あなたの成長を望む人
どうも、魔都上海から来ました悪い猫です。
本日は自己成長の話を書いていきたいと思います。何を目指すにもまず「安西先生、バスケがしたいです。」と認めるところから始めないといけません。
「女性を惹きつけるために男性は価値の高い男性になる必要がある」、これは非常に大事な事実です。ほとんどの人はこれを理解して、なるべく自分の社会価値が上がるよう努力します。
そして、すべての社会価値のバランスパラメータの「欠けた最後のピース」を埋めるナンパ術をかじって女性とのコミュニケーションを習得すれば、モテる男になります。
しかし、その一方、「自分はありのままの姿で愛されたい」と思っている方たちもいます。その人たちは異性、酷い場合は社会全体に厳しい意見を述べていきます。ありのままの自分を受け入れてくれない世の中が悪いのだと。
男性で言えば、たとえ、非モテを脱却するために「ナンパを勉強すればいいよ」とか「女性の事を勉強しなさい」とか、私やナンパ師のノートを買えばいいよと言っても、その人たちは聞く耳を持ちません。何かに怯えているのです。そんな方たちに厳しい愛の言葉を申し上げていきたいと思います。
えーと、誰かがあなたの成長を望んだっけ?
そうなのです。もう、文字通りのことです。誰もあなたの成長を望んでいないのです。可能性があるとすればあなた自身なのです。これは自然な掟です。武井壮さんはこのように愛の挑発をしております。私も同じようにしていこうと思います。
世界中、誰しも他人には「弁えて欲しい」のです。
その方が都合がいいですからね。みんな平等な身分の環境で生きていると安心するのです。一生、自分の脅威になって欲しくないので、口先では「あなたはありのままでいて欲しい」と優しい言葉をかけます。
男性は男性に弁えろと言います。自分との競争で勝ってほしくないから。女性も男性に弁えろと言います。遺伝子価値の低い努力男に股を開きたくないから。男性も女性に弁えろと言います。都合のいい女でいて欲しいから。女性も女性に弁えろと言います。他の女性が「自分はブス」だと思ってくれれば男の関心を自分から奪わないから。
今の実力のまま、今の身分のまま、今の評価のまま、それがあなたの分相応と言い続けます。
義務教育で受験競争がない中庸な学校に行けば、学校の先生はあなたの「個性が大事」だと言います。自分の学生が自分よりも出来がいいとムカつくじゃないですか。クラスのみんなは君が勉強しているとハブいてきます。自分と同じクラスで今までダラダラしていたやつが、自分より頭良くなったら癪に障るじゃないですか。何も成長を求めない、自虐ネタばかりいう君を「いい奴」だと褒めたたえます。
居心地の良い環境も重要ですが、その環境での人間関係はほとんどの場合、人間同士はお互いに成長しないように目つぶしをしています。自分がこっそり努力するならまだいい方です。努力しない人の方がより他人の努力が目障りなのです。
そして、あなた自身だって自分は成長しなくてよいと感じているはずです。成長するということは努力をするリスクを取るということですから、人間はもし努力の苦痛などネガティブな感覚が苦手なのです。
これは、自然環境にいたら当たり前です。苦痛を感じること、それは直感的には「死ぬ感覚」を意味します。楽している方が安心感があるのです。死ぬのが最悪の状況なので、リスクを負ってまで何かを得ようとは思わないのです。
大人になれば、あなたの両親でさえあなたが成長することを望まなくなります。別に結婚しろとも強制しないし、資格を取れともいいません。雇用が安定していれば文句はありません。バイトでも文句言いません。実家に迷惑かけなければいいのですから。
責任を負って次の家庭を築けとも思わない。自由でポリコレな社会ですから、もう悪者になる必要はないのです。自分が死ぬごろに、あなたが老いていくペットのように生きていればいいわけですから。これは家庭関係が健全な場所でもそうです。
同僚だってあなたの成長を望んでいません。今の能力のままで凡庸な同僚にマウントできる隙があれば自分は安泰なわけです。このノートを書いている私も、有料サロンのオーナーも、資格学校の講師も、あなたがあなたのままでいた方がビジネス上でも都合がいいのです。
なんだ、重荷から解放されましたね。安心ですね。生きまま成仏できそうですね。
.......................................................本当にそうでしょうか?
なぜ今のままではいけないのか?
しかし、別に理由がなくとも人間は「今のままではいけない」と感じる生き物なのです。この方↓がみんなの政治家になれたのも、きっと理由があるのですね。
今のままではいけない、だから、今のままではいけない。その通りなのですよ。理由を説明しろといいますが、理由は本当に必要でしょうか?この未来への漠然とした危機感は、具体的な理由より以前に存在しているものでしょうか?
