100記事目指して毎日更新!その45、残忍・残虐なコンテンツが好きな人について考える
Ignition.挨拶
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
グロテスクが美術様式の名称だったことに驚いている今日このごろ。
どうも僕です。
本記事は私、Evolution LoopのCHIΓΓШα(ちるま)がアウトプットの練習をするために100記事書こうぜ的なサムシングの記念すべき45記事目になります。珍しくグロ寄りのセンシティブなのでCHIΓΓШα名義です。
それでは今日も進化の為に書いていきます。
※人によっては不愉快な内容です。ご注意ください※
1st.非日常感が良い
残虐性や残忍性があるコンテンツを好んで消費する方は一定数いらっしゃると思われますが、皆様はどうでしょうか?
何が良いって、小タイトル通り「非日常感」を「実際に現実世界で行為に及ぶ」よりも「圧倒的にリスクが少ない状態」で体験することが出来るということに魅力を感じます。
いってしまえば、「世界中でやっちゃいけないとされている事」をサブルカルチャーを通して疑似体験できるのがいいんです。
物騒な事を並べますが、殺害・強盗・拷問・リンチ・人体実験などは普通に日本で生活していれば99%殆どの人が実行することなく終わる行為です。
しかしながらデジタルなコンテンツでそういった行為が許されているならどうでしょうか?ヒャッハーな気分でエブリバディ皆殺しなんて事も許されます。デジタルコンテンツなので実際に人命は失われていませんしね。
そういった誰にも迷惑を掛けずに非日常を覗き見たり、時には自分で手を下すという行為を好むのは個人的には納得いくところもあります(;´∀`)ホドホドニナ
2nd.「軽い死」でストレス発散
皆様はPOSTAL2と言うPCゲームをご存知でしょうか?結構昔(2003年ぐらい)に発売されて、一部の残忍・残虐なコンテンツ愛好家にとてつもない人気を博したと記憶しております。
他にも色々ありますが残虐・残忍なコンテンツの共通点として「人の死が軽い」というのがあります。どこぞの馬の骨とも言えぬ人達(NPC)をなぶり殺したとしても特にお咎めはありません。蜂の巣にしようが、爆破しようが、燃やそうが特に問題はありません。ファンタジーですから。
それで、ここからが重要なのですがコンテンツ内のキャラクターが死んだと言う事実ではなく、その過程にこそストレス発散の糸口があるのではと考えます。
キャラクターが死んだ(退場)したという事実を陳列しても何も物語性がありません。余程好きなキャラクターでも無い限りだと、「あっ、あのキャラ死んだんだ…」くらいにしかも思わないと思いますが、これがバックボーンが明確にされている場合はどうでしょうか?
映画ならどの様な凄惨な死に方をしたのかを、目撃者が語るシーンに合わせて死んだシーンを流せば死に様を容易に想像できます。
ゲームなら自分で手を下せる場合が多いので、あの手この手を使用してNPCなどを自分の手であの世に他界他界させることができます。
映画なら殺害したキャラクターに自分を重ね、ゲームなどの自分で操作できるコンテンツでは操作キャラクターに自分を重ねる事によって、あたかも自分で殺したかの様な感覚を少なからず得る事ができているのでは無いかと考えます(゚д゚;)ブンショウニスルトヤベェヤツダナ
ですので、実際には見聞きしたり体験する事が事実上不可能なことだからこそ、そういった「コンテンツ内の死とその過程に触れることができる」疑似体験コンテンツが好きな人が居なくならないのではないかと考えます。
fin.総括
では今回の総括として「残虐・残忍なコンテンツが好きな人は非日常感が好きで、生命が死を迎える過程に物語性や一種の快感を見出しているからなのでは」という感じです。(;´ω`*)カイテテサイコパスミガアフレル