よく聴いたアルバム/シングルたち
今年リリースされたもので。
1. サカナクション『834.194』
6年ぶりにリリースされたこのアルバムについては、拙稿「哲学的批評: サカナクション」でも触れているが、なんといってもこのアルバムはポップという概念を刷新したといっても過言ではない。ユーミン(松任谷由実)の言葉「ポップスは5年後に評価される」は「新宝島」のMVの YouTube 1億回再生を予感していた。「忘れられないの」もそういう曲である気がする。
アルバムの名前は、札幌のスタジオと東京のスタジオ(青葉台スタジオ)のあいだの距離が 834.194km であることにちなんでつけられた。「忘れられないの」のMVでは80年代のオマージュをほぼ完璧に実施し、音楽の面でも、80年代のシティポップを彷彿とさせるような前面に出たベースとベースソロ、山本リンダ的なメロディーが見事に挿入されている。それと同時に、故郷北海道、札幌、小樽、への哀愁感を漂わせ、東京への憧れとともにこのアルバムに封入した。アルバムが2枚組なのは、ただ単純に東京と札幌とに分けているわけではない。東京への憧憬と札幌への郷愁はサカナクションのつくった曲にはすでには両方とも入っているのである。
2. ミツメ 『Ghosts』
インディーズバンドとは思えないくらいの成長を遂げたミツメの最新アルバムは、「エスパー」と「セダン」という天才的なシングル曲2曲に加え、全11曲が収録されている。「クロール」という曲はとくに聴いたと思う。アルバムのそれぞれの曲には Ghost (お化け/幽霊) が憑いていて、それに話しかけても、触ろうとしても、失敗は確約されている。それは水を必死にかいても、前に進まないことである。しかし、Ghostは「消えないまま」である。
歌詞は一行一行つながっているようでつながっていない。聴き手と曲との関係性も曖昧で相反的だ。このアルバムには Ghosts が憑いている。というより、このアルバムが文字通り Ghosts である。「なめらかな日々」はいつまでもやってこない。「あなた」というGhost はいつまでもわたしに憑き、纏う。しかし、あなたとわたしという「ふたり」の関係性は曖昧で相反的だ、いつまでも。
3. OGRE YOU ASSHOLE『新しい人』
ああ、大好きだ、と思える曲たちだ。すべてが似ていて、すべてが新しい。
ギターに重いエフェクトをかけながらも、ミニマルなエレクトロなロックに昇華させている。「新しい人」の到来を待ちながらも、その存在に疑問を持つ。「本当みたい」だ「けど」、と「けど」という不安が心の底に残っている。ディストピアを避けようとすると、また「けど」というディストピア=自己不信に陥ってしまう。なにを信じればいいのかわからない、というディストピアの連続に、歯止めをかけられない。わたしたちはこれを見ているだけで関わることはできない。我々はずっと傍観者なのだ。「さわれないのに/見えている」ことがむずかゆい。「けど」、「のに」の先に何か見える。それしか我々には残っていない。
4. 蓮沼執太フィル『Phil Plays Phil (Live)』
2019年12月にもっとも聴いたアルバムなのではないか、というくらい聴いた。ラッパーの環ROYやD.A.N. のサポートやMIDI Provocateur の小林うてな(スティールパン)、葛西俊彦(PA)など錚々たるメンバーを迎えるフィルは、多様な楽器の奏者が集まりながらも一つのハーモニーを形成している。いや、一つのハーモニーというよりは、複数の音を聴きながらもそれが連続しているかのように聴こえている。それをあたかも自然にやっている奏者たちと蓮沼の作曲、葛西のPA技術には脱帽だ。
「ANTHROPOCENE intro / Meeting Place」では人新世というテーマを扱い、我々が地球上でやってきたことが地層として痕跡に残ってしまうという事実に対して応答している。自然/環境は嘘をつかない。そして、自然/環境には悠々とした時間が流れている。この時間が人間の行為によって自ずから危険信号を出しているような気もするが、蓮沼はこれを「時が奏でる」と表現した。危険信号を出すのではなく、奏でる。安易な政治的批判は、結局より大きな政治的・経済的枠組みに吸収されてしまう。人間の行為の縮図である都会に寄り添いながら、音楽を奏でることで、街とそこにいる人々を癒すのだ。
そして、都会にいる人々の “Meeting Place” (出会う場所) は、今年11月18日、銀座ソニーパークにあった。午後4時に突然現れたフィルは、いや午後4時という時間、そこに流れている時が、6曲を奏で、その場を立ち去っていった。銀座という場所は疲れや欺瞞に満ちている。そこに突如現れたフィルがいつも潜在的に流れている「時」をあらわにして、それを音楽という形で通りすがりの人々に示した。
Hello Everything (「この世のすべてにこんにちは」)は、蓮沼と木下美紗都のコーラスが都会で疲れ傷んだ心を慰め、トランペットの叫び声、いやファンファーレが、こんな自分を受け止めてくれる。
「IN C」や「centers」といった実験的な曲も魅力的だ。音楽の再発見ということをやってみせている。蓮沼執太はもともと環境音楽を専門にやっていた。周りにある何気ない音を音楽として、それを拾い上げて小さな“メロディーズ”に仕上げる。こういうことをフィルでもやっている。
5. 小沢健二『So kakkoii 宇宙』
6. bonobos「アルペジオ」
どこまでもラディカルで、どこまでもプログレッシブなアーバンポップ。
7. D.A.N. 「Elephant」、「Aechmea」
どちらか選ぶことができなかったので、両方選ぶことにした。ついにここまで来たか、という感じである。もはやどこに属するかわからないような音楽だ。音楽はよくどこで/だれがつくったかで種類分けされる(例えば、邦楽と洋楽、「ワールドミュージック」、エキゾチックな音楽) が、D.A.N. のつくる曲、とくにこれらの曲は邦楽とは信じ難い。バンドとしての演奏はしながらもいろんな音をサンプリングし、それを異国風漂うダンスミュージックに仕立てあげる。アルバム Sonatine に収録されている「Sundance」なんかもそんな感じがする。
しかし、ただ単に異国調、エキゾチックであるわけではない。日本語のリズムをうまく歌詞に取り入れ、と思うと、サンプリングされた外国語が入ってきて、もはやここはどこだかわからなくなってしまう。Aechmea でのエレクトリックチェロの響き。電子的なところがチェロがどこからきたのかわからなくする。では、この非空間的な音楽はこれからどこに行くのか。非空間的だからどこにも行けない、というわけではない。逆に、どこにでも行けるのだ。そんな非空間的な可能性を感じさせる音楽だ。
8. Nulbarich『Blank Envelope』
9. Base Ball Bear『ポラリス』
10. Elephant Gym『Elephant Gym on Audiotree Live』
来年ライブに行く。Deca joins や落日飛車などの台湾ロックバンドには注目したい。
11. Taylor McFerrin『Love’s Last Chance』
番外編: よく聴けなかったもの
電気グルーヴ『30』
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