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私を振り返る②

ようやく重い腰を上げて近所の神社へお参りへ。
今年の挨拶が遅れたお詫びと、昨年はありがとうございましたと心の中で浮かべ早々と後にする。おみくじを引きたかったけれど、さすがにもう店仕舞いだとばかりに置かれていなかった。

帰り道、去年は何を願ったか考えてみても思い出せなかった。たぶん、新しい職場で頑張れるようにと願ったような気がする。
頑張れただろうか、私は。
紆余曲折を経て、なんとか二年目を迎えることができた。時には上司とガチンコの言い合いを起こし、会社に行くのが憂鬱な明け方の夜空を見上げ、私以外の誰もが順調に駒を前へと進めているような不安の中、続けてきた。

それでも、私は私を褒められない。
自分の頑張りは周囲と比べて足りない、まだ足りないと気持ちが追い込まれる。
この焦りと自己否定の根幹にあるのは、やはり幼少期のいじめと家族との関わりなんだろうと思う。


小学校低学年だったか、具体的な時期は覚えていない。たぶん小学校4年生くらいだったと思う。それは突然に始まった。

クラスの男子に「バイキン」呼ばわりされ、机を付けるなと避けられ「キモい」と揶揄される。
表立って騒ぎ立てるのは男子数人で、彼らはいわゆるクラスで目立つグループだった。そういう子達の側には同じく女子で目立つグループが付きもので、男子のように嫌悪感を顕にするよりも、「ちょっとやめなよー」的なよくある構造がそこにはあった。

当時、私には好きな男の子がいたけれど、いつの間にかそれは周知の話題となり、鬼ごっこやゲームをする時、「◯◯(私)は××(私が好きな子)に触ってからじゃないと鬼から解放されないから!」と謎ルールを追加され、好きな男の子は「スニーカーの先だけだからな」なんて私に触れられることを露骨に嫌がっていた。
それを見ていた周りの女子が、わざと私の手を掴み男の子の脚に触らせようとし、男の子が激怒。周囲は大爆笑。私はどうしていいかわからず呆然。

いじめは小学校を卒業し、中学へ進んでも続いた。目と鼻の先に中学校があり、卒業した面々はほぼ同じ中学へと進んでいたからだ。
中学校へ進むと男子からの嫌がらせに加え、女子からのあからさまな無視が強くなった。修学旅行や体育、実習のグループ分けは地獄だった。
中2になる頃には私はもう疲れ果て、結果保健室登校を卒業まで続けることとなった。

あの頃、私の味方になってくれたのは「言葉」と物語だった。
昔から小説を読むのが好きだった。
小学生の頃、習字の時間に将来の夢を書く授業があり、私は「小説家」と書いた。
その時、唯一普通に接してくれていた隣の席のKくんが「すごいな」と言ってくれたことを今でも覚えてる。Kくんは机を離すこともなく、かといって過剰に味方ぶるでもなく、ただ普通にいてくれた。
そんなKくんは引っ越しをきっかけに同じ中学へ進むことはなかった。

保健室登校を続ける私に、勉強を教える教師はいなかった。静かな保健室の中で、一人黙々とノートに向き合い、私は私の物語を積み上げていた。
ペンの持ち方にクセがあるせいで、大人になった今でもその時にできたペンだこが消えない。不自然に曲がった中指を見る度に、言葉を連ね、唯一自分が自由に振る舞える世界を物語に落とし込むことで救われていたあの頃の自分を抱き締めてあげたくなる。


もしも、母親が宗教にはまらなければ。
父が病に倒れ鬱病にかからなければ。
私がいじめにあわなければ。
たらればをいくつ挙げたところで、私は今の私の人生しか知り得ない。どちらが幸せか、どちらが正しいのかもわからない。この日記の締めの言葉も思い浮かばない。

ただ、今日こうして天気の良い中、徒歩で神社に向かい、新年の挨拶をできたことは良かった。ぽかぽかと日差しの降り注ぐ中、スニーカーで歩くのは気分が良かった。

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