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連休にジョギングを始めた話

 コロナ禍直前、私はフォトコン撮影のために懸命にジムに通っていた。走るのはあまり得意ではないが、泳ぐことは好きなわたしにとって駅前のプール付きのジムに通うことは割と楽しいことであった。目標としていたフォトコンも無事に終わり(試着時に始まらなかった後ろのファスナーも無事に閉まり)これからも健康のために続けようと思った矢先に、コロナ禍が来た。そして、ジムが休館を続けるなか、退会に至った。水泳という、膝に負担がかからずかつ、比較的楽しんでいたスポーツから離れ、それなりな日数在宅勤務ができるようになった結果、体重は変わらないものの、体型にかなりの変化が出てしまった。そして、それは配偶者も同じで、わたしよりもスリムで今までそれなりに鍛えてきた彼としては、かなりショックな出来事であったようで、せっかくの巣篭もりゴールデンウィーク、運動しようという話になった。

 毎朝、少しずつでも走る。それは案外簡単なことではない。休みの日であってもそれなりの時間に目覚めなければならないし、ジョギングしたからと言って家事をしなくても良いわけではない。朝の家事をそれなりにして、ジョギング用の服に身を包み運動に繰り出すのである。正直、自分1人なら行く気にもなれない。明日からでいいかと、とりあえず二度寝してしまいそうである。しかし、今回は配偶者の方が乗り気なジョギングである。嬉々として体重を計り出し、腹部の計測も行うようになった。それほど、中年ナイズされた腹部にショックが欠かせなかったようである。少し前に、彼の姿勢があまりに悪く、だらしないと指摘したことがあった。鏡を見てみるように言って、実際姿見の自分を見た時にかなりの衝撃を受けたようであった。元々スポーツマンだった自分の姿があまりに見窄らしく感じたらしい。そんな彼が乗り気だからこそ、付き合うという名目でそれなりに運動できるのであれば、付き合っておいて損はないなぁと思っている。

 実際、この二日朝のジョギングをして分かったことは、かなり気分が良くなるものであるということだ。なんとなく、1日に10点分の得点を稼がなければならないとして朝から7点稼いだ気持ちになるのである。そしてその勢いのまま残りの3点(ちょっとした家事)も稼いだところで、まだ午後になっていないのである。まるで、まだ20日以上も日付があるのに夏休みの宿題を終えた気持ちにすらなるのである。午後いっぱい好きなことをして遊んでもなんら気兼ねがない。むしろ、遊びきったことでより充足感を覚えて、夜を迎えることができるのである。なんと素晴らしいことであろう。

 多分きっと、ジョギングないしは運動というものは簡単にそれなりの達成感を心に与える効果があると思える。腹部や体重にはまだ反映されていないが、この2日それなりに気持ちよく過ごせているのだからある意味効果は出ている。もう少し、歩く距離より走る距離を伸ばして、ストレッチではなく筋トレをできるようになれば効果は目に見える形で現れるかもしれない。少しずつ、運動のできる自分にもどっていきたいものである。

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