人間は時間という概念を作った
シカが草を食べる際に、茂みに隠れている肉食動物の存在を考えないわけです。今のままで充分食欲という本能は満たせます。しかし、人間はそうはいきません。
農耕時代から人間は時間という概念を発見しました。それ以降は、今日の飯が食えても明日も食べられるかに怯えながら過ごしています。それは、明日のために種をまくという行動につながり、結果として人口の莫大な増加と資本の貯蓄を生み出した一方、ものすごくストレスがかかる生活を送るようになりました。
研究によれば、現存の狩猟社会で生きる人間でさえ、先進国の私たちよりも遥かにストレスが少ないと言われています。そんな狩猟社会ではストレスはほぼないと言われています。腹が減れば狩りに出る。狩りは楽しい。ランダムで発生する報酬はそれ自体、非常に大きな中毒と快楽物資であるドーパミンを分泌させます。生存のゲームが完全に運のゲームとなるので、今の自分では何もできないのかと心配することも少ないです。明日のために何かを考える必要がないからです。
そんな狩猟社会のように、今現在に注意を集中してストレスを軽減するライフハックに「瞑想」というものがあります。「過去も未来もない。色も空もない。意識も無意識もない。」そんな状態が一番の幸せだとするものが仏教でありました。
人間が一度、発明してしまった「時間」という概念を根源から見直して、「生老病死」は不可避なことだと我々に説き、それに対して「時間」に怯えても仕方がないと説得しようとしました。
悩みのなかった古き良き狩猟時代に逆行してしまおうという試みです。それだけ、「時間」や「未来の心配」は我々に苦痛を与えてしまうのです。
そして、それはアリさんとキリギリスさんのお話からも分かるように、より高知能な生き方をする人間にとっては必要なことだったのです。
「遅延満足」に対する調査として有名なマシュマロ実験がありますね。
子供に今のマシュマロを1枚我慢すれば、後で2枚上げるという約束をして、ほとんどの子供は今のマシュマロを取った。そして、その後の子供の人生を追跡した結果、我慢した子供だけストレス耐性が他の人間よりも強く、より社会的に成功したというお話があります。
時間を意識して時間をうまく運用できる人間がよりよい人生を過ごせるのです。だから、私たちは子供の頃からアリさんとキリギリスさんのお話を聞かされていたのです。より豊かな未来を得るためには、目の前の苦痛を背負い込まないといけないと言われたのです。
生き物はユートピアに全く慣れていない?
では、それはあくまでも明日の生存資源が脅かされる状態であって、すでに豊かさが保証された社会で私たちは幸せになるのでしょうか?恐ろしいことに違いました。アメリカの動物行動学者ジョンB.カルホーンが行ったユートピア実験があります。
単純化した説明するとネズミを常に食料や資源が確保されている一か所に集めて社会がどう変化するかを観測しました。そして、幸せな生活を送るどころか、間もなく殺し合いが始まってネズミ社会は崩壊しました。
ジョージ・オーウェルの『1984』が有名でですが、『動物農園』を読みましたでしょうか?未読ならすぐに読みましょう。闘争が終わった先の世界では自分から闘争を探す人間の本性を非常に鮮明に書いております。
社会主義国家で血みどろの権力闘争が発生したのは、資本主義という人生の問題の所在がなくなっても人生の危機感がなくなるわけではないので、草の根から万人の万人による政治権力の争いが起きたからです。資本主義が最も悪くない制度なのは、人間がお互いに争うはけ口として、まだ穏当な「金儲けルール」があったからです。
誰も、挑戦や問題がない世界を望んでいないのです。
少しの成長が人生を豊かにする
私たちは本能レベルで「挑戦」と「成長」を望んでいるのが分かりますね。しかし、成長するための努力というのは不安を呼びます。
楽しくなければ努力は続かないものです。ものすごく頑張った日々を過ごしていたら、不安に押しつぶされそうになった経験は誰も持っているはずです。その時に必要なのがフロー理論です。
「最適な体験」をするには、不安と退屈の中間をいく集中状態に入ることが必要です。作業の強度が強すぎて不安が過ぎても精神崩壊するし、退屈すぎても何も身につかないのです。興奮剤を飲んだように努力するのではなく、精神的にねっとりとした状態で確実に新しい、体験、技能、知識を積み上げるのです。
少しずつでいいので確実に成長を続けてください。
そして、不安になりすぎないように自分と交渉しながら一歩一歩前に進みましょう。もし、モテについて勉強したいのなら僕のノートを買いましょう。
少しずつでいいのです。過去の自分と比べて知識と行動の成長を感じながら、人生を楽しめたらいいと感じております。だって、ダラダラ生きても、ストレスマックスで生きても、人生辛いじゃないですか。我々はそんな風にはできていないのです。
あなたの成長はあなたにしか興味がないものであり、あなたにしか享受できない特権なのですから。あなたはあなたが感じる以上に「世界にとっても」「自分にとっても」価値があります。
少しずつでいい、成長を続けましょう。