日記:またあした
旦那さんへ「おやすみなさい」のあとに「また明日」をつける、ことにしている。
そもそも我々の出会いは90年代も終わろうというころのインターネッツであり、付き合うこととなって何ヶ月かで初めて顔を合わせた経緯がある。
当時は互いに親の脛から顎を離そうとしなかった時期、会うといっても半年に一度がせいぜいで、それが三ヶ月に一度、ひと月に一度と、足掛け二桁年かけて会う頻度を増やしてきた(それでも基本的に一泊二日)。
毎日顔を見るようになったのは同じ家に住むようになってからで、その初日、明日も会えるの? マジで! わーい! ぐらいの気持ちで「また明日な!」って言って寝たのが習慣というか、祈りの文句みたいになっている。
べつに旦那さんにかぎらずなのだけれど、オンでもオフでもお喋りしたり遊んだり、ごはんしたり、仲良くしてくれるひとたちには、また会ったりお喋りするときまで、できる限り壮健であってほしいし、楽しいことが起こっていてほしい。またね、って言うのは自分にとってそういう言葉なのだ。
旦那さんはのび太くんぐらい寝つきがよう、おやすみなさいの後布団にもぐってこれを書いている10分の間にすややかされてしまった。わたしもそろそろ追っかけ寝なきゃなのだ。
おやすみなさい、また明日。