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叱ってください!

今の若者が叱ってほしいと思っている…
全体の60%がそう思っているそうです。
え!驚きですね。

昔の話で恐縮ですが、
会社の経営者(社長)はパブパブフレーが
お好みだとか、子供になりきったお客さんは
スタッフに色々叱られるプレーでして、

日ごろは会社で威張って緊張している分
そういうお店に行ってストレス発散していました。

■叱ってほしいと感じる進について少し考えてみたいと思います。
誰かから自分に対して厳しい言葉や態度を向けて欲しい…と書くと、なんだかマゾヒズムそのものであり、ちょっと理解しがたい心理のように感じるかもしれません。

■叱られない状況を経験した後は、叱られた言葉を受け入れやすくなる
叱られることは暗示にかかりやすくなること。つまり、誰かに叱られたり厳しいことを言われたときに、その言葉を受け入れやすくなること言っても良いでしょう。
よく言えば人の言うことをよく聞く真面目で素直な性格・傾向を表す言葉ですが、悪く言えば他人の言葉や与えられた情報を無批判に信じ込んでしまうという、洗脳されやすさを表す言葉でもあります。

いやいやそんなのんきな

■叱られたいと感じる心理・理由
それは「叱る=自分の存在を認めてくれている」と感じるから
叱られると言う事は、言い換えれば自分と言う人間の存在を「叱る」と言う行為によって承認されている…と感じる。つまり、承認欲求が満たされるために、叱られることそのものを欲するのだと考えられます。
褒めたり、尊敬したりするのと同様に、叱るという行為もまた(不快感こそ感じるものの)自分と言う人間を認めてくれる他者の存在がいることを確認できるため、自然と求めるようになるのだと考えられます。

■「叱られるだけ自分は期待をかけられている」という優越感を抱けるから
叱られると「自分は他人から期待や励ましの気持ちを、叱るという行為によってぶつけられている」と言う優越感や満足感を感じられるからこそ、叱られたいと言う気持ちが芽生えるのだとも考えられます。

■低い自己評価を持っており、叱られることで自己評価と周囲の状況が一致して安心感を覚えるから。
自己評価が低く「自分はダメ人間である」と思っている人もまた、あえて自分に厳しい言葉や態度を向けてくれる人を求めることがあります。

これは、認知的斉合性理論と呼ばれ、自分の認知と周囲の認知を合わせようとする心理学用語です。
自己評価の低い人は「自分=ダメである」と言う否定的な認知を抱いている同時に、周囲の人々や環境も自分の認知と一致すると、安心感を覚えます。

自己評価の低い人からすれば、自分が肯定的な評価を受けたり、過度に持ち上げられてしまう事は、自分の認知と一致していないためにムズムズとした居心地の悪さを感じてしまう。

一方で、自分を厳しく叱ってくれる人がいたり、自分のことを悪く言う人がいる環境であれば、自分の認知と一致するため、居心地の良さを感じてしまうのです。

叱ってダメ出ししてくれないと、自分のダメな部分がわからずモヤモヤしてしまうから

他人から叱って自分の欠点をダメ出ししてくれないと、自分のダメなところがわからないままモヤモヤとした気持ちに悩まされてしまう。だからこそ、自分に対して厳しく叱ってくれる人を求めてしまうこともあります。

これは、自己評価の低い人以外でも見られるものです。ダメ出しを受けることで、自分では気づけない自分の短所を自覚すると同時に、その短所を改善するための対策を考えることが可能になる。

■叱られることで自分に甘い自分を改善できるような気がするから
叱られなければ、どんどんダメになる自分が嫌だけど、そんなぐうたらな自分を自力で真人間にするのは難しい。だからこそ、親や先生のように厳しく自分を理してくれる人の存在を求めているのです。

■余談 大人になると感じる「叱られなくなってしまうこと」の辛さ
しかし我々還暦を迎えてもう半ば、叱らない親父様がせ多いのには
ビックらポン。
①「叱ったことで関係がぎくしゃくするのを避けたい」②「自分とは直接関係がないので、叱る義理がない」③「叱っても自分の評価には影響しないから、そっとしておいた方が無難である」
何と無責任な事でしようか。

これでは益々叱ってくれる人は少なくなってきますね




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