自分に見えているものは絶対か

 幼少期から大人のやる事や常識に疑問を抱いていたが、当初はすぐに文句を垂れるだけだった。

 それがいつ頃からか、そこに何か自分の知らない真意が、その目的が、その者なりの正義やらがあるのではないかと思うようになった。同時に自分が持つ嫌悪感に疑いを持った。本当は自分が何も知らないだけなのではないかと。それからは常に周りを疑いつつ自分自身をも疑う日々であった。

 そのうちに1つの尺度でしか物事を測れない私の価値観、正義感は崩壊した。正義がどうとか声高に叫ぶ人間が愚かに見えるようになった。また、自分の正義を他に押し付け、自分の価値観で物事の絶対価値を測ろうとしていた過去の自分は愚かで彼らと同類だったと自覚した。そして社会で起こっていること、維持されている習慣は当初思っていたほど無意味なものばかりではなかったことに気づいた。

 そういう時期を経て、今でも自分は自分自身を疑い続けているし、物事の意味を探している。存在しない保証などどこにもないから可能な限り疑い考えながら探している。それでもまだわからないことだらけだ。

 このまま疑い続けたらすべてわかるようになるのだろうか。わかったとしたらその時世界は自分にとってどんなふうに見えているのだろうか。

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