付きまとうボンカレーの丸①
友人が失恋をしたことがあった。
彼女は私と同い年、学生時代の友人で、今は大阪で働いている。突然別れを告げられたようで、とても沈んでいるようだった。リフレッシュも兼ねて、セミナーに行ってダンス教室に行き、バルで友人と飲み明かし、おしゃれな店で自分のためにアクセサリを買う、洋服も選びに行く。彼女はそうSNSで言っていた。
私はふと考えた。私が今失恋したら、どのように乗り切ろうか。私にはさして趣味もなく、セミナーなどをやっているところも知らない。友人も、ほとんどが県外に出てしまっていない。そこそこかわいい洋服を買うお金がない。海沿いを散歩するか旧友に電話する、くらいだろうか。気を紛らわせるものがあまり思いつかない。ここはジョイフルが22時に閉まるような、田舎だ。
都会の話を聞くと、地域格差を感じることが多い。情報社会が進み、スマホひとつであらゆる情報が手に入り、ボタンひとつで欲しいものを購入、家に届くシステムまで登場している。地方に住む私たちもそれは利用する。しかしどうだろう、便利な世の中といっても、やはりお店や教室、最先端の技術を教えてくれる人が、地方にくる頻度は少ない。
だいぶ便利になったが地方は、同心円の法則に振り回されているように感じる。昔、社会科の教科書で目にした方も多いのではないだろうか。京都が文化の中心で、そこから時間をかけて文化が同心円状に波及していく。というあの、ボンカレーの丸みたいな、あれだ。あの丸の黄色い部分に、最先端文化が到達した頃にはまた、濃いオレンジの部分で新しい文化が生まれている。
例え仕事で使わなくても、私はデザインの勉強はしたい、と思っていた。高校は普通科、大学は資格のとれない学部、就職試験の際も資格の勉強はせず、仕事は事務員。手に技術がないまま、自分にしかできないものがないまま、ここまできてしまったかもな。心の中でそう思っていた。大学の同期がプログラマーになったり、マーケターになったり、IT関係の専門職になったりしている中で、私の履歴書に書けるものは、極真空手1級と、珠算暗算2段、英検3級くらいだ。何か自分でできることは無いか。
私は昔から、ロゴデザインをしたり、落書きをしたり、手芸をしたりするのが好きだったが、特に職業にしよう、と思ったことがなかった。好きなことと、職業とは完全に別で、趣味でするものだ、と思っていた。アフターファイブや休日にやれば良いだろう。と思っていた。そうしていざ働いてみるとどうだ、疲れ果ててそんな暇はない。仕事をしている時は、「帰ったらアレをしよう、コレもしよう」と思っていても家に帰ると、22時くらいまでぼうっとしてしまう。結局なんにもせずじまい。家事をやっとこさやる。そんな感じだ。
ふと勉強したい、と思い立ってもずぶの素人なので、講座がないのか調べてみる。評判が良いところは高い。なんて高いんだ。車を買えちゃうじゃないか。それより奨学金を早く返した方が良い。そもそもうちの県にはサテライトさえ無いのか。かといって独学なんて続きそうにない。私は教科書やマニュアルがないと、不安になってしまう臆病者だ。みんな一体どうしてるんだ???弟子入りか?ライターゼミにだっていきたい。illustratorも習いたい。でも高いし副業は禁止だしセミナーもやってない。手に職はない。専門用語もちんぷんかんぷん。やりたいこともうまくまとまらない。暮らしを充実させられないまま歳をとっていくのだろうか。
八方塞がりじゃないか。そう思った時、昔大学の講義で聞いた三浦梅園のことを思い出した。