの頼る関係がないのであれば、20歳以上の婚姻は親とは関係ないところではないのかなという個人的な考えからです。
じぶんが子どもの側だったからだろうか、と「今じぶんの子どもが黙って結婚してたら」を想像してみましたが、べつにいいかなと思いました。
報告してようがしてまいが、借金などで迷惑かける人はかけるし、まだ未成年なので異性の良し悪し(危なくないか)を見極めれるかどうかはわかりませんが、少なくとも個人の判断で選ぶことに対して一定の信頼があるからです。
まあ、それで間違った選択しちゃったら、それはそれで迷惑被るしかないか、というおやとしての諦めも。
ちょっと話ブレちゃいましたが、異文化に対する感覚は家族にであろうとも共有できないものだと感じていたこともあえて報告しなかったことの一要因だと思います。表向きは反対されていなくても苗字や人への紹介、日本人でないDNAが入ること、そういうことに対する地方の(家族も含めた)偏見は敏感にこちらは感じるのであり、異なものに対する拒否感はイコール「ハーフである子ども」の存在が遠回しに否定されていることへも繋がるからです。
孫としてはかわいがれるが外国人らしい自我が出来てた時にそれはそれは再び
小さい頃は「子ども」として可愛い。だから一時期家族として受け入れられている感じ。もちろん、何かあった時見捨てないというレベルでの愛情はあるとおもう。
半分血は繋がっているのだから。
ただ、一緒に暮らしてもいない外国人もと配偶者に似たところが出てきたり、やっぱり外国人的な自我を出し始める年代になると、それはまた「異なもの」に映るのだろうか。
その自我は日本人への否定ではないのに、自立心旺盛な態度は「同調しない」「やっぱり外の血があるからね」といった、いつまでも完全身内にしてもらえない感覚的がおやである生粋の日本人のはずの私にすらある。
今はきっとまだ若いから、そんな空気あまり感じないかもしれない。もう少し大人になったらハーフの身の置き所のなさとして感じるのだろうか。
子どものルーツの国の民芸品や食べ物が自宅にあることは悪か?
離婚や、日本で生活していくこと(日本社会に順応すること)と、子どもが二つのルーツを持っていることは別だと思っている。
だから、どちらかを恥ずかしく隠したり嫌なイメージを抱かないように、折に触れ、文化や雑貨を買ったり話したりする。
離婚すぐは、私の方があちらの国に関連することに対するストレスがあったので、そうでもなかったが、離婚後数年して、子どももじぶんのルーツについて気になってくる年頃からはそう心がけてきた。
だから、ちょっとした、と言っても数点、家に相手の国関連のものがある。人からもらったものなども含めて。
それを置いていることは私にとってあまりにナチュラルで、子ども(外国ルーツの)と一緒にいるのが日常(外国ルーツとか意識することもなく、まさに日常)であるのと同じくただあっただけ。
それをみた家族に言われた言葉に逆にびっくりしたのだ。
なんでこんなにあっちの国のものあるの?
まだ連絡とってんじゃないの?未練あんじゃないの?
もはや日本にいるのか、戻ってたとしても生きているのかさえわからない状態ですが、雑貨数点でこう言われるとは予期していませんでした。
ルーツはルーツ。
感情も過去も拔きにして、単なる事実。
子どもはそのDNAゆえに知る権利はある。
それを好きになったりする義務はない。
ただ結婚し続けていれば、日常で提供されたはずのルーツ情報を離婚という形で提供できないのだからできる範囲で伝える。
未練があるんじゃないかと言われて悩んでしまった部分もあるが、特別好きな雑貨屋じゃないし、今度は日本人と結婚したいし。
家族の言葉だと影響は大きいし、何かしら引きずってしまい、足かせになる。
ただ私はこの件でふっと抱えていた罪悪感を「え?」もういいや、ってなりました。
ある意味での本格的な自立なのかもしれません。二度目の。
親のことばに影響されない、足かせにしない、そういう生き方ができるようになるための。