定義と定理を間違えるな
みなさんこんばんは。
日傘が大流行し、人間って雨の日も晴れの日も傘差してんのおもろいなと思っているしんちゃんです。
#傘屋もびっくりでしょ
#何百万年と人類の歴史があるのに
#なんで傘は風吹いたら折れるんやいつも
さて本日は、「定義と定理を間違えるな」について書いていこうと思います。
地元帰省で羽目を外して、5日ほど仕事から離れてはしまいましたが、何もずっと遊んでいたわけではありません。
#嘘ですほとんど遊んでました
今日の話は、そんな帰省の中の1日で、家族で墓参りに行く途中の、車の中での会話内容です。
ひょんなことから、仕事の話になり、親父が今、誰のためにどんな仕事をしているのかという話になりました。私含め、世のお父さんは何してるのか分からんものです。しかも聞かないと答えないんです。だから聞きました。
まあ聞いても分からんのですが、要するには「現場の生産性を高めるために何をするか」を意思決定する立場とのことです。近年話題のDX化などがイメージしやすいでしょうか。効率的に生産性高く仕事を進めるには、どんな「仕組み」を作るか、それが仕事とのことです。
そして、隣に座っていた3つ下の妹は、現在大学院に向け勉強中。教育学部の数学科で、数学の教師になるそうです。妹が大学院で学びたいことは「どうすれば人は主体的な学びをするか」らしいです。
そんな2人が、いつものような会話をしながら、急に真面目な話をしていました。
父が話し始めました。
父の仕事上、組織の勝ちパターンを作ることが使命です。ただ、父が言うには「勝ちパターンに固執したら間違いなく組織は終わる」とのこと。あくまでも効率性、生産性を高める一つの基準は作るが、常に現場が思考を凝らし、それらをアップデートする必要があるんだとのことです。
そこに妹(数学)が加わりました。
「それ、私の考えと同じかもしれん」
妹曰く、人が主体的に学ぶためには、「定義と定理を適切に理解し、主体的な学びを、【定理を疑うこと】から行わなければいけない」とのこと。
#ほんま最初何言っとんか分からんかったわ
例えば、3平方の定理(a^2+b^2=c^2)は公式(覚えて使うもの)ではなく、証明できるものだ、とのこと。確かに学生時代証明した気もします。
同じ容量で、「三角形の内角の和は180°である」も証明ができるものなんだ、とのこと。これも覚えて使うものではなく、証明をして使うもの。
しかし今の子供達は、これらを暗記し、定義として使ってしまっているから、主体的な学びになっていないとのこと。主体的な学びではないと、そこから新たな疑問が生まれることもなく、学問における成長はないとのこと。
#言い切ってたわ妹
これはビジネスの場でも等しく同じで、常に顧客の幸せを求める中において、うまく行く基準、もっというと「これはこうだ!」という「定義」があると思います。しかし、それは本当に定義なのか?もっと良い基準は設けられないのか?は考えないといけません。
妹の研究室では「三角形は本当に三角形なのか?」を問うとのことです。「3辺で囲まれた図形=三角形」という「定義」すらも問うんだとか。
#えぐすぎ
ビジネスの場において、これは定義なのか定理なのかは分かりようがありません。ただ、「これは果たして定義なのか?」と全ての事柄を疑い、最適解を思考し続けることが、成長し続ける組織と、常にアップデートされ続ける自分自身を、作り上げることができるのかなと思いました。
半ば興奮気味に、一筆書きで書いているので、うまくまとまっていない気もしますが、勝ちパターンも基準も当たり前も、とにかく疑う努力をする必要があるという話でした。
お盆でしっかりとリフレッシュできた方も多いと思います。
お盆期間中、動かれていた方々にも感謝の意を示し、休んでた方々はまたフルパワーで、お盆明け頑張っていきましょう。
それでは。