イマジネーションコンビ解消
TL:DR;
屋号をEugenesWorksからEugeneAmnisに変更しました。
大きな市立図書館にて
その元工員は市立図書館にしては大きすぎるビルの中で今まさに集中力が切れようとしていた。彼はかつて思いついたアイデアである現場でも気軽に使えるデジタルツールの実現に向け、技術スタックを調査している最中だった。図書館という技術スタックを調べるには鮮度的に適切では無いところが素人であることをさらけ出しているようなものだったが、周辺領域を同時に調べることができるのは評価すべきかもしれない。
いよいよ集中力が切れそうになったところで、別の分野の本を読んでみることにした。本来なら読みそうにないものを。
小難しくなく、図書館で口を開けて寝ているおじさん方のような体にならないためにも読書している感が出ているものを探していると写真の棚に行き当たった。
何か写真集でも眺めるかと棚を覗いたら、眼の前に地元の名を冠した写真集?エッセイ集?を見つけた。山口由美氏のユージン・スミス ~水俣に捧げた写真家の1100日~という本だった。
興味本位で手に取り、読み始める。恥ずかしい話だが彼はこの著名な写真家については当時何も知らなかった。学校の授業は真面目に受け、物覚えも決して悪くない方だったが、全く知らなかった。
地元ということでリアリティがずばぬけていたせいか。立ったまま、習慣にしてた近くの喫茶店での昼食を忘れてしまうぐらい熱中し、一気に読み上げてしまった。真面目一辺倒で周りに迷惑を掛けないように生きてきた彼にとっては一つの衝動で周りを巻き込むユージン・スミスの生き様は衝撃だった。
今、彼が調査していることもそこまで本気ではなくポートフォリオに留まる程度の活動にするつもりだった。出来ないに決まっていると自分で決めつけていた。だけど形にはしてみようと珍しく行動を起こしていたのだ。
ユージン・スミスの衝動はそんな心づもりで動いている若造に影響を与えたようだった。だが、生活が掛かっている身でそんな大それたことは出来ない。あくまで期限を決め、その間で成果がでなければ普通に就職して当たり前の生活を始めよう。と帰りの車を運転しながら、写真家の衝動を振りほどいていた。
名前はどうする?
少し時が経ち、Androidのアプリとして彼のアイデアは形になった。それを公開するときにデベロッパー名を決める必要があった。事実上の屋号に当たるものだが、自分のサイトを持つ必要を考えるとドメインと同一のものにしたほうが無難であると考えた。そのため、ドメイン検索をしながら屋号を決めることにした。
少し悩み、国際的な名前の方が良いと理由で自分の名と読み方が似ており、男の名として付けられることの多いEugeneに会社員時代に取引のあった海外の会社名に多く付いていたWorksを一緒にしたEugeneWorksでドメイン検索をしてみた。
結果は使用中。これは使えない。ではどうするかと悩んだとき、ユージン・スミスを思い出した。彼もEugeneなのだ。自分に足らないであろう衝動を持つ男に少しあやかりたいと思う自分が居た。
EugenesWorksと複数形にしたドメイン検索をしたところ、使用可能の文字が液晶に表示された。誠に勝手ながらイマジネーションのコンビを組ませて貰うことにした。
彼は現場でも気軽に使えるデジタルツールをアプリとして、形にしたときに今までの彼の人生に無かった感情が僅かに芽生えていた。その感情の点火元になったのは間違いなくあの巨大な市立図書館で読んだユージン・スミスの本だった。
何かをゼロから作ったことがある人は今のモノの溢れた時代に何人いるだろうか。彼もモノづくりの現場に居た。定期購読でロボットを組み上げたり、ルアー制作やレザークラフトも嗜んでいる。ただし、それらはある意味、型に沿っている。
ユージン・スミスの写真の自由度に比べると線路のようなものだ。一度始めれば、労力を掛けていれば必ず何らかの成果が出る。しかし、写真をはじめとする創作物は違う。人を感動させる写真などの創作物は大変な準備をしても得られるとは限らない。博打のようなものなのだ。いや博打よりヒドイかもしれない。博打はギャンブル依存症として医者が止めてくれるかもしれないのだから。
恐ろしく低い期待値を求めるという点では博打と一緒だが、写真などの創作物は誰も止めてはくれない。自分で止めるしか無い。それが満足のいく結果か諦めの後悔かどちらかになるかはわからない。
ユージン・スミスの生き様は元工員を創作する喜びに執着させるには十分だった。このときはまだ自分はまともだと思っていたつもりだったようだが、彼はこれから長く自分の形にしたアイデアと向き合うことになる。
ユージン・スミスの写真の芸術性に比べれば、下に見られそうなゼロとイチで構成されたモノだが、少なくとも彼の信念によって生み出された創作物であることには間違いない。たとえ、影響力がほとんど無かろうと。
染み付いた衝動と元服
それから何年か経ち、家族の病気と向き合うために地元に帰り、家族を看取り、猫派ではないのに実家の猫達の世話をしながらも創作物の面倒を見続けた。正直、何度も投げ出したくなったが、僅かながらも使ってくれているユーザーとイマジネーション相方のユージン・スミスの好んだREDウィスキーでなんとか乗り切ってきた。
そしていつの間にやら、創作物は自分の中で大きな存在となっていた。ユージン・スミスの衝動が彼に染み付いた証拠だった。彼は少なくとも創作物に関しては何かにあやかる必要を感じなくなっていた。
ドメイン更新の時期が近づいたとき、彼は創作者として元服を迎える時期に来たなと思うようになった。そこで名を変えることにしたのだ。1人のEugeneでも大丈夫だと自分に言い聞かせるためにも。
新しい名はEugeneAmnis(ユージンアムニス)。自分の姓を古ラテン語に当てはめたものだ。また、自分から流れ(Amnis)が発生しますように願掛けも含んでいる。自分の名前を出しちゃえばとも思ったが、海外にも馴染みのある名称の方が流れが起きやすいかなとの打算もある。
猫に邪魔されながらこの文章を書いているがこれも元イマジネーションコンビのユージン・スミスの受けおりなのかもしれない。晩年のユージン・スミスは猫を飼っていたそうだから。猫派になるためにはまだ影響を受け続ける必要があるようだ。