落とし物が返ってくる町。
今の町で暮らし始めて、1年と数ヶ月が経つ。
上京するまでどころか、配属先が発表されて家を探し始めるまで名前を聞いたことのなかったこの町は、家賃相場は高いけれどあったかい地域交流が残っていてなかなかお気に入りだ。
商店街では毎朝、通りを箒で掃きながらおばちゃん達が登校する小学生を見送っているし
駅前の電器屋ではいつも店先のテレビがついていて、8月には甲子園の試合を観るために多くの人が足を止める。
マンションのエントランスには朝のラジオ体操やフリーマーケットの広告が掲示され、区民向けのイベントを度々お知らせしてくれる。
隣の部屋に住む人の名前も、職業も知らないし
この町に住む何割の人が実際にこの町で生まれ育ったのかはわからないけれど、
他所から来た人間を置き去りにしないこの町が、私は好きだ。
今日、定期券をなくした。
鞄をひっくり返しても、着ていた上着のポケットを漁っても出てこなくて
駄目元で帰りに乗ったバスの営業所に電話してみたら、ちゃんと届いていた。
「こちらでお預かりしていますよ。今日は23時くらいまで開いてますが、何時頃取りに来られますか?」
その言葉に心底安堵して、電話越しに頭を下げた。
自転車を飛ばして20分弱、探していた定期券は無事私の元に返ってきた。
他人の落とし物を拾わない品川の人間の冷たさを幾度となく恨んだけれど、
こうして落とし物が帰ってくる町も、東京にはちゃんとあるんだと気付かされた。
帰りがけに見た空はいつになく綺麗で、思わず自転車を止めて写真を撮った。夏ももう終わりだ。
「向かいにできる大型の商業施設、11月の1日オープンですって」
夕飯の材料調達に寄ったスーパーのレジで、おばさま方の井戸端会議がそんな情報をくれた。
なんだかもう少し空を見ていたかったので、マンションの最上階へ登ってみた。
ここから眺める景色が本当に好きで、でも屋上ではなく普通に住人がいらっしゃる階なので
不審に思われないかびくびくしながらたまに風景を楽しむためにこっそり登る。これが私の楽しみだ。
まだ日が完全に没しきらないこの時間の空は、迫りくる夜の中に夕陽と家々の灯りを際立って輝かせた。
大通りに背を向け、地上十数メートルの場所から見下ろすこの平和な町は、私の心を落ち着かせ、そして東京をちょっぴり好きにさせてくれる。
近い将来、同棲や結婚で住む家が変わることになったら
絶対夕暮れの景色が綺麗な部屋を選ぼう、と思いながら
自分の部屋がある階に戻った。
今日で遅めの私の夏休みも終わり。
もうすぐ9月も終わる。
休暇中は海外旅行で各地を飛び回っていたけれど、だからこそ最後に
自分が住む町のあたたかさを知ることができた。
あと数年はこの町で暮らすのだろう。
たぶん、ここにいるうちは私は東京を心から嫌いにはなれないし、だからこそ逃げ出さずにこの町で頑張ることができる。
いつかはこの町を、第3の故郷、なんて言うようになるのかな。
そんなことを考えながら、このあたたかい町で、今日も私は眠りに就く。
明日からも、お仕事頑張ろう。
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