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私は、男性がこわい。
1月24日(金)
深夜3時39分。
稲葉さんのファミレス実況を聴きながらnoteを書いている。
イナババさんの声と朗読系実況は相性が良い。
そして何よりこのゲームに漂う空気と音楽が落ち着く。
昨日、通勤中に痴漢に遭った。
会社に着く頃にはすでにもう気力も限界で、我ながらよく最後まで残っていられたと思う。
【注意】
ここから先、過去の出来事を含め性犯罪やセクシャルに関わる話題になります。
フラッシュバック等、不安のある方はご注意ください。
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私は男性が怖い。
子供の頃にいじめにあったことも原因のひとつとしてある。小、中といじめを経験し、女子校へと進んだ。地元から遠い学校を選んだのも幸いしてか高校時代は楽しく過ごすことができた。
けれど、男性から揶揄されることや性の対象として一方的に値踏みされること。女性同士なら暗黙の了解で通じる互いの境界線に、遠慮なく入り込んでこられる場面。飲み会の席で「女性なんだから」とお酌して回されること。容姿やスタイルを話題に出すのは褒め言葉だと思っていること。
それらに笑って答えるしかできないこと。
私は、男性が怖い。ずっと怖かった。
小学生の頃から度々、痴漢に遭った。
親に話しても取り合ってもらえず、少し触られたくらいでこんなに気にすることはないと自分で自分に言い聞かせていた。
もちろん、これが一部のもので全ての男性に当てはまることでは無いとわかっている。
そう、頭ではわかっている。
けれど言葉を選ばずに言うならば、「最終的には」性的な接触を必要とされる点において、私は男性に対して安心感を抱くことができない。
男性に対して安心感を抱けない理由の根底にあるのは、やはり父親のことだろう。
いつだったか私は父の布団で一緒に寝ていた。
父の手が私のお尻に触れた。
私はそれがものすごく嫌で、布団から抜け出し台所へいた母に「脱出成功」と言った。父に体を触られたことも話した。
母は「お父さんが寂しがるから戻りなさい」と私に言った。「寝ぼけてたんでしょう」と。
当時は今のようなプライベートゾーンという言葉も無く、たとえ家族間であっても本人の了承なく触れてはいけないという認識も無かった。
子供が悪さをしたら平気でベランダに放り出して鍵を掛けていたような時代だ。だから、母の「一家の大黒柱が絶対」という考えも自然なものなんだろう。
大人になった今、当時の自分の気持ちを振り返ると、暗闇や布団の中という見えない、閉塞された場所なのもあったのだろう。絶対に自分を守ってもらえるはずであろう人から向けられたある種の男性性に子供ながら強い恐怖を感じた。
以前勤めていた会社の飲み会では、役職についている上の立場の男性から「この脚がいいよね」と言われたことがある。完全なるセクハラだ。けれどそれを咎める人は誰も周りに居なかった。
付きまとい被害。
空いているエレベーターでわざと密着して乗られること。
突然、変な液体を服にかけられ暴行罪として警察沙汰になったこともあった。
全部。全部、男性からの被害だ。
男性の中の一部の人たちなのだとしても、私は彼らが持つ攻撃性、支配欲、性欲が恐い。
今にして思えば、私が興味や好意を持つ相手は自分と直接の関わりが少ない人だったのも、「この人は私に嫌なことをしない」という安全地帯を守れるからだったんだろう。
いざ、その人が私の方へと向いた時。その人の目に性的なものが見えた時。それを私に求められた時。私はただただ無だった。なんでみんなそんなにも「それ」を必要とするのかがわからなかった。
いや、必要なんだろう。
でなければ人類が滅んでしまう。
じゃあ、それを必要としない私は。人としての本能を持ち得ない私はなんなんだろう。
そんな考えの末に辿り着いたのが「アセクシャル」という言葉だった。
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正直なところ、自分がアセクシャルなのかどうか判断しきれない。男性を怖いと思う反面、素敵だなと思う(自分のタイプ)男性像もある。
ただ、これは最近になって気付いたのだけれど、私は好みの男性像は理想の父親像を求めているのかもしれない。
優しくて包容力があり、そして私を性的な対象として見ることがない。絶対の安心感。
幼少期の経験とはこうも根深いものなのか。
私の好きなマンガのひとつ「ミステリと言う勿れ」の中に出てくる「子供は固まる前のアスファルト」「子供は大人が思うほどバカじゃない」がまさに。
昨日、私に痴漢してきたのは高齢の男性だった。
若さという肩書きを下ろしてもなお、そういった対象と見做されること。
また、白髪で皺だらけの手になってもなお、そのような欲が失せないこと。
私は、男性が怖い。