見出し画像

【北上川散策③石巻市震災遺構大川小学校,大川震災伝承館】宮城県石巻市

仙台出張がてら石巻に向かい,北上川沿いをドライブ🚙.今回は,北上川沿いにある大川小学校跡地.津波の爪痕が残る現場を見てきました.

実は,東日本大震災の1年半くらい後に,同じ現場を見に行きましたが,当時は,至る所で復旧工事が行われていました.残念ながら,その時,撮影に使ったスマホは,川に落としてしまい,残っていません.あのスマホは写真とともに,多摩川か太平洋に沈んでいることでしょう.

裏山から見た大川小学校と北上川,大川震災伝承館.
左奥から北上が流れ,右岸側に小河川を挟み大川小学校があります.
東日本大震災時には,右奥の山間の陰から津波が北上川を遡上して,この地域を襲いました.

宮城県立石巻市立大川小学校の沿革

  • 1873(明治6)年 桃生郡釜谷小学校として開校

  • 1985(昭和60)年 大川第一小学校と大川第二小学校が統合されて大川小学校となり,現在残されている校舎が完成

  • 2011(平成23)年 東日本大震災の津波で被災

  • 2018(平成30)年 閉校

石巻市立大川小学校の沿革


被災状況の全体図とタイムライン

大川小学校の被災状況と震災時のタイムライン
  • 14:46 地震発生.震度6,3分間継続.裏山に逃げた人もいたが,安否確認・整列のため校庭に集合したようです.

  • 14:52 防災行政無線による大津波警報の広報.スクールバスは学校前に待機

  • ~15:30 児童を迎えに来た保護者へ引き渡し.山への避難を呼びかける声もあった.

  • 15:25~30 石巻市の広報車が,北上川河口付近の松林を津波が超えた旨のアナウンス.

  • 15:36 少し標高の高い三角地帯に避難開始

  • 15:37 避難中に,新北上大橋や三角地帯に堰き止められた津波が学校方面に襲来.(2方向から津波が襲来.上の写真を参照)

当時,学校管理下にあった78名の児童のうち74名が津波の犠牲になりました.また,その場にいた教職員11名のうち10が犠牲になりました.

いくつかの現場写真

津波ハザードマップ.
津波浸水深と身長,家屋の関係も書いてあり,わかりやすいですね.
震災前の大川小学校
大川小学校の校歌
津波により壁などが壊された校舎
津波により投下した渡り廊下
裏山の状況
津波到達地点の看板もあります.実際には,どこまで津波が到達するか分からないため,どこまで避難すればよいか不安にさいなまれますね.いざ避難する際には,後続の避難者のためにも奥まで登らないといけないですね.整備が行き届いていない場所であろうともためらってはいけないですね.
裏山
実際に避難された場所.左下から登り,あがってきます.曲がり角付近が津波到達地点になります
裏山からみた被災当時の学校
想像できないほど恐ろしい光景です
裏山からみた被災前の学校

大川震災伝承館

また,大川震災伝承館には,大川小学校の訴訟事件に関する経緯や地域の習わし,祭りなど,そこに町があり人々が住んでいた歴史について紹介されていました.現在(2025年,令和7年),損壊した校舎を見ることが出来ますが,今後数十年経過したときに,校舎が残っているかわかりません.そうすると,自然災害の畏怖を直接見ることが出来なくなるかもしれません.伝承館を含めて自然災害に対する人々の経験を自分のものにしないといけません.

なお、本施設内において、写真撮影okの案内がありました。実際に多くの写真を撮りました。

大川震災伝承館の案内

最後に動画

シリーズ記事

参考URL


いいなと思ったら応援しよう!