あんなに好きだった人に飽きた
私のかく記事を読むのが初めての方は
まずこちらをhttps://note.com/everyday_seiri/n/n406bdeeeecbe
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【本文開始】
自分が好きだと思う人についてあれこれ考えた。
かっこいい人?可愛い人?すごい人?名声がある人?金がある人?
人を好きになるのに理由は色々あると思う。
でも好きだった人を好きじゃなくなる時があるのは何故なのか急に理由を見つけたくなった。
結論から言うと私は、知識欲を満たしてくれる人に興味をもち、自分が欲しいと思う情報が無くなって飽きて好きではなくなる、のではないかと思う。
私個人のなかで「好き」とはそれを「知りたいと思う事」と言うのが大きく価値観としてある。
だからきっと、私と言う人間はライク、ラヴ問わず、人だろうが物だろうが事だろうが、自分の趣味嗜好の中で興味のそそられる情報をふんだんに含んでいるように見えるものに魅力を感じて「好き」としているんじゃないだろうか。
ならば、いくら好きでもそれを知り尽くしてしまったり、それ以降に自分の趣味嗜好の中で興味をそそられる魅力的な情報がその人物から枯渇してしまえば当然「あきる」。
飽きると言うことは興味をなくすと言うこと。興味のない人間に対してはもちろん好意など抱かない。だから好きじゃなくなる。
私は好奇心で突き動く。
人間は情報で出来ている。
興味のないものには心が動かないし、少しでも興味がそそられ始めると貪欲に貪欲に根掘り葉掘り情報を貪りたくなる、腹の虫が治るまで。
あれれ、あれあれ、
おかしいな。
じゃあその興味のあるなしの定義は?
情報をいくら持っていてもそそられない人間にはそそられないな。自分の都合のいい趣味嗜好の情報にしか興味ないのだから。
ふむ、つまりは結局「好き」「嫌い」。好みの問題だ。
じゃあ好みって?好みの情報って何??
何かを好きになる理由。
そして飽きる理由。
好きにもならない理由。
自分にとっての魅力の定義。
情報にそそられて好きなのか、好きだから情報を得たいのか。
正直わからないではないか。
ふりだしだ。
なんの意味もない記事になってしまった。
元より意味なんて持たせる気もないし意味のあるものを書くかもないけれども。
結局全ては鶏が先か卵が先かって話になるわけだ。
思考して答えを出すのはいつも難しいもんだ。
いや、なんの意味もないと言うのだけ最後に訂正しよう。読む人のためにはならなかったけど、自分について思考したという軌跡がここに残ったのは私にとっては自己分析のためにとても意味はあるだろう。
書いて思考を整理するのはやっぱり大事だ。
私は私のために良いことをした。
これからも自分のためだけに更新することとする。
描きかけの思考の下書きが増えてきた。早く私は私を救わなくては。
それではこの記事はここまでとする。