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「お前に何がわかるんだ」#私への処方箋
※あくまで私個人の経験や感覚を基にした話です。世の万物全部が全部この通りではありません
今の私から、あの時すくんで声を掛けられなかった私へ
何かに打ち込んで失敗した人に対する慰めの言葉の代表例が「この経験を糧に次も頑張ろう」的な言葉である。ただ、個人的には失敗した直後の人間にかける言葉としてはあまり好きになれない。
そのお言葉自体は大変ごもっともである。しかし当人としてはそこで勝つために、日々を犠牲にして物事に打ち込んできてるわけである。それが打ち砕かれた時にすかさずのタイミングでかける言葉としては、そこんとこがちょっと軽んじられてしまっている感覚がある。
だからあの時すくんでしまったんだよね。この感覚は無視できなくて、でも何も出来なくて
この言葉をかける人は本当に相手を軽んじているのかと言えば、断じてそんなことは無いだろう。親しい相手が、応援している選手が、推しが、必死になって積み上げたものが実らず、その事実の前に打ちひしがれているのだ。その様相は見るからに悲惨だろう。そこからなんとかして脱出させたいと思うのも人間の性だと思う。
しかし同時に、打ちひしがれている当人にその真心を拾う余地があるのかと言えばこれまた疑問だろう。ここのすれ違いが打ちひしがれている側の「お前に何がわかる」的な暴言と声を掛ける側の間に存在するであろう、時には埋まらない溝の始まりである。
ならば何が正しいの?
励ましたい、立ち直らせたい気持ちは決して偽りじゃない。あくまでワードチョイスの問題である。立ち直らせたい優しさと積み重ねが報われなかった悔しさ虚しさが行き違うのだ。
打ちひしがれている側の人に対して必要なアプローチは立ち直らせることではなく、包み込むことである。他動詞ではなくて自動詞なのだ。
声を掛けたくなる関係ならば、それまでの本人の積み重ねを肯定して包み込んで欲しい。努力した経験値は本人の中に確実に残るし、その経験値は本人の人生の中で確実にプラスに働くだろう。どう働かせるから本人次第だけど。
そんな言葉すら飲み込んで、まずは「お疲れ様」と声をかけてあげて欲しい。それまでの本人の努力をまず汲んで認めてあげて欲しい。「立ち直って欲しい」「次頑張ってほしい」という気持ちはこの枕詞があるだけでしっかり伝わるから。