波動
今年は高校入学から丁度10年の節目を迎える年です。
高校時代の友人とは徐々に連絡を取らなくなりポツリ、ポツリと友の数が減っていきました。元来私は人付き合いを得意としていませんし連絡も受け身なので不思議はありません。人間は声から他人を忘れていくと言いますが、確かに私は高校時代に仲が良かった友人の声を忘れかけています。
そんな私にも一人関係が続いている高校の友人がいます。一度だけ同じクラスになり、2年間は別のクラスでした。
出会いは入学式から教室に移動した時に席が分からず私から話かけたのが始まりでした。(間違った席を教えられましたが)
この出会い方でなぜ長い間仲がいいのか不思議ですがどうであれ10年間毎日連絡を取り合っている友人がいるのです。
時折、捻くれ者の私はこんな関係性を素粒子の波動(なみ)のようじゃないかと思うことがあります。
「シュレディンガーの猫」をご存知でしょうか。量子力学における逆説のことです。閉じた箱の中に一匹の猫と一個の放射性原子が入っており、原子の半減期は一時間。普通に考えると、原子が1時間以内に放射線を放出する可能性は丁度50%です。つまり1時間後に蓋を開けた時猫が生きている可能性と死んでいる可能性どちらも丁度50%ということになりますね。ところがそうではなく、この実験で言いたいことは箱の中には非実在の生きている猫と同じく非実在の死んでいる猫が居て、誰かが箱を開けた瞬間にどちらかの猫だけが実在化し片方の猫は消滅するということです。
私はこの筋の専門家ではないのでこれを哲学における世界の捉え方と認識しています。
この実験では「箱を開けて確かめる」ことで生死(結末)が決定しますが、もっと身近に置き換えると私たち人間は常に非実在の相反する未来を持っており片方を選択した際にどちらかの未来が実在化し、片方の未来は消滅すると考えられませんか。
選択した際にその瞬間の人生が決定されると言ったらいいでしょうか。
それまで波動(なみ)の姿で空間を漂っていた素粒子は途端に粒子になり形を決定し、どういうわけかこの逆説は成り立たないのです。
お察しの通り選択をなかったことにはできないということですね。
私がこの友人と関係を断つと選択する瞬間はあの時もあの時もあの時も、思い返せばあの時もありました。しかし運よく実在化した現在までの瞬間では私の友人は「親友」という姿の粒子であり続けています。
物事の考え方を学ぶのが哲学だと思っていますがこんな風に捏ねくり回して考えないと納得がいかない、着地点が見つからない事象って意外に多いですよね。
そりゃあ私だって、自分の親友なんですから普通にマブとか言いたいです。
でも、いつだって誰だって自分の結末なんてわからないのですから、簡単にそんなことは言えません。捻くれもの私は特にそうです。
頼むから明日も「親友」という粒子でいてくれ、と惨めに願うばかりなのです。
こんなさもしい人間にいつなったんだろう。
なんて、きっと特に気にすることでもないのです。
こうやって折り合いをつけて生きてきたし、きっとこれからもこうやって折り合いをつけて生きていきます。
そういえば10年記念にペアリングを買いました。ちゃんとした宝石が付いています。
中指の細いのがそれです。
希望の石として知られるオパールの指輪。
いつか関係が終わることもさもありなん。
しかしこの指輪を手にすると選択したことは逆説が成り立たないが故に変えようのない事実となります。
非実在の素粒子に対して今夜も希望を込めて